※本更新は、10数年前に自分が見てきた元スタッフの日記・またはそれに近しい人間のブログを読んだ際の記憶を頼りに書いており、具体的な人名も出ますが、
「多分この人の事を言っているのかもしれないが、今となっては真相不明」
というスタンスであることを予めお断りし、皆様もそのつもりで一読下さい。
なお拙blogを引用しての発言に関して当方は一切責任は負いません。
引用した貴方に責任がありますので、悪しからず。
自分が本シリーズに入れ込んでいた頃。
そして、その熱量をそのまま持ち続けていた頃。 具体的には拙blogを立ち上げる直前までだが。
河田秀二の過去の日記や、河田と近しい(と思しき)アクション俳優氏のブログ等で、
時折名前が出てきた「K氏」。
肩書はプロデューサーだったはずである。(アクション俳優氏のブログにて)
前者すなわち河田の日記(またはアーカイブ化されなかった方のブログだったか、記憶は曖昧であるが・・・)では、本シリーズ展開中にあるスタッフから
「こんなジャリ番・・・」 ※この場合の三点リーダは、大津の記憶がほぼ無い為ぼかしたという意味
というような発言を直に聞かされたと言い、その人物は「K」であったという。
そして、その発言以降メジャーの映像業界に未来はないと諦念したそうな。
後者は、その河田がメジャーデビューを果たしたオムニバス映画「KILLERS」の
「プロデューサーK氏」について、河田と同じくメジャーデビュー目前であった辻本貴則の撮影が無事に進むかどうか不安視していたのでは?と推察していた。
ちなみにKILLERSのプロデューサーでイニシャルKは釜秀樹、くろがねゆう、久保淳の三名。
#くろがねゆうは東宝側と言うより某雑誌から参加していると思しい。
#久保淳は後々河田が脚本を手掛けることになる「ケータイ小説家の愛」のプロデューサーでもある模様。
ちなみにKILLERSには、釜秀樹と共に石井信彦も参加しており、
本シリーズに連なるスタッフの源流が既に見えていることを念のためお伝えしたい。
本シリーズなら釜秀樹一人となる。
ただし、河田の日記を思い返すに、川北紘一が言った可能性もやや捨てきれない。
というのも、ジャスティライザーの「ザリガン」は当の川北から降りてきたアイデアであり、
川北も脚本側にある程度容喙していたことが伺える証言が当時残されていたからだ。
後者のアクション俳優氏に戻ると、氏曰く
「元々KILLERSは、河田・辻本をメジャーデビューさせるためにガンコン審査員のきうちかずひろ・大川俊道・押井守協力のもと作られたオムニバス映画」
とのこと。
そして、氏が触れた「Kプロデューサー」はその映画の全体プロデューサーであるとも。
もっとも、このKプロデューサーも大阪に出向き辻本たち撮影スタッフ(インディー映画の)と顔合わせし、激励の言葉をかけていたとのこと。
こうして羅列してみると、同じ「K」でも恐らくそれぞれに違う人物では?とも思わなくもないのだが・・・。
ただ、KILLERSの頃に釜氏が統括プロデューサーであっただろうことは何となく想像は付く。
というのも、コンプリーションのモノクロページにて「グランセイザーの頃は管理職として間接的なかかわりがあった」としており、
かつジャスティライザーでは統括プロデューサーとして就任(そのままセイザーXまで)している事から、
KILLERSの頃から東宝社内でそれなりに責任ある立場に居たであろうことは疑えない。
河田の過去の日記での「ジャリ番なんか・・・」発言、最初に日記を読んだとき
「釜プロデューサーか川北紘一のどっちか?」と思ったものであったが、
今となっては当の河田がネット上から姿を消して10年以上経つ。
し、釜氏のコンプリーションでの発言やその後の、文字通り「ジャリ番」を手掛けてきている事実を考えるとどうも違う気もするし、何とも言えない。
この「K氏」が最終的に誰を指しているのかは知らない。 ただ・・・
河田が上述の言葉を投げかけられたのは事実だったろう。
そして、河田がこう云う事を当時のスタッフから言われた事実も、このシリーズ同様忘却の彼方へ。
そう、既に真相は闇の中・・・に埋もれかかっている。
せめて河田秀二が今後何らかの形でこの辺にも触れてくれれば、と思う物の少なくとも業界からは完全に足を洗ったように見える。
河田が触れていた「K」。
今となっては誰の事か、全く判らなくなってきているが・・・。