2016年2月13日土曜日

個人的な実況の見方 

以前、ネット実況について
本シリーズ放送当時のネット実況界隈の動きと自分について思い出しながら書きつつ
その感想を自分なりに述べてみた。
一応、そこから生まれた感想に対する個人的感情を抜きにしてあくまでネット実況そのものを追憶・感想を書いたのだが
もう少し突っ込んで書いて見たい気がした。 
とはいえそれほど大した内容ではないが。

(注意)
今回はあくまでネット実況という視聴スタイルについての感想であり、本シリーズは部分的にのみ言及している事を予めお断りします。


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本題に入る前に自分の過去を語らせていただく。

自分がヒーローものに出戻る前、何に夢中になっていたのかと言えばビデオゲームであった。
しかしもう一つ。
音楽も当時の自分にとっては大事なピースであった。
しかしその音楽の変遷たるやメチャクチャで、広義のポップスではあるものの
個々のジャンルに関してはまるっきり拘りも無い上に、古いグループが多かった。
アルバムを全部集めるほどに好きなバンドはTHE WHO、GODIEGO、MANOWAR、
THE ROOSTERS(Z)と実に節操がない。
また、有名どころもベスト盤や著名なアルバムを中心に集めるなどしていたため
自分自身よく言えば雑食、悪く言えばピンポイント過ぎてジャンルを極める意欲に乏しいと言える。


アルバムを全部集めるほどに好きなバンドの中でも国内のバンドはGODIEGOとTHE ROOSTERS(Z)のみ。
彼らはライヴ盤も出していたものの、自分が自費でライヴに出かけられるほどの年齢になっていた頃は既に解散していたのだ。

が。

GODIEGOは1999年の一時的再結成を経て2006年以降に本格再始動。
(この本格再始動について知らないという人が案外多い。GODIEGOファンの母数が少ないのか?)
そしてTHE ROOSTERS(Z)も、Sのほうは2004年のフジロックにて「解散」のための再結成をしたのだが
2009年以降はほぼ年1のペースで、イベント的に再結成している。
Zのほうもごくたまに(おもに最終型として)再結成している。
#両者については本当はもうちょっと細かく語りたいのですが、詳しいことは検索していただければ幸いです。
#特にROOSTERS(Z)はこの表記をしている所から判るようにややめんどくさい経緯があるので・・・。


当然そういう状況であるならば彼らのライヴを見ることが可能である。
GODIEGOは2006年の東大寺と2007~9までの池袋でのコンサートで、
THE ROOSTERSも2014年の名古屋にてようやく観る事が出来た。
それぞれ50代になってしまった彼ら。当然Vo.の声は厳しいものもあったが
演奏に関しては、自分が門外漢であるためよく判らないが別段問題はないだろうと感じた。
まあそれはそうだろう。 解散してからも個々に様々な音楽の仕事に関わっているんだし。


で、本題に関わる部分としてそのライヴ観覧の時の印象を述べたい。

GODIEGOの東大寺にしろ、ROOSTERSの名古屋にしろ感じたのは
「観客同士の一体感」であった。
前者は東大寺という特殊なシチュエーションでの再結成(これは野外だった)が、
後者はクアトロという狭いハコの中で濃縮された、感情の濃縮が刺激的であった。
今でもこの二つは自分の中で強い印象を残している。

そしてライヴというものはなにより、同じものを好きで見に来ているファン同士の、刹那的な繋がりと言うか
対象であるミュージシャンへの期待ただ一点で、観客全ての意識が一体となる瞬間というものが何度か訪れるのだ。

「タケカワの声やっぱダメだろなぁ ⇒ あれ?(英語曲は)思ったより悪くない!?」
(特にタケカワのライヴ前リハ、999の時に会場前で待っていた観客達の「あぁ~・・・」という落胆のため息は忘れられない)

「大江大丈夫かなぁ・・・ ⇒ おぉ!?歌うごとにどんどんよくなってるよこの人?」
(大江自身手術などを経ているせいで体力は往時よりないという前評判を聞かされていた)

というような、開演前のネガティブな印象を吹き飛ばした時
自分を含めた、あの場に居た多くのファンは掴みこまれていたわけである。
勿論演奏の部分も、ライヴという「イベント」に参加している高揚感の影響も無視してはいけないが。


特に最後の「ライヴというイベントへの参加」という部分はかなり大きい。
しかも自分以外の、不特定多数のファンたちによる濃密な空間が生み出す「空気」の魔力は恐ろしいがクセになりそうなものだ。
昔、上岡龍太郎が「テレビ番組というものは舞台の芸は見せられるが、舞台の空気までは送れない」と分析していたのが思い出されたが
これは後年、GODIEGOの東大寺ライヴのDVDを見返して改めて実感した理屈である。

映像と言う形で見るのと
その舞台を観客として生で見るというのとでは埋めがたい溝がある。
「それはイベント参加という行為自体に誤魔化されている」という意見はごもっともだが、
この意見もよく考えてみれば、イベント参加の魔力そのものは別に否定していない。
そして自分自身、ライヴで体感した空気の魔力というものには抗えない。
ROOSTERSの時、自分も他の観客と一緒にコーラスに参加した。
あのとき感じた「得体の知れない情動と、それを支配した空間」は、まことに素晴らしいがどこか妖しい魅力を持って自分に迫っていた。
いわゆる「共犯意識」とでも言おうか。


