2016年2月14日日曜日

ヒーローものに拘る理由はない

※ まず初めに拙blogの記事「もしも「次」があるのなら?」をご覧になってからお読み下さい。


東宝のヒーローものが作られなくなって10年経とうとしている。
実は「レインボーマン」からチョボチョボと作られている東宝ヒーロー作品の歴史の中で
10年も間が開くことは珍しい。
(注>Kawaii!JeNnyは当然ながらノーカウント)

超星神シリーズというもの自体、コナミがシリーズ化のために3年も枠を抑えてくれたからこそ制作できたという、
大袈裟な言い方をすれば奇蹟の産物であり、それだけコナミも力を入れていたであろうことはそれとなく感じられようものだが、
3年と言いつつもそのラスト3ヶ月分は(後で半年ほどプラスした上で)コナミスポンサードのアニメに切り替わっている事実を思うと
コナミ的には良い評価を下していないであろうことが窺える。

なお本シリーズのために3年枠を抑えた、という話は川北紘一「特撮魂」でも触れられているし、
放送当時もフィギュア王、ハイパーホビーでその旨がスタッフから述べられていたため間違いではないようだ。


このコナミの英断は今見ても中々の美談と言えそうだ。
何せ東映か円谷しかないヒーローものというジャンルの中に、相当無理な戦いとはわかっていながら挑んだ上に
3年も枠を抑えたコナミの太っ腹さはヒーローものオタク界隈でもちょっとした話題にもなっていた。
それは強大な玩具メーカーであるバンダイ、次いでタカラトミーくらいしかスポンサーになりたがらないこの手の番組を考えれば納得のいくものである。


コナミのことについては私見を別の更新で取り上げるため、とりあえず今の更新では事実を述べるだけに留めておく。
そして本題。


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現在の東宝だが、これまた10年ぶりのゴジラ制作・上映が控えていることはよく知れているが
一方、東宝アニメーションというアニメ企画担当の部署を改めて立ち上げるなど
映像企画に対する意欲を強く感じる動きを見せているのがこの2010年代だ。
ところが一方ドラマに関しては2000年代前半の「TRICK」のような大ヒットドラマを生み出せていないようで
目下苦戦を強いられているようでもある。
#このあたり、東宝のテレビドラマについて感じることもあるが、これも別の更新で述べる。


そうして最初の、ヒーローものが途絶えて10年という話に戻すが
実は個人的にはヒーローものに無理に拘る必要はないと思う。
やはりスポンサーの問題がついて回るジャンルでもある上に、そもそも制作プロダクション・スタッフもだいぶ限定され気味な映像ジャンルである以上
無理矢理スポンサーの問題を解決したところで本シリーズ以上におかしなものになる可能性は高い。
本シリーズ展開当初よく聞かれた揶揄としての「東映の二軍」扱いされても仕方ない類似品にしかならないだろう。


なので、以前の更新で
「もしまた特撮ドラマをやるのなら、ヒーローもの以外で、特撮映像を活かせるドラマを作れ」と書いた次第。
それがSFドラマであり、戦争ドラマであり、ホラードラマ。 恋愛ドラマという飛び道具も書いた。
まあそう考えたらホームドラマやらでも特撮を活用すれば宜しいのではないか、とも思ったものだし
刑事ドラマや時代劇は東映や松竹の印象が強いため避けたほうが無難だろうとも思う。

よって以前の更新を読んでいただければわかりそうだが、今の自分は東宝のヒーロー物新作というものについては特に期待していないどころか
どのみちグランセイザーの時みたいに諸々のネガティブな意見に晒されてのスタートになるのは必定なので
やらないほうがマシだという意見である。


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しかし、もし東宝がどこかのスポンサーの厚意でまたヒーローものを制作することになったとしたらどうか。
個人的には一つだけ思うこともある。

少なくとも過去30年に限定するが、東映主体で作られているヒーローものというジャンルの潮流に乗りかかるとなれば当然、ファン層も(母数はさておいても)厚いはずである。
この「東映主体」というところが特にキモとなる。

よって、もし東宝がまたヒーローものを手掛けるとなれば、その東映の影響を極力排除しつつ
ヒーローものへのカウンターとなるような作品を作るほかないのではないか。
似たようなものをやるのであれば結局、東映か円谷のでいいじゃん?というドライでシビアな評価に晒されるのは間違いないからだ。
ようはヒーローものオタクからは拒絶反応をもたれてしまうような作品を作ってでも独自性をアピールするべきだが、これは結果として
「ヒーローものや特撮ドラマに全く興味の無い層を呼び込む」という、ある意味オタク相手よりキツい戦いをやらなくてはならないこととなる。


さて、本シリーズのレビューで度々触れた
「ケレン味やカタルシスがないヒーローの戦い」
「キャラドラマを捨ててでもストーリーに注力する」
だが、本シリーズは作品を進めるごとにややツメが甘かったり、妥協していた点も多く見受けられた。

さらにこの作風の難点は、子供おいてきぼりになりやすいということだろう。
何せどうやっても一話完結にも数話完結にもなりようがなく、いわば大河ドラマ的な長い展開を強いることになる為
特にヒーローものでやるとなると食い合わせの悪い手法であろうか。

なので、可能な限りヒーローものに求められる部分を多少は踏襲しなくてはいけない気もするが、
それは決して見かけのみの問題に堕してはいけない。
子供でも大人でも共有できる「作品内での、敵の行動とそれが巻き起こす人間社会への災厄」
という部分を抑えて作劇するべきじゃないだろうか。
話の骨子さえドッシリとしつつ、共感できるものであれば主役至上主義でなくても攻め入ることはできよう。


そんなことを、既に所有しているレインボーマンとつい先日購入したダイヤモンド・アイのDVD全巻を観ながら思いに耽っていた。
#レインボーマンやダイヤモンド・アイが東宝ヒーローの原点なので、そこに回帰しながら現代的にアレンジしてはどうか?
#なんでもヒーローやその力に頼らず、自分で出来ることは自分でやるという姿勢は共感を得られるものだ。
#レインボーマンには「人間社会への信頼」がほのかに感じられるが、これは東映など他社作品のヒーローものにはほぼない価値観であるし、そういう部分を突き詰めてもいいと思う。


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と、そんな事を書いてはみたものの結局自分の意見としては変わらず
ヒーローものであれば「やらないほうがベスト」としかいえないのも事実だ。
すぐ上で書いた文はあくまで、もしやるとしたらそうするしかないかもねというものに過ぎない。

特撮を使ったドラマであれば、別にヒーローものでなくても出来るというのが最終的な意見なのだ。