2018年7月1日日曜日

レインボーマンへの想いと衝撃と

以前、「超星神シリーズと特撮とオレ」シリーズの更新で述べたが
自分にとってこの「レインボーマン」という作品は特別な作品となっている。

東宝初のテレビヒーローものである本作は、原作を「月光仮面」の生みの親であり
東映初のテレビヒーローもの「七色仮面」の原作者でもある川内康範が手掛けている。
このへんの符合に対して触れるヒーローものオタクが少ないのが意外といえば意外ではあるが、さておき。



自分がレインボーマンと出会ったのが2000年。
1クールごとに展開される敵・死ね死ね団の日本壊滅作戦は、東映のヒーローものに慣れていた自分には大きな衝撃を持って迫ってきたのを今でも思い出す。

キャッツアイ作戦での、結局助かったかどうか定かでない中毒患者もそうだったのだが、
M作戦での贋札問題への対処と、遅々として進まないそれの裏で進むインフレーションの余波によって
国民が餓えに苦しみ暴徒と化す光景、
そして贋札工場と配布元を壊滅させたところで民衆の餓えを食い止められないヒーロー・レインボーマン。
有名な大臣への直訴シーンまでを含め、自分がヒーローものを見て一番衝撃を受けたのが21・22話であった。
正直ヒーローもので感動させられた唯一といっても過言ではない
なにせ「敵組織の作戦によって被害を受けた社会・民衆は、その敵を倒しても被害の後遺症が残る」
という展開に驚かされたのだから。
そして政府による食品の無償配給へ繋がる流れには全く圧倒されてしまった。
#22話冒頭の、空腹の乳飲み子を抱える若い母親と、米を我も我もと奪おうとする老婆にいくつかの皮肉を見出すことも出来うる。


モグラート作戦で人工的な災害によって日本の国際競争力および信頼を喪わせようという作戦が描かれる一方娯楽要素を高めてきたのもこのあたりからで
サイボーグ軍団編に至ってはゴッドイグアナが第三勢力よろしく登場、戦いは混迷の一途を辿るなど
今見返しても充分みごたえがある。
1年放送されるテレビヒーローものというのはどうしても同じような展開・似たような戦いなどを見せる傾向にあるため
ソフト化されても中々見返そうと思わないが、レインボーマンだけは例外的に年に一度はなにかしらの折に触れて見返している。


それだけ衝撃が未だに続いている。
始めて見たとき、「あ、ヒーローものってこういうことやっていいのか!?」という呆然とした感情が押し寄せたものであるが
これが十数年以上経った今ですら続いているのだから、つくづく自分にとって運命の出会いだったといってよろしい。


そして1クールごとに死ね死ね団の作戦が変わり、一作戦を丁寧に描写する作劇。
これこそ似たような構成は月光仮面でもやっているし、仮面の忍者赤影やアイアンキングでも試みられているものである。
ただ、月光仮面はさておき赤影ともアイアンキングとも違うのはストーリー・・・作戦進行をじっくり展開させていく点。
なにより死ね死ね団だけで四クール分の展開を通していることも忘れてはいけない。
その結果毎回違う敵キャラを出して戦わせるということがない分、敵側の作戦そのものに集中しやすいのが大きい。

その間隙を突くかのように主人公・ヤマトタケシとその周辺の人々のドラマも描かれている。
そしていわゆる怪人的キャラを毎回出さないことが幸いしてか、各作戦に観ている側も注力できるのも魅力だろう。
#殺人プロフェッショナルやDAC、ボーグαによるサイボーグ化というギミックも入り込むものの。

こう書き出すと意外と複雑な構成をしているレインボーマンだが、物語としては
「社会とヒーロー」という方向性を、結果的とはいえ打ち出していたことが何より目を引く。
大体においてヒーローものが「英雄と悪漢の抗争劇」にしかなり得ない(結果、ヒーローが守る世界や自分の周辺に関しては淡白になる)ことを思うと充分出色と言っていい。


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その反面、ヒーローであるレインボーマンの活躍はいまいち印象に残りにくい。
大体遠当ての術メイン、たまに太陽フラッシュかレインボーフラッシュ、
特殊な状況で天地稲妻落しやバリヤーを使って窮地を凌ぐくらいであり
飛び蹴りをかましたり光線を撃ち出す他社ヒーローと比べると、いかんせん地味に映りやすい難点があった。

ただこの欠点を補って余りあったのは「七変化」の要素。
今放送中のヒーローものにも形を変えて用いられているこの「ヒーローが状況に応じて姿に変えて戦う」という要素は
当時の子供にもインパクトが大きかったようだが、自分にとっても同様であった。
ダッシュ1が今でも好きなのは、エルバンダ戦で初披露した天地稲妻落しのせいである。
ヨガの奥義を究めた、ということで「蛇変化の術」も印象深い。
さらに後半の三化身を合体する奥義を得たことで、最終シリーズへの盛り上がりも充分得られている。
#ダッシュ7ベースではあるが。


死ね死ね団が東宝特撮ならではの、SF的科学力を駆使した秘密結社であることに対して
レインボーマン自体は「修行を積むことで得られた超人的能力」のみで戦うという対比も素晴らしい。
このあたりが本作をして「東洋的価値観の作品」と評される部分であろう。
能力を使い続ければ疲労し、ヨガの眠りを取らなければ戦いは続けられない。

死ね死ね団の追撃を逃れて眠りにつく一方、彼らの作戦は着実に進んでいく