これまた個人的な話で恐縮だが、のちのち大道芸イベントを生で見たときも、その非日常空間の中でのパフォーマンスと、
フィナーレの演者たちが輪になって踊っている光景を見たときにはやはり掴みこまれたし
月並みな言い方だが、感情を動かされたものである。
ただし、映像や本で見てもそんなに感動しないのだが。
映画鑑賞も、このイベントとして扱ってもいいだろう。  面白いシーンの時はやっぱり観客たちがふと静かになったり、あるいは一緒に声が出るということもあるのだから。


さて、ここから「ネット実況」という本題。

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※ここからネット実況との比較として「イベント」という単語が頻出しますが、ここで言うイベントとは
「自分が実際に会場に赴いてライヴや舞台、興行(映画含)を見に行くという行為そのもの」を指しています。


以前の更新でも述べたが、不特定多数の人たちとインターネットを通じて
リアルタイムで放送中の番組の雑を述べ合う、という行為そのものは、上で書いたライヴとほぼ同じ感覚を味わうことができる。

ただし、イベントと違ってテレビ番組という「映像」だけな上に
PCなり携帯・スマホなりで書き込むという行為が入る以上どうしても番組そのものへの集中力は中途半端になりやすいのも事実。
(ただしこれは、放送中の番組に掴みこまれている視聴者のレスを見ると単なる感嘆の声しか上げていないことも多いので、決してそうとも限らないのだが)
「同じ番組を、それに興味がある人同士で(インターネットを介して)放送中一緒に見ている」という体験はイベント参加と同一である。


そしてイベントと違う点は、その番組の感想を不特定多数の人間同士で語り合うことが比較的容易な点。
#まあイベントでも、外向的な人は積極的に同じイベントを見た人たちと即座に仲良くなってしまうこともあるのだろうが。

そして意見の相違をぶつけやすいということもイベントと大きく異なる点だろうか。
しかも、放送終了後それほど間を置かない状態で。
それゆえ齟齬や誤解、悪意ある見方から来る揉め事とは決して無縁で居られないのも事実ではある。
だが、それでもこのネット実況という視聴スタイルが定着して既に15年近く経つ。
自分は詳しく調べては居ないが、ある程度はネット実況そのもののマナーみたいなものが
その手法を利用している人たちの間で共有はされているんだろうと思う。
#何故調べないのかといえば、自分自身ネット実況しながら視聴しないタイプの人間だから。


そしてイベント参加と同じような「空気の中で観客同士が意識を一つにしている」感覚こそ乏しいものの
それでも注目に値するシーンなどの時にはレスが集中することが多いことを思えば
擬似的とはいえ、ネット上で視聴者たちが意識が一つになっているんじゃないかと思う。
これは、視聴者たちが面白いと思ったときは当然レス数の勢いに反映されるし
逆につまらないと思っているのならば、勢いにしろレス内容にしろ非常に寂しいものとして反映されてしまう所から察せられる。
言ってみれば「サイレントブーイング」とでも表現できそうな状況だ。
#これはジャスティライザーの実況ログで何度も痛感させられたな・・・。
#無関心であればそもそも観ないわけで、そんな現象は起こるわけがない。

ただし本当に面白いときでも静かになるため、人間の感覚というものはつくづく興味深い。
常々「ネットと現実を分けること自体無理がある」と感じている自分だが
こういう部分を思うと、ネットワーク上のコミュニケーションという限界こそあれ基本地続きなところがあるのではないかと再認識させられる。

端的に言ってしまうと「ネット実況とは、擬似イベント」とも言えるというのが個人的な捉え方だ。


そんなことを、2015年末の特番を何故か実況スレを見ながら楽しんでいた自分を思い返して
ふと考察?ごっこに興じてみた次第。
主観で書いているので、実態からはだいぶ乖離しているようにも感じてはいるものの
当たらずとも遠からず、くらいのところまでは迫れたようにも思うし、うーん・・・。


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以上のようなことを踏まえて、本シリーズの(少なくともネット上での)扱われ方を振り返ると・・・。
このblogでも数度触れている、「当時の実況や匿名掲示板などでイジられてる印象そのままに、今でも語られている」
という点は、未だに根強く残っている。

そうした人たちの意見のひとつとして
「一人でみるからおかしく見えないだけで、実況などで他の人と一緒に見るとおかしい点に改めて気付く」
「そうなると、次からはそういう(ネタ的な)見方しか出来なくなる」
というのがあるが、案外これは当時から実況などを同時進行で見ながら本シリーズに触れていた人達に共通する考え方ではあろう。


10年経っても似たような話題がループし、同じようなやりとりを毎年続けている彼らを見ていると
少々思うところはあれど、彼らは彼らなりに楽しんでいるのだろうと思うことにしている。
恐らく彼らは、当時実況しつつ見ていた印象のままそこから離れることもないだろうし
今後ももし見返すことがあっても、見方を変えることもないのだろう。
それはもう、オタクらしい見方の一つということで自分は納得している。
仕方の無いことだが・・・。