2017年8月31日木曜日

超星神シリーズ・個人的総評Ⅱ 

まず初めに こちら をご覧になってから本更新を閲覧下さい。


2015年末に超星神シリーズの個人的総評を投稿したものの、一年以上経って
改めて感じたこと、書き漏らしたものがいくつか見られるので改めて更新する。
最初のものに追記する形にしようとも思ったが、それでは判りにくいだろうと思った次第。
本来個々の更新としてUPしようか?とも思ったものだが良いタイトルも浮かばない為
かなり長い更新となるが、ご理解いただきたい。



【ヒーローものとしてはイマイチな戦闘】

三作揃って残った問題点としては、これを外す訳には行かない。
以前の更新の時点でも意識はしていたが、いまいち言葉にしづらかったため今回改めて指摘しておく。

ストーリーに注力したせいで逆にドラマおよび戦闘の展開が地味目に映ったのが本シリーズである。
ドラマに注力したはずのジャスティライザーですら、いまいち戦闘そのものの印象は薄かった。
#ジャスティライザーについては敵側作戦行動の進行がスローペース過ぎたのも問題だが。

なおここでの戦闘は、ヒーローと怪人の戦いを主眼に触れているので注意されたい。
#巨大戦でも同じような問題を抱えてはいたが・・・


そもそもヒーローものを見るとき、見る側としては
・ヒーロー(主人公)と周辺のドラマ
も見たいのだろうがそれ以上に
・ヒーローが敵を倒す瞬間から来るカタルシスの解放
というものが根底にある。
後者をもう少し煮詰めるなら、ヒーローが一度負けたりあるいは周囲の人々に危害が及ぶような状況において、見る側もヒーローと敵の戦いに興味を惹かれるわけだ。

そして前者、ヒーローと周辺のドラマを注視したいのであれば何もそんなものはヒーローものに拘る理由もない。
他の創作物に目を向ければもっと多彩なドラマが見られるのだから。

しかしそれもコミでヒーローものを見たいという受け手も居るのも事実。
となればそういう人たちからすれば当然後者のほうにウェイトがかかるのは当たり前であろう。
だって前者だけに拘るならば別にヒーローものじゃなくてもいいわけだし・・・


と、ヒーローものを見る理由というかその欲求の根底を分析してみたが
ひるがえって本シリーズではそのあたりどうだったのか、と言えば・・・。



グランセイザーはストーリーを追おうとした作劇が災いしてか戦闘は非常にアッサリ目な展開が目立つ。
これはウルトラシリーズや平成ライダーみたいにバンク無しの必殺技が比較的多かったからでもある。
#バンクに関してはゴルビオンのデ・ストームとトラゴスのペネトレイトサンダーがあるが、この二者も毎回戦ってるわけじゃない。

がしかし先述した二シリーズと似て非なるものになっていた要因としては先ほど指摘した
「敵を倒す前段階としての、ヒーローがいたぶられたり困ったりする描写」
に乏しかったからでもある。
よくよく見返すと判るが、アケロン人にせよインパクターにせよ、第三部以降もそうだったのだが
戦闘ではグランセイザー側が圧倒的不利に立たされた状況がほとんど無い。

ストーリー展開的にアケロン人(風のトライブを騙して他トライブと共倒れを図った)や
インパクター(ロギアを中心として、国防省に入り込んでガントラスを奪取・太陽に突撃させる)といった
策謀において緊張感を出していたにもかかわらず、当の戦闘シーンにおいてはグランセイザー側が追い込まれている描写に乏しい。
追い込まれているように見えても、そこまで決定的にピンチと言えるところまで昇華しきれてない。
これは第三部、第四部で更に加速していくことになる。 
「とりあえず敵を倒すために装着してたおしました」 感溢れる戦闘描写が是正されることがなかったからだ。
最終回のベルゼウス戦で一部メンバーがピンチになる描写こそあれど
それも結局展開の速さに呑まれてしまい、カタルシスを生むところまで昇華しきっていない。


そしてグランセイザーで見られた、ヒーローの戦闘描写・展開の淡白さは後の二作品でも継承されていくことになる。

ジャスティライザー以降は戦隊寄りになったこともあるのか、各人の必殺技バンクや名乗りが作られることになった。
#ただしデモンナイトとシロガネについては必殺技バンクなし。
しかし、必殺技バンクなしでも放たれ勝利することもあったりとその戦闘の見せ方にはムラがあった。

