2016年8月27日土曜日

英雄と悪漢の抗争劇

本来ならば「超星神シリーズ個人的総評」の続編の一項目として予定したのだが
そちらのほうが思いのほか文章量が多くなったため別更新として分けることにする。


このタイトルはそのものズバリ、「ヒーローもの」というジャンルを端的にあらわしたもの。
もっとも刑事ドラマでも時代劇でも、ヤクザ映画でもいいのだが。
要するに東映の得意とするジャンルものを表現したものとも言えようか。
くどいようだが逆に東宝は苦手とするジャンルたちでもある。
#太陽にほえろ!や黒澤映画こそあるものの・・・。


さて、そんなヒーローものである本シリーズは果たしてこのタイトルに相応しいシリーズであったのかと言うと・・・。





はっきり言ってしまえば、「敵そのものが印象に残らないので、ヒーローものとしては凡以前」である。
思い返し、または見返してみるたびに奇妙なくらいにヒーローとの対立相手である敵がいまいち印象にない。
一応キャラクター性を強調するようになったジャスティライザーとセイザーXですら拭えなかったと今でも思う。

ヒーローものというジャンルは「専守防衛」(=殴られたら殴り返す)の要素がどうしても付きまとうものであり
それゆえ作劇的にも判りやすいとは言え、この要素事態に変化を加えにくい故にお話のバリエーション開拓も限られてしまうのも事実。
もちろん本シリーズもそうした要素を守って作られている。
となれば、当然悪とも魔とも言われる「敵」にどうしても説得力が備わらないといけない。
具体的には「なぜ地球を、ヒーローをつけ狙うのか」という部分。
そして、そんな彼らこそヒーローが乗り越えなければならない「障害・壁」という部分も無視は出来ない。

そこを踏まえて、本シリーズではどうか。


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グランセイザーだが、アケロン人とインパクターについては作戦行動そのものに問題はない。
ただ、第三部以降本格的に登場した「ウォフ・マナフ」そのものがストーリーラインとして登場してからというもの、
特に第三部は異星人バラエティ編になったせいもあってか、ウォフ・マナフ自体の仰々しい設定に反して盛り上がりの欠ける展開が続いた。
このシリーズ中総勢10名程度登場した彼ら異星人のうち実に半数ほどが「憑依能力」を駆使する存在であり、これを短期間で繰り返していたという点も
結果的に印象を薄くしたと言える。

これが国防省上層部などに憑依して、国防省VSグランセイザー ないし 国防省そのものを内部から瓦解させるという展開があればまだしも
やっていたことは割とどうでもいい個人エピソードのネタフリに過ぎなかったのも良くなかった。
自ら手を下した例にしても、異世界に地球人を閉じ込め生命力を奪うビズル星人や自分の商売のために地球人を襲っていたガダル星人という面々のせいもあってか
どうも「ウォフ・マナフという宇宙的組織なのに行動に統制が取れていない」ようにしか見えない。
本編を全話通しで見たら、誰でも確実にこう感じるはずだ。

また、国防省で作っていたクローンアケロン人やロギアの再三にわたる復活なども差し込まれたせいか
よく言えば注目点としての混迷が見えるともいえるが、冷静に考えるととっ散らかった印象しかない。
#クローンアケロン人についてはまあ、国防省側のストーリーとしてはアリだが。
オメガも終盤ポっと出て未加とのドラマを展開させていたものの、お話の流れを思えば
彼こそ第三部序盤から出すべきだったように感じる。 オメガ自身の設定を考えれば特に。


第四部になってようやく「ウォフ・マナフ幹部であり、宇宙制覇の野望を持つ人物」であるベルゼウスが登場する。
と同時に、超古代の戦争を引き起こした原因のボスキートも登場。 ストーリーは急にうねり出す。
蘭をボスキートの子孫と誤認させ、ここからグランセイザー側や国防省側の足並みを崩すという展開も悪いものではない。

しかし、そのわりにはそうした展開に着目した感想を見ることがほぼ皆無。
この原因としては、グランセイザーレビューで触れてきたが第四部になって急に様々な要素を詰め込んできたせいで
なんとなしに終盤の展開の速さにそれら策動と要素が流されているからだ。
特にボスキートもベルゼウスも、ウォフ・マナフ自体ももっと速いうちに存在を出しておけばこうした感想が出ることもないのだが。

ベルゼウス一味じたい、グランセイザーを語る際にほとんど触れられないのも
先ほども述べたように急に出てきたが故の不幸であろう。
一応第三部終盤でベルゼウスの名前自体は出てきていたとはいえ、最低限第三部の頭から出せば良かったように思う。

