2023年3月31日金曜日

ADKといえばアルファ電子株式会社ただ一つ。

 過去更新で自分は、特撮ヒーローに出戻る前はビデオゲームの世界に入り浸っていたことを述べた。

その頃は対戦格闘ゲームブーム真っ只中~安定期~低迷期直前という流れの中に居て、要するに90年代全て、ということになる。


その頃、強烈に好きというわけでもないが印象に残っていたゲームシリーズに「ワールドヒーローズ」というものがある。





自分の好みとしては、ネオジオ系であれば餓狼シリーズより龍虎の拳1が好きであり、

それは主流と化したストリートファイターⅡ系統や餓狼シリーズ他と違い

最初からストーリーやドラマに注力した(とはいえそれは良く見れば古き良きアクション映画的な、ちょいチープなものでもあったが)龍虎1は自分にとっては魅力的であった。

#今にして思えば、関わったスタッフの脈絡から言っても「アナザーストリートファイターⅠ」と言い切れる造りでもある。

で、更にチープ・・・というか、ネタだけで勝負した感じなのが先述のワールドヒーローズ(以下WH)。


過去のビデオゲームや創作物でもタイムトラベルで偉人英雄と会う・一堂に会するというコンセプト自体ちらほらあったのも事実なのだが、

WHの場合はタイトルの通りのコンセプトを対戦格闘ゲームに持ち込んだということで、インパクトは十分あった。

なおかつデスマッチモードも付与して・・・。 こうしてみると、ガキが喜びそうなネタだけで固めてきたとは言えるし、事実はその通りである。

現にネオジオ格闘ゲームの中では唯一「ストⅡのパクリゲー」という称号すら得ていた。

餓狼や龍虎も当時はその評価がなかったわけでもないが、あちらはそれぞれに独自性を持たせてきたし、

もっと言えばストⅡの前作にあたるストリートファイターⅠのプランナーが餓狼・龍虎にも関わっていたという事情もあって、今そういう評価はほとんどと言っていいくらいされていない。