特に本シリーズ唯一の、ヒーローの強化体と言えるシロガネにしても
他社作品よりはその登場頻度は比較的少ないとは言えど、さほどピンチになった状態で出現させているわけでもない。
ジャスティライザーのレビューでも書いたが、案外シロガネ抜きでもどうとでもなっていることが多かったからか、「登場させる意味あんまりないよね」感が漂ってもいた。

そもそもシロガネ登場以前から、窮地に陥っている描写が少ないというのもあるのだが・・・。
ステラプレート編でグレンが若干追い詰められたのと、ゾラとバッカスが再登場した回でカゲリが死んだこと、
後はデモンナイトとの戦闘でグレンが一度倒された第二十四話くらいだろうか。
ヒーローの戦いにおいてはぱっと思い出せるピンチ描写がこれくらいしかない。
クロガネ登場あたりはそれなりにのっぴきならない雰囲気も生み出せているのだが、
クロガネに完膚なきまでにやられるジャスティライザーという描写が一切なかったからかどうも印象が薄い。
ハデス最終決戦編はまあギリギリ及第点?ともいえるのに・・・。


そしてセイザーX。
コスモカプセル争奪戦がストーリーの骨子として存在しているせいもあるのだが、その話の流れの中で戦闘をするというのは必然的であるにせよ
その割にはいかんせんあっさりとした戦いに終始しがちであった。
ちょっと戦闘中に困ったことがあれば、すぐにコスモカプセルでなんとかするという描写が目立ったのも良くなかった。
#ある意味ドライな現実味ともいえるのだが・・・。

第一部~第二部はまだ争奪戦に意味があった・・・ とは言うが大体幹部級が自ら登場するせいで
どうしても怪人が従属物にしかならない欠点もあった。
第三部に至っては、何のために出てきたのか判らない怪人(特にアルティメット)もいたせいで
戦闘そのものの注目度はひどく低下していたのだ。


これら難点は、シリーズ個人的総評でも指摘した「各小シリーズのシメは巨大戦」にも象徴されるように
基本的には巨大戦をアピールした作風だったことが悪影響を及ぼしていたと考えられる。
しかし毎週巨大戦をやっているわけではないのも本シリーズ。

ヒーローものである本シリーズのアンバランスな部分が垣間見える欠点である。
のだが、それだけでは完全に説明しきれてない気がするので少し付け足すと・・・。


上述したように、ヒーローそのものの戦闘において全くカタルシスを得られない展開が多いが
その原因が「ヒーローが痛めつけられている描写に乏しい」とも指摘した。
つまり戦闘においてのピンチシーンが少ないということである。

その一方、ストーリー展開上でのピンチは割と多い。
具体的には人質ネタを三作揃って何度も導入していることもあるが、さらに・・・

グランセイザーではガントラスが奪われたり、ボスキートにガルーダやユウヒを奪われたり
第四部で蘭をボスキートの子孫と誘導する策動。
ジャスティライザーでも源太郎が人質にされたり、ステラプレートがらみでもプレートと引き換えの展開もいくつか行われていた。
また、ハデス編最終戦においてライゼロスを石化させられたりもしているし、本来クロガネになるはずのデモンナイトが、その力をダルガに奪われる展開。
セイザーXでもセイザーX自身が二度も捕われたり、流星神が最低一度は中破・修理で数話に渡り使えない描写が盛り込まれていた。
コスモカプセルがらみは言うまでもないだろう。

また、三作そろって鳥型メカおよびそれが合神したロボが終盤戦で行方不明になる展開を行っていることも付け足しておく。


ようするに
「ヒーローの戦闘におけるピンチ演出が少ないので、戦闘そのものにカタルシスがない」
「そのかわりストーリー展開上のピンチは割と何度も盛り込まれている」
ということになる。
#反面、巨大戦においてはヒーローロボのピンチは結構多いのだがこちらは勝利の印象が薄い。
#似たような必殺技が多いせいもあるのだが・・・。

まあ、ここまで突き詰めたもののやはりヒーローものとしてはアンバランス極まりないといえるが・・・。
これについては巨大戦をアピールする作劇も、若干足を引っ張っていた側面も否めない。
#単に円谷・東映作品がスタンダードになっているからこそ、こういう見方になる側面も否定できない。