もっともベルゼウス以前にウォフ・マナフそのものも今一歩説明不足なまま登場してしまっているせいで
彼らも彼らでまた語られることがないのも哀れである。
そのネーミングの由来などで(少なくともオタクの好きな)考察ごっこに興じれそうな存在だというのに・・・。


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ジャスティライザー。
前作グランセイザーとの違いとして大きいのは、最初から(一応の)大ボスが登場している上に
彼に仕える幹部も登場。さらに幹部の指揮のもと動く怪人的キャラもほぼ毎回登場した点。
これは結果的にヒーローものとしてありうべき姿にアジャストしたと言える。
#結果、巨大戦のシチュエーションが限定される弊害も生まれたが。

ドクターゾラには「カイザーハデスの封印を解除する」という使命感のもと動いている。
まるで面白みのないステラプレート編で策謀が少しはあったものの、彼女自体はどちらかといえば
一度ジャスティライザーに倒されてから強化復活したというギミックしか印象に残っていないし、
当時見ていた視聴者も恐らくは同じだろう。
 もっとも、ゾラ編最後で彼女にトドメをさした相手がカゲリの操るニンライザーだったことが
後々の因縁に繋がっていたのは今見ると悪くない。

後釜として登場したゼネラルバッカスだが、彼はあくまで「ジャスティライザーの撃破」しか命じられていない。
ジャスティライザーのスパイを命ぜられていたデモンナイトなど、それなりにキャラクターの配置でストーリー展開に動きをつけようとしている痕跡も窺える。
とはいえ、この小シリーズから「とりあえず敵がやってきたから倒しました」感の強い話の流れが増えてきたのも事実。
一応苦戦の描写をちょっとだけ織り交ぜるようにはなっていたのだが。

また、シロガネ登場以降はジャスティパワーそのものにこだわりを見せかけたハデス。
しかしバッカス撃破後の最終決戦においてはそこも忘れ去られ、とにかく地球を破壊するという作戦行動にシフト。
ライゼロスを石化させ、幻星神を使えなくするなどの作戦も見られたのだが・・・。
結局はリュウトの出現によりライゼロスが復活・ジャスティカイザーへ幻星合神を果たし
あっけなくハデスは撃破されてしまう。


そして魔神ダルガと幹部のアドロクス。
ハデスの兄と称する、ぽっと出のラスボスとなった彼を見てベルゼウスを思い出してしまった。
なによりハデス側から兄の存在が明かされていたわけでもなければ
当のダルガも「おろかな弟」と評したように、格段関係性が深かったわけでもないこの二人。
これのせいで、少なくとも自分は見ていてまるで乗れなかったし今でもそうだ。
アドロクスもオカマキャラにしなきゃいけないほどにキャラをつけなきゃいかんのか?と思えて宜しくない。

せめて急に出てきたにしても、弟とのドラマを一応提示しておくべきだったはず。
弟ハデスを倒されたことにたいする憤りなり、弟そのものへの拘りを表面上でもいいから描写すれば
とりあえずの展開の雑さは誤魔化せたと思うのだが。
それをやっていないせいで、ダルガ編序盤でのライザー星人掃討にせよ、最終回の「400年にわたる戦いを今終わらせてやる!」というクロガネ(ダルガ)のタンカにせよ
なんだか全然入ってこないというか、むしろハデスの尻拭い要員にしかなってない。
特に後者は「お前が言うなお前が」とツッコミすら入れてしまった。


ジャスティライザー自体の、三作中もっとも評価が低い原因の一つがこうした敵の扱いのぞんざいさなのだが
その一方、ヒーローものとしては一番ベタなつくりをしていたのも事実。
しかし。

やはり、ハデスだけでお話を作っておけばこんなことにはならなかったんじゃないかなぁ・・・。


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そしてセイザーX。

デスカル三将軍のインパクトに殆ど持っていかれている感が今でもあるこの作品。
正直ネオデスカルが登場して以降は、その幹部であるガレイドたちにせよネオデスカル当人にせよ
前二作に比べたらストーリーラインがまだしっかりしていたせいで辛うじて乗れる存在ではあった。

しかしそれでも、Xデイまでにコスモカプセルを集めて「地球を闇に包まなければいけなかった」ガレイド編を経て
それがなしえなかった後に御大自ら登場、
「とにかく地球を闇に包めば、歴史の既定路線は変わらない」
「たとえ自分たちが消滅しても、違う形のネオデスカルが宇宙を支配することだろう」
という考えのもと動いていたネオデスカルを見ると、
本シリーズの致命的欠点のひとつである「終盤にストーリー上の注目点が詰め込まれる」が本作に至っても残されたのは事実。
#一見そう感じさせないのは、やはり第二部でセイザーXもネオデスカルもXデイに拘っていたのをちゃんと提示していたからだろう。