#もっともWHについては、8人のプレイヤーキャラの時点でストⅡのイメージがダブってたのも事実である。


自分はこのWHシリーズがどういうわけか気に入っていた。

良くも悪くもガキ臭いゲーム内容というのもあったし、とにかく派手な演出も目を引いていたのもあったし、

一言で言えば無邪気。 

無邪気を具現化したようなゲームだったというのが自分のWHシリーズ評ではある。

それが故に、当時年長・・・10代後半以上のプレイヤーからは歯牙にもかけられないどころか、バカバカしさをネタにされていた。

何せストⅡがシリーズを追うごとにプレイヤーのスキルも向上し、対戦も高度なものになり、

餓狼もスペシャルとなってからはコンボの概念が入り込みこれまた対戦に特化してきたり、

サムライスピリッツシリーズも全く別のコンセプトでウケ、これまた対戦の人気もあった時代の中、

WHシリーズはそれらの潮流のどれにも乗れずにもがき苦しんでいたわけで、そのサマはなるほど小馬鹿にできるものだったろう。彼らにとっては。


ここで当時の対戦事情をさらっておくと、特に問題視されていたのが「ハメ技」であった。

ただでさえ対戦格闘ゲームのゲーム性に起因する、プレイヤー側の狂暴性のトリガーになりやすいこのハメ技。

92年頃には新聞やニュースで、対戦で負けて相手を刺した、またはリアルファイトに発展したなんていう話は誰もが仄聞していた。

ハメ技の次にはキャラ差というものもあり、これ自体はメーカーの責任に必ずしも帰するものではないのだが、

とはいえゲーム雑誌の読書欄なんかでも時折話題になる程度にはホットな話題でもあった。

カプコンもSNKも、それぞれに対策めいたものをシステムに織り込んではいたものの、根本的な解決には至らない事も多かったのだが


このプレイヤー側の状況に対して、良くも悪くも真面目に取り組んだ唯一のメーカーが、WHシリーズのADKであった。


特にWH2に顕著なのが「飛び道具跳ね返し」「投げ返し」というシステム。

これらはいずれもハメ技としてあった「トリカゴ」「投げハメ」に対する一つの回答ではあった。

のだが、前者は結構タイミングが微妙な上に失敗もそこそこしやすかったし、

後者に至っては、実は投げ始めた側(この場合投げハメを仕掛けた側)が最終的に投げ勝つというシステムでもあった為、有名無実化していたとも言えた。

#特に前者は、CPUがほぼ確実に跳ね返せた分落差が酷い。


また同社の「痛快GANGAN行進曲」では、疑似3D格闘ゲームというようなシステムを導入し、それは

「しゃがみ状態の相手を投げられるのはおかしい(これも前述の投げハメに内在していた問題の一つ)」という事に関する

プロデューサーの回答とも言えたのだが、よくよく本作のゲーム性を見ると

「打撃に特化したプロレスゲーム」

としか言いようのないブツであったり、ADKの格闘ゲームというのはどうも、やりたいことはよく判るのだが

実際にやっていることはなんか妙にズレてるという欠陥を終始抱えていた。

#同作に関しては、1年以上前にSNKから「ファイヤースープレックス」という同作程度には大きいサイズのキャラでプレイするプロレスゲーも出てたので、なんとも。

#無理矢理解釈するなら純プロレスのファイヤースープレックスと、UWF風格闘ゲームのGANGAN行進曲というか・・・。


最終作の「ニンジャマスターズ」に至っては、システムが無駄に多いせいでいちいち覚えて極めようというプレイヤーの数はそう居なかったり・・・。

武器持ちと素手、二つのモードを切り替えられるというのは特色っぽく見えるのだが

武器ありきだったサムスピや風雲黙示録と比べるとなんとも地味な特色でもあった。

他社製でもハドソンの天外魔境真伝なんてのもあったし。


で、WHシリーズに話を戻すと。

3作目のWH2JETでは、ストーリーモードの大幅な刷新もさることながら、

対戦の為にバランスを調整したとされており、その最たるものが「キャラクター全員に4つのタイプが存在する」という要素。

ノーマル・攻撃特化・防御特化・スピード特化と分かれており、プレイヤーは好みのタイプで対戦に挑めたのであるが、

これも研究が進むと「このキャラはこのタイプが強い、と言えるほどキャラごとの特色を伸ばせるフィーチャーではなかった」という評価に落ち着く。

そもそも、対戦特化のバランス調整がなされたそうだが本作で対戦はさほど盛り上がらなかったのも事実で・・・。

#最初に根付いたイメージが終始足を引っ張ったというのはある。


そしてシリーズ最終作のWHPでは、遅まきながら操作方法からシステムから

やっと当時の格闘ゲームのムーブメントに合わせてきて、これでようやくモダンなゲームになったかと思われたが

今度はラスボス・ネオディオが使えるコマンドが発覚し早々に対戦が沈静化するという始末。

全員に超必殺技を実装したり、操作感も若干調整して見直しが図られたりと努力をしていたにもかかわらず、ネオディオ使用可能という事実が当時足を引っ張りまくり

結局どこまでもマイナーな格闘ゲームシリーズとしてその幕を閉じてしまった。


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不運、といえば不運ではあった。

がしかし同時に、他社の動向やプレイヤーの「格闘ゲームに関する問題」に向き合いすぎたというのもある。

特にプレイヤー側の話は、よくよく思い返すと「ストⅡプレイヤーが不満に思っている対戦の問題」であって、決して格闘ゲーム全般の話か、というとちょっと違う部分があった。

例えば餓狼伝説2は、あえてコンボが出来ないように食らいモーション時に攻撃が当たらないようになっていた。

龍虎1に至ってはそもそも対戦を前提とした設計ではなかった。

カプコン・SNK以外のメーカーからも格闘ゲームは出たが、対戦で文句がでる以前にプレイヤーがそこまで根付かなかったという問題もある。


それだけ対戦=ストⅡシリーズという図式が割と長かったのだが、93年からはSNK側にもそのイメージが付くようになり

やっとそれなりに「対戦全体の問題」となり得たのだが、と同時にその頃の対戦のムーブメントはハメ技云々は脇に置きつつ、

(メーカー側も新作の度に調整を入れまくってたので露骨なハメは成立しにくくなった事情もある。 それでも特定キャラでハメ技が出来ちゃったりするゲームも出てきているが…)