【東宝作品ファンへのサービス、だが・・・】

他社作品を例に挙げれば、例えばウルトラマンティガで初代ウルトラマンと競演させてみたり
のちのちの映画版(超ウルトラ8兄弟)で平成三作と昭和の初期四作+メビウスという競演があった。
それ以前に、人気怪獣のリバイバル登場というパターンは昭和期から幾度と無く行われてもいる。

東映作品であれば 戦隊ではハリケンジャーの「シュリケンジャー」が変装した姿を歴代戦隊OBが演じたり
初期の平成ライダーでも、クモ型怪人やジャガー型怪人などを出すことで「過去作品のオマージュ」
という形のファンサービスを行っていた。
#怪人以外でも劇中の施設、そして石ノ森章太郎を持ち出してまで様々スタッフ側がアピールをしていた。
#特に後者については思うところはあるが、このblogでは関係ないことなので明言しない。


本シリーズは新規の作品群でもあるため、本来そういったサービスはできないものだが
ならば、と言わんがばかりに「過去の東宝作品出演者を起用」「過去の東宝作品に出てきた要素が登場」
「過去の東宝特撮映画に出てきた怪獣・メカをオマージュしたモノが登場」
(これは、過去の東宝特撮映画で使われた小道具も込み)
という飛び道具を持ち出してきた。

こうなった要因としてはグランセイザーに参加した村石監督、そして三作全てに関わった川北紘一特技監督のお遊びも多分に含まれるだろう。
特技についてはともかく、本編・・・特に殺陣において過去の東宝作品を彷彿とさせる要素がジャスティライザー以降も出てきているのは興味深い。
何故なら、ジャスティライザーでは村石監督は二本しか手掛けていない上に
セイザーXに至っては不参加なのだから。
#殺陣は特に、ガイファードとは担当会社が変わっていることにも注目。


さてそのファンサービス?の内容をさらってみると・・・。

まずグランセイザーでは獅堂未加役に「七星闘神ガイファード」でもメインキャストだった清水あすかを起用。
また同作からは同じくメインキャストであった赤星昇一郎が、堀口博士役として登場している。

さらに国防省の沖田に「電脳警察サイバーコップ」主演の吉田友紀がセミレギュラーとして参加。
ちなみに同作からはアケロン人編のメインキャラ・カリン役に千葉美加が、ゲストとして神谷豪の先輩役にさえばとむ(サイバーコップ当時は水本隆司)がそれぞれ参加。
さらに、セイザータウロン・松坂直人がある回で着ていた道着には「拳王流」の刺繍が入る。
これはガイファードに登場している拳王流と同一のようにも見えるが、直人もかつて拳王流を習っていたのだろうかと思わせてくれる。

また、当時のゴジラシリーズからのゲストとして中條博士役で小泉博が第八話にて特別出演している。
#ただし「東京SOS」の中條信一博士と同一かどうかは明言されていない。


実はキャスト方面でのサービスは、グランセイザーのほうが多いのだが
これは新シリーズということもあって、東宝特撮作品ファンにも注目してもらおうという一環でもあったのだろうか。
また殺陣においても部分的にガイファード的な打撃の応酬を行う傾向も見られたり、
サイバーコップのジュピター用ビットスーツを改造したものが出てきている。


ジャスティライザーにおいては前作グランセイザーから未加、洸、直人の三人がゲスト出演。
国防省も出てきているがメンバーは入れ替わっている。

セイザーXでは小道具としてグランセイザーからオメガが登場したり、ガダル星人(別個体)が登場

さらに途中までデスカルに使われていた兵士としてギグファイターも出てきている。
#ライオブレイカーの玩具におまけでついてきたギグファイターお面というのもある。
また殺陣においては再度ガイファード的な打撃描写も盛り込まれることになった。
本編レビューでも触れているが、ジャッカルがほとんどグランセイザー的な装着ポーズというのも見逃せないだろう。

そして三作揃ってカメオ出演している川北紘一。
(ただしセイザーXでは、ジャスティライザー1話の使いまわし映像での出演)


また、過去の東宝作品に登場した怪獣をモチーフとしたような敵怪獣に
同じく過去作品のミニチュアの流用なども積極的に行っていた。
川北の自伝「特撮魂」でも触れている「妖星ゴラス」「さよならジュピター」などはすぐに出てくるが
同じく川北が携わってきた平成VSシリーズからもメーサー戦車をリデコして使ってみたり
劇場場セイザーXに出てきた轟天号も、ゴジラFINAL WARSに出てきたものをリペイント・リデコして使っているなどしている。