特にネオデスカル編の「何が何でも地球を闇に包む。そのためのダークアルマー」を軸にした作戦行動は
急にそうした展開が織り込まれるようになったせいで、コスモカプセルというストーリーラインが陳腐化したのも事実。
#一応最終回ではその存在そのものの問題をクローズアップしたことで存在感が復活したが。
なにより
「コスモカプセルが明確にセイザーXに与するようになってしまった」ことと
「コスモカプセルそのものにさほど拘らないどころか、セイザーXを翻弄するための道具としてしか使わなくなったネオデスカル」
という話の流れも相まってか、ダークアルマーを使った作戦そのものにもいまいち乗り切れなかった。
前二作よりは、まだなんとかネオデスカルそのものには乗れたのだが・・・。


そして彼らネオデスカルの祖先と言うべきデスカル三将軍。
彼らは特にセイザーXと対峙していた頃、つまり第一部だけで語ってみるが
正直なところ、第二部で彼らの身の上が判明するものの、第一部だけを見る限りだと彼らの作戦行動の描写のユルさのせいか
いまいち「コスモカプセル争奪戦」という命題自体の重要性が薄くなっていた。
艦長が実はロボットという展開といい、(個人的には嫌いじゃないが)拓人とブレアードのドラマといい
それなりに謎やドラマ上の注目点も持たせていたがこれらはデスカル編終盤ごろの話。
この小シリーズで、コスモカプセルの力として生物の巨大化を描いたりもしていたが
やはり全体的にユルい描写が目立ったせいで、ややアンバランスさが際立つ結果となっていた。

デスカル三将軍。
彼らはキャラクターとしては魅力的ではある。 しかし、当座の敵としては正直問題があったと言っていい。
それは実際、前二作より低い第一クール分の視聴率が物語っているようでもある。


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そして三作それぞれの敵を考察?してみると・・・。
辛うじてヒーローものとして、どうしてもヒーローが敵の作戦行動を阻止せねばならないだろうと
視聴者側からもはっきり認識できる(つまり倒すべき相手として見做せる)ようになったのが
セイザーXのガレイドくらいしか居ないと言える。
これは先述したように、双方ともに「コスモカプセルで作られる未来が生まれる日・Xデイ」への拘りがストーリー上で前面に出ていたからだ。

もちろんガレイドも必死で作戦を展開していたのだが・・・ 配下としてつれてきたはずのジャッカルやブレアードに振り回される描写のせいか
やっぱり彼もコミカルな側面が目立っていた。 そもそも彼自身が短気かつ単純キャラというのも一因なのだが。
なので、「辛うじて」と評したわけである。

ネオデスカル登場については彼自身の作戦と相まってどうしても「ぽっと出のラスボスとなんだかよく判らないけど一大事」という点が目に付いた。
グランセイザーのベルゼウス&ボスキート、ジャスティライザーのダルガ(クロガネ)と同列である。
あるのだが辛うじて「ネオデスカルを倒すために戦う未来から来たセイザーX」というストーリーラインのおかげで前二者よりはマシ、程度である。


そして、三作揃って「回毎に登場する怪人級の敵」の印象が弱いのも良くなかったように思う。
これはシリーズの個人的総評でも触れたが、そうした敵たちが大体において
「ストーリーの従属物に過ぎない」扱いに終始していたことに起因している。

自分はこのシリーズを「ドラマやヒロイズムを犠牲にしてでもストーリーに徹した」と評したが
敵の扱いなどを観てみればこの評価もお分かりいただけるかもしれない。
東映作品と比較すると、敵怪人とヒーローの間にドラマ的な要素・・・
「どうしてもこいつをヒーローが倒さなければいけない」という一種ネガティブな繋がりに乏しいのだ。
つまり、とにかく何かしら理由をつけて倒すという理屈がないとも言える。



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何故この敵を倒さないといけないのか?
何故この敵は、地球に拘っているのか?
そのこだわりの終着点はどこか?

これが終始見えない・・・ いや、見えていたのだがそうした行動理由が印象に残りにくい。
終盤に突如現われたボスがサラっと語るせいではある。
そもそもの幹部連中にせよ、怪人たちにせよただ作戦のためのオマケにしかなっていないのもある。
だから、ヒーローの戦いも必然的に表面上のものだけに終わってしまっていた。
シリーズ個人的総評でも触れた、戦いが淡白という評価の一因である。

だから、本シリーズはヒーローものとしては凡以前と言えよう。
#セイザーXは辛うじてこの理由が提示出来てはいたのだが、作品全体でいうと第一部が足を引っ張っているきらいはある。