いかにコンボを決められるか、という事にプレイヤーの意識の比重が偏っていったのが大きかった。

これについては餓狼伝説SPでやっとコンボ解禁してから流れが本格化してきたし、

同時期に登場したバーチャファイターでも、3Dならではのコンボが出てきていた。

#空中に浮いたキャラに追撃できたり、ダウンした相手に追撃できたり。


94年以降は多段コンボを如何に決められるか?も焦点となり、世はまさにコンボ乱世。

なのだが、ADKだけはシステム面でのプレイヤー間の格差是正に腐心していた。

それはそれで大したことなのだが、しかしプレイヤーに向いた施策が必ずしも当時のプレイヤーに受けたとは言えなかったのも事実で・・・。

最終作に至ってはそれまでの格差是正という部分をかなぐり捨ててモダンな内容にシフトしたものの、先述の理由から早々にフェードアウトしてしまったWHシリーズ。

対戦格闘ゲームブームという、90年代を呑み込んだムーブメントの中で最後まで藻掻きまくったのが、ADKだったと言えようか。

ドライな事を言えば、92年までの対戦環境の問題点解決という部分で留まっちゃっていつしか遅れを取っていた、という。


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さて自分がこのWHシリーズをどう評しているのか。

一言で言えば「駄菓子屋ゲームとしては素晴らしい」ものだった。

ゲーセンの対戦台に収まっているのはなんか違う、そんな独自性がWHシリーズの特色でもあった。 それはそれで酷い評価なのは認める。

ただ、WHシリーズは対戦を考えずに一人で遊ぶ分にはあれほど無心になれるものはなかったのも事実。

色々神経を使う部分のあったストⅡシリーズや餓狼シリーズと違い、結構気楽に遊べたのが最大の利点だった。

#これは奇しくも龍虎1と同じ方向性だったとも言える。 あくまで自分の感想だが。

現にガキの頃の自分はあのシリーズに夢中にさせてもらったのはあった。 まあ他にも色々やってたゲームもあるのだが。

なにより当時のネオジオのアーケード版たるMVSは、その頃まだ多く存在していた個人経営の玩具屋や、駄菓子店にまでスタンドタイプのミニ筐体があったほどで、

これによって子供にとっては気軽にアーケードゲームに触れられたという事実もあった。


メジャータイトルでもある餓狼シリーズやKOFシリーズは、ゲーセンの対戦台の常連と化していたものの、WHシリーズに関しては

対戦台があるほうが違和感が強いという程度には独自の地位を確立していたといっては言い過ぎか?

MVS筐体のローテーションの一つとして存在感を発揮しているほうが、WHシリーズらしい、という。

そしてそれはあの当時ガキだったプレイヤーの多数がそう感じてたんじゃなかろうか。


WHPまで、何故か頑なにWH1から大してキャラのドット絵が変わり映えしなかったあたりなどは良く言えば頑固な職人芸とも言えるし、

ドット変更に対応できるツールもクリエイターも居なかったという事情もあったのかもしれない。

新技のグラフィックをちょいちょい入れてはいるものの。

あの対戦格闘ゲームとしてはイマイチ迫力に欠けるキャラドットが、末期のニンジャマスターズまで踏襲されていたのには、流石に辟易もしたのだが

今思えばADK自体がそこまで大きな会社でもなかった以上、あるもので何とかしないといけなかったのも事実だったろうし。

#このへんの事情は、かつて自分が好きなゲーム・忍者くんシリーズを生み出したUPLにも感じるところである。


もっとも、ティンクルスタースプライツでようやくあのドットがハマった所を考えるに

やっぱり適材適所っていうのはあるのかな、とも痛感するわけで・・・。


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ADKという会社は、特にネオジオ時代は対戦格闘ゲームのムーブメントに乗りつつ終始翻弄されていたメーカーだった。

それはスタッフサイドで「対戦格闘ゲームで問題視されている点を潰せば、それ即ち差別化になるし、客も付くだろう」くらいに

良く言えば呑気に構えていたようにも、今となっては感じる。 それが当時遊ばせてもらったいちプレイヤーの意見ではある。

しかしそういう安直な差別化がしばしば見落としがちなのは

「その問題点や、何がウケてるのか、という話は結局のところ先に売れたモノに対して皆が言っているものであって、ジャンル全体の話とは必ずしも言えない」

という、存外ハマりがちな意識のワナだろうか。

#なお、ここで触れている「先に売れたモノ」がストⅡであることは、言を俟たない。


そしてなにより肝心な(と同時に、プレイヤーサイドがしばしば感じる問題点)

「対戦格闘ゲームとしての、キャラ格差というバランスの部分」

に関しては、もっとも人気のあったとされるWH2では真っ先に無視されていたものであった。

そうした意見は当時のプレイヤーから出てきていたのだろうし、だからJET・パーフェクトと是正をしていったのだろう。

しかしコンボが主流になりつつあった時世が目前に迫っていたJETでは、旧来の対戦バランスで思考していたままで止まっていたし、

パーフェクトではようやく時流に乗れたものの、ラスボスが「CPUと全く同じ性能で」使える事が発覚して、自らその命脈を絶ったわけで。


事実、シリーズ展開時の同時期に出ていたネオジオ格闘ゲームにおいて、今なお対戦ツールとして使われているゲームが餓狼SPであったり、ファイターズヒストリーダイナマイトや無印or真サムライスピリッツであったりする時点で

「せめて2の時にJET、JETの時にパーフェクトだったらもっと違ってたのだろうに」

と感じる事は今さらながら多い。


差別化というものが安直な、そして重大な罠であることはゆめゆめすべてのクリエイターやその成果物で商売する人々が忘れてはならない。

差別化が有効な時は、同じ会社のシリーズ作品において部分的に有効な施策であるにすぎないのだから。

なんなら開き直ってパクリと言われようとそこに+独自性を持たせた方がまだマシだ、というくらいに。

それは上述したファイターズヒストリーシリーズが証明している。

なにより、他社が競合しようと思ったら、先行した物が何故ウケたのか、

という点をまず「受け手として」咀嚼してから「送り手として」思考しないとダメだろう。



無邪気さと、差別化という微妙に相反するものを抱えたWHシリーズ。

単なる便乗では終わらせたくないという意識が、結果的にシリーズ全体のブレーキになっていたとは思う。

今となっては「世界史に出て来るような人物が一堂に会したゲーム」というコンセプトがネタとして評価され、似たような趣向のゲームが

ブラウザゲー・アプリゲー全盛の2010年代にちょいちょい現れるようになったりと、WHシリーズはこうした状況に対して先達となったことは事実であろうか。


たとえこのコンセプトが、後にも先にも誰でも思いつきそうなものであったにせよ・・・。