モチーフ怪獣も、ジャスティライザーのライゼロスやリュウト、ブルガリオにメガリオンは非常に判りやすい。
セイザーXのドリルアングラーもある意味轟天号的であった。
怪獣、と言えばグランセイザーのアケロン人の変化体などに代表されるように
やたら肩あたりに弱点がある怪獣も目立った。
スペースゴジラを彷彿とさせるものだが、三作揃ってそういった怪獣が出てきている。
セイザーXではデスバーやダークゲランがやはりそれぞれ過去作品オマージュと見做せるだろう。

あとは・・・ サービスというか「東宝作品なんだしそりゃそうだよね」と言えそうな要素として
「最強ロボが怪獣型」
というものもある意味サービスと言えるのだろうか。
ダイセイザーにせよジャスティカイザーにせよ、少なくとも当時の特撮ヒーローものにおいては
まず登場し得なかったタイプの巨大ロボとなったことは特筆しておきたい。


こうして羅列してみると、案外本シリーズも自分たちなりにサービスを盛り込んでいることがうかがい知れる。
ただ、怪獣や巨大ロボ、メカにしろ過去作品からの出演にせよ
「言われないと判らないけど、言われて見てもふーんとしか思えない」
というレベルで、自分含めた大多数の受け手から見做されているのが辛いところでもある。


例えば清水あすかに関してはいまだにネタ的に語られることは多いものの
当の未加そのものは「別に居なくてもよくね?」くらいにしか扱われていないのも事実。
#このあたりは、本シリーズで一部大人の視聴者から言われていた
#「超星神シリーズはヒロインがちょっとツラい」(一応表現を抑えています)という評価にも現れている。
#これは演出の仕方にも問題があると、個人的には思うのだが・・・。 事実セイザーXのレミーはかなりマトモに見られるものではあった。

もっとも、サイバーコップにせよガイファードにせよカルト的人気こそあれどヒーローものファンの大多数からは
「わりとどうでもいい作品」扱いされているフシもあるからだろうが・・・。
これはネット上でも、さほど内容を掘り下げて語られることがほぼ皆無であることにも現われている。
大体ネタっぽく見える部分だけで見られていることが原因ではあるが。


端的に言えば「サービスになっていないサービス」とでもいえてしまうのが、辛いところだ。



【機能していたとは言いづらい小シリーズ構成】

グランセイザーの個人的総評でも触れていたものであるが、本シリーズを特徴づける要素が
「1クールないし10数回で1区切りの小シリーズによる構成」
である。
これはセイザーXでは辛うじて機能していたとも言えるのだが、前二作を振り返るとお世辞にも褒められたものではなかった。

グランセイザーは第二部終盤にウォフ・マナフという組織の存在が明らかになるものの
これが具体的にどういった存在で、何故地球を付けねらうのかという部分がクローズアップされていったのが第四部。
細かな事を言えばウォフ・マナフ幹部の一人であるベルゼウスがその配下を使い宇宙制覇の第一歩として地球制圧に拘っていた。
だが、そうした要素は第三部を見る限り希薄である。
恐らくベルゼウスが逐一派遣した異星人たちなのだろうが、しかしストーリー展開上停滞感が強かったのは事実。
第三部終盤のオメガといい、第四部序盤のボスキートといい
もっと前から出せなかったのか?と首を捻らざるを得ない。

第一話から事あるごとに出てきた「超古代戦争の記録」にしても、その真相は
「地球を滅亡せんとした外宇宙勢力との戦い」 ではなく 「地球を滅亡させようとしたボスキートに対してウォフ・マナフが非常手段として武力介入した」 というものであった。
この転回は個人的にはよかったのだが、だからこそベルゼウスやボスキートはもうちょっと前から存在を匂わせておくべきだったようにも思う。
もっと言えば第一部のカリンがウォフ・マナフ関係者なのかどうかも、本編を見る限り曖昧な立ち位置なのも良くない。
#第四部に同族のルビーが登場しているものの。


ジャスティライザーは三部構成。 うち二部まではカイザーハデス編でもある。
今でも思うのは、三部全部カイザーハデスじゃダメなのか?という疑問。
いきなり現われたようにしか見えないダルガのせいで、ストーリーラインが一度分断されてしまっている。
もっともハデスだけでやりきったとしても、「過去の戦隊でも見た展開」と思われかねないのだが・・・。

