2016年11月19日土曜日

シン・ゴジラを観て感じた・思い出した「本来求めていたもの」

今年7月末に上映された「シン・ゴジラ」を観たのは9月に入ってからのこと。
8月は自分自身が転職や転居で慌しい状況だったために観るのがいつの間にか遅れてしまったのだ。

9月に入っても上映している。
どうやら興行成績も観客動員数も過去作品トップクラスらしい。
ゴジラが変化する。 etc.

特に一番上の9月になっても上映・・・。 これには正直意外の感を覚えた。
8月、精々9月頭までだろうなと思っていたがどうやら9月一杯になっても上映するようであった。
そうして自分もようやく9月中旬、シン・ゴジラを観る事になった。


驚いた。

そりゃ、確かに上映前のネットでの不安視は自分から見ても納得出来なくもなかったし
現実を見ればエヴァンゲリオンとのコラボを春からセブン・イレブンなどで行ったりと
宣伝が控えめな上に作品そのものの情報もほとんど漏れていないという状態。
8月中、ネット上では「凄い」「面白い」という評価をよく目にしたし各種メディアで取り上げられていたのも知っていた。

しかし正直不安だった。
だが・・・。




新しい東宝マーク → 古い東宝マーク → 「東宝映画作品」の、ブルーバックロゴ

これで完全に自分はとりこになった。

内容も、最初のゴジラを意識しつつもその作劇は84ゴジラのリベンジとでも言うか、
後の世代によるリメイクという趣も強く感じたが
さらに「VSビオランテ」の要素も若干入り込む・・・  主にバイオテクノロジー的要素だが ・・・
つまり、自分が幼少期に観たゴジラを踏まえた、新しい「ゴジラ」がスクリーンに映し出されていた。
#1954年のゴジラを全く踏まえないという点でも特異だったと今も思う。 命名に若干の名残があるくらいで。


終劇、スタッフロールにて特技スタッフの部分で「怪獣大戦争マーチ」がかかった時
「これはゴジラVS日本の特撮に関わるスタッフ、その総力戦だ」
という感想が、月並みな言葉と共に浮かんだものであった。
今だからこそ出来たものとも言える映像。
それは後々動画サイトで見た、CGチーム各社によるメイキングや裏話を見ても強く感じられた。
逃げ遅れたマンション住人がまさかああいう画造りだったとは・・・。

CGばかりではなく、随所にカットとしてアナログ特撮も投入。
今日本で出来るVFX、SFXを使った、現時点で最高の特撮映画だった。

無論ストーリー面も素晴らしい。  
キャラクタードラマに頼らない代わりにキャラクターは立っているという不思議な作劇。
あくまで ゴジラVS日本(の政治家や自衛隊) という一種ポリティカルな作風を最後まで貫いたそのストイックな姿勢。
#これらについては後で少し触れたい。
主に年長の観客によるリピートが多かったようで、無論自分も今日までの間に4回は観にいった。
自分が求めていたドライかつ現実味を覚えるような世界がそこにあったからだろう。


ゴジラはこの後、来年公開予定のアニメ映画版を経てアメリカで2本製作予定だそうだが
現代においてここまでゴジラ映画が注目されようとは思いもよらなかった。
11月現在においてもまだ(規模は縮小したが)上映中。 公開最後の週にもまた見る予定ではある。


そうして、自分がシン・ゴジラを観て思ったのは・・・。

「これこそ超星神シリーズが目指すべき作劇だったんじゃないか!」
という感情。
グランセイザーの時にも評した「キャラドラマを犠牲にした代わりにストーリーに拘った」
という差別化および特色の出し方。
シン・ゴジラでもっと純粋な形で描かれたそれを見て、かえって本シリーズに対する無念を強く覚えたものであった。
そりゃあ、スタッフが全然違うからしょうがないしテレビヒーローものと映画じゃやっぱり違うのもわかってるけれど・・・。
#そもそも映画と連続テレビドラマを同じ土俵に上げること自体がナンセンスだ。
#ここではあくまで「シン・ゴジラの作劇は超星神シリーズでやるべき方向性だった」という限定された形での引用であることを注記したい。


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そして、シン・ゴジラの(日本産特撮映画においては)大ヒットと言える状況を見て思ったもの。
それは東宝による国産ゴジラ制作が発表される直前に亡くなった川北紘一。


元々ゴジラには興味がなかった川北紘一が、90年代の「平成VSシリーズ」に携わりヒットさせた状況と同等かそれ以上の状況が生まれつつある。
庵野秀明自身もゴジラよりはウルトラマンという人であった。

奇しくもゴジラそのものに強く拘っていなかった二人が、それぞれの時代でゴジラ人気再燃の原動力となったという符合は何か不思議なものだし、興味深い。
さらに若い頃に「84ゴジラ」の現場を経験して以来主に特撮映画に携わることになっていく樋口真嗣の存在もあってか
「ああ、これで完全にゴジラ映画も世代交代が成ったのだろう」
という感慨を覚えたものである。


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時代は残酷にも変化していくものだし、その都度新世代によって作り上げられていくものである。


現代のゴジラシリーズは日米それぞれに展開されていくという、90年代にも似たような状況が現出しつつも
やはりどこか違うものとなっていこうとしている。
今後どうシリーズが転んでいくのかは想像が付かないが、自分としては出てきたものを観客として観劇し
その後感激したりどこか釈然としなかったりしたとしても、そうした感情のゆらぎを楽しみたい。

それは、シン・ゴジラを観て久々に思い出した大切な感覚でもある。
「いい歳こいた大人たちが懸命に頭を体を使って観客を楽しませる」特撮映画。
自分が特撮という映像技法に心惹かれ目を奪われたその芯の部分が、今また蘇った。