ただ、ぽっと出のダルガをラスボス扱いするよりはまだハデスでやり続けてもらったほうが余程
見ているほうとしては乗れたのも事実。
第一部、自らの命を犠牲にしてまでもハデス復活に尽力したゾラと
第二部においてジャスティライザー抹殺のためにだけ動いたバッカスは一体何だったのだろう。
そう今でも思うくらいには、この展開に関しては拙いと感じる。
クロガネへの変化だってハデスであればもうちょっと納得は出来たように思う。
(微弱なジャスティパワーを吸収していたハデスの描写も考えると)

さらに、ストーリー展開も単調極まりない本作で小シリーズ構成を行う意味は全くなかったといえる。
それこそ戦隊みたいに複数幹部が最初から存在して、代わる代わる作戦指揮していたほうがわかりやすかったんじゃなかろうか。
基本一話完結のような作劇をしていた(ように見える)ジャスティライザーなのだから。


本シリーズのこうした構成手法の源流は、東宝作品に限れば「レインボーマン」まで遡れる。
しかし同作と本シリーズが似ても似つかないのは、一つの小シリーズの話の密度にも問題がある。
また、ボス自体や最終的な敵側の目的が終盤になってようやく明らかになるという構成が最大のネックだろう。
#もっともヒーローの戦いの淡白さに関してもレインボーマンから受け継いでいるといえなくも無いのだが・・・。


ところで、セイザーXだがこれについては「辛うじて小シリーズ構成が巧く行ってる気がする」程度の感想であることをお断りしておく。



【演出・文芸・プロデューサーをほぼ入れ替えることの功罪】

コレ自体は実は東映でも円谷でも起こっているものではある。
しかしこれらに関しては数年ローテーション内で固定化されたメンバーから年毎にちょっとずつ
新顔を入れるなどして、一見同じようで実は細かく異なるという「入れ替え方」をしている。

事実、東映作品なら新作発表の時、オタクはまず脚本家とプロデューサー、ついで監督に注目するのだが
放送開始後話数が進むにつれそれまで使われてない脚本家や監督が1回くらいは出てくることもある。
そうして次第に新世代のレギュラー化したり、あるいは突如今まで参加していなかった人間を起用するなどして
東映的には定期的に新しい水を入れ替えているようではある。
#長いシリーズだからできることである、ということを忘れてはいけないが。


さて本シリーズ。
今までの「考察?」ラベルの更新でも時折触れていたが、三作で共通したスタッフは数少ない。
まず東宝側プロデューサーは0、脚本家は稲葉一広と河田秀二、監督にいたっては池田敏春ただ一人。
一応上記三職以外は全作関わっている人は多いが、それは撮影そのものがある程度熟練してないとスムーズに進まないからというのも大きい。
それは本編・特技ともに変わったメンバーが少ないことから窺えるようである。
#強いて言えばグランセイザーだけ参加のなかの★陽(ストーリーボード)くらい


まったくの新参である本シリーズだが、グランセイザー、ジャスティライザー、セイザーXと
制作上必要な文芸・演出・製作統括の面々が共通していないせいもあってか
「超星神シリーズという作品としての、内容面でのウリ」
が全くといっていいほど確立できなかったのが未だにくやまれる。
「特撮だけはいい」は正直些細な部分である。
#ありていに言えば大多数の当時の視聴者にとって本シリーズとは、ヒーローものの王道的な東映・円谷作品のよさの再確認のためのフリになった、といわざるを得まい。
#非常に惜しいし、忸怩たる心境も自分のなかでは隠せないのだが。

せめてジャスティライザーからの釜秀樹プロデューサーが国防省を活かす方向で制作の舵を切れてたら・・・
もうちょっと独自なヒーローものになってたんじゃないのか、という思いは今なお強い。
グランセイザーは国防省がいいアクセントになってたことにレビュー時改めて気付いたからこそ、そう言いきるわけだが。
#プロデューサーが変わったと同時に「家族」の部分が強調されるようになったが、恐らく釜プロデューサーの指示なのだろう。
#セイザーXはともかく、ジャスティライザーでは地味すぎて機能していなかったが。

文芸面に関しては部分的に良いといえる話はあるが、全体的な話・・・ストーリー展開の上では
セイザーXは辛うじてどうにか見れるものになっていたが、
ジャスティライザーやグランセイザーはどうにも雑な展開という印象が強い。
グランセイザーは特に第三部が、ジャスティライザーはダルガにバトンタッチしたのが問題である。
特にジャスティライザーは、 「じゃあハデス存命時は問題ないの?」と言われそうなのだが
ゾラ編はステラプレートがらみがあまりに単純すぎたし
バッカス編は淡々と送り込まれる敵との一連の戦いのせいで話に単調さが出てしまっている。
#デモンナイトがらみのドラマで辛うじて助けられ・・・ てるとも言いがたいか。

ジャスティライザーは、当時の年長のオタク連中がそろいも揃ってレビューを投げてたのをよく覚えている。
グランセイザーこそある程度好意的だったりネタ的意味合いで見られたから救われている側面もあるが・・・。


演出面は村石監督と石井監督の悪印象が今でも強い。
前者はサイバーコップの時はまだマシだった気もするのだが、本シリーズにおいては
ただ広々とした印象しかないロングショットだったり、長いワンカットや
「モロにそのものを見せる演出手法」がどうにも野暮ったい印象を与えていた。
まあ後者も似たようなものだったが・・・。
石井監督が担当していたジャスティライザーは特に
(アクションコーディネイターの責任もあるとは思うが)
ある回での銃口主観のアングルや、スローを多用したアクションシーンなど
テンポを著しく削ぐ演出が目立ったのも良くなかった。

その二人が居なくなったセイザーXは、自分が指摘した要素は減少したため、見やすい作品になったのは事実だろう。
(特に謎のアングルやスローは激減。 それ以外は残っているが)
米田監督をはじめとした演出家全員、ある程度経験も積んだためだろう。
テレビドラマらしいテンポの良い演出にアジャストされていると言っていい。

演出面にも多少関わる部分として、戦闘時のロケーションの問題も大きい。
これは特にセイザーXに感じた。
グランセイザーやジャスティライザーこそある程度は東映作品とは違うロケーションを可能な限り模索しようとしていた痕跡は見えたのだが
セイザーXでは本格的に「採石場」を用いるようになったせいか戦隊シリーズと大差のない映像が増える。
その上で本シリーズ共通の「ワンカットが長い」「ヒキのカメラ多用」のせいで
戦隊以上にチープ感が強く出てしまっている戦闘シーンが目立っていた。


全体的に罪の部分が目立ったが、一応功の部分としては
セイザーXで林民夫や市野龍一といった面々を投入する決断を下したのは良かったとは思う。
#これがプロデューサー判断かどうかは保留。
市野はさておき、連続ドラマやアニメに慣れていた林を投入したのはいい判断である。
・・・ シリーズがどうせ終わるので冒険したのだろう、という見方も出来なくもないのが悲しいが。
現に企画当初から9ヶ月の放送期間しか与えられていなかったのだから。

この項目をまとめるならば
「プロデューサーから演出・脚本から一貫したスタッフがほぼ居ないせいで、シリーズの骨子を造り得なかった」
とも言いきろうか。
返す返す、国防省の扱いの雑さは残念だったし
グランセイザーの石井信彦プロデューサーが全部やってれば良かったのでは・・・と今でも思う。


【特技監督川北紘一・最後の大一番】

未だに本シリーズ評で見ることがある「特撮だけはいい」だが、生前川北が自伝で述べていたように
「東映の戦隊はロボ戦も本編が撮影することがあるので、特撮シーンがおざなり」
「平成ゴジラで培った特撮技術でいけば、東映作品につけこめる」
という分析・予測をしており、事実それはある程度成功はしている。
本シリーズ唯一の美点としかいえないくらいに。

もっとも川北自身、仕事の依頼については「一年だけなら考えたが、三年やると聞いたから」
「毎週やるテレビドラマはキツいが、考え方によっては特技演出などを数週かけて変化させることはできる」
などとのべている点を思うに、川北の中では
「新規である本シリーズのウリを特技で確立しないとダメだ」
くらいの気持ちはあったと推察できる。
そして、3年やるという当初の予定を遂行するには最低限自分が前面に出てアピールしていかないと、
ぐらいのことは考えていたのではないだろうか。
#事実、当時のグランセイザー発表時は「平成ゴジラの川北紘一」という点が強調もされていた。

川北自身の本シリーズの仕事も、当人が述べていたが
「相変わらず脚本勝手に変えて撮った」というように、プロデューサー側も、コナミ側も特に何も言わなかったと思われる。
#コナミに関しては自伝でも「何も言ってこなかった」と書いていた。

こうした川北の態度は、東映作品ファンや円谷作品ファンから見たら異常に見えるかもしれない。
しかし。

新規シリーズである本シリーズのスタッフを見ると、ほとんどヒーローものはおろか連続ドラマも
(当時は)不得手のメンツばかりだったことを思えば
最初から「迷走」する作品になるであろうことは明白だったろうし、
まして東宝は東映のように「主役至上主義に基づいたドラマ作り」という主義がない。
となれば、折角の新規シリーズであるし可能であれば続けられるように
川北だけは気合を入れていたのではないか・・・。
とは思う。
何せ川北自身が東宝を退職してすぐの仕事が本シリーズだったのだから。
フリーである以上、自分の仕事を出来るだけ確保できるように、自分の職能をフル活用したい気持ちがあるのは当然だろう。

以上の条件から考えるに、川北一人が本シリーズにおいて奮戦していたであろう結果が
未だに見られる「特撮だけは良い」の一点であることは異論は少ないんじゃないかと。


ただし、グランセイザーの時は第三部途中で息切れ(具体的にはユウヒ登場回まで)してしまった。
その反省からかジャスティライザーは街中ないし山中、たまに海とシチュエーションを狭めつつ
巨大戦の頻度を上げた代わりにクオリティも全話ブレることがなくなった。
レビューやジャスティライザー総評でも述べたように、セットを変えることで可能な限り変化を出していたことも忘れられないが、
セイザーXはさらにヒーローの戦闘と巨大戦の融合において、他社作品より優れた映像を残せたのは良かった。
唯一の宇宙戦・月面戦があるのも高ポイントである。


が。
特技の奮闘に対して本編はいささか及ばなかったというか、ヘタすると足を引っ張っていたとしか思えないほどに
お話もドラマも見るべきものに乏しかったのが悔やまれる。
ようやく調和しかかったセイザーXでシリーズ終了、なだけにこの無念も一入である。
川北がどこまで本編にも口出ししていたかは知らないが・・・。
#河田秀二のファンサイトに連載していた当時の日記で、ザリガン登場は川北の指示だったという由、書かれていたのだが・・・。


そして個人的には、川北の方針は半分支持できるが、今思うと残り半分は疑問であったと言える。
当時は全面的に支持していたのだが。
せめてプロデューサーや監督、できたらシリーズ構成側と一致団結していけてたら・・・。
セイザーXではそれができかかっていただけに、最初からそう出来ていたならと思うと無念である。
それは三作全部ご覧戴ければ、何故自分がそんな感想をいだくのかお分かりいただけるはずである。

何せグランセイザーもジャスティライザーも、連続テレビドラマとして受け手に対して何を見せたいのか不明瞭だったのだから。
セイザーXこそコスモカプセルという小道具を通じたストーリー・ドラマという軸はあったのだが。
その軸を中心に話が盛り上がってきたおかげで、特技側が良い映像を作ることに成功したのだから・・・。


【色々いいましたがⅡ】

ただ一点の好意的な評価「特撮だけは良い」という部分にまでメスをいれてみて
改めて思った。

特撮ドラマだから「特撮が良い」は最高の褒め言葉のはずなのだが
それだって前提としての、連続テレビドラマとしてのお話が良くなければ問題外であった。
地下に眠る川北には気の毒だが、特技だけが頑張っても仕方ないという例になってしまったと結論せざるを得ない。

だからこそ「迷走」という、以前の評価は覆りようがない。
一作ごとに作風が変わってしまった本編と
終始努力奮励していた特技のアンバランス。
最後のセイザーXでやっとバランスが取れてきつつあったものの・・・。


せめて

最初からスタッフがほぼ全員継続していたのなら
その上で特技と本編の調和が取れていたのなら
ストーリー・ドラマ面は順次強化しつつも、他社とは違う方向性を打ち出せていたのなら
グランセイザーを分析し良い点・悪い点を分析した上で次作以降に反省を活かせていたのなら

結果三作で終わっていたとしても、今のようなネタ的評価が全体的に支配してる状況とは異なった
もう少し多角的な評価が増えていたんじゃないかと残念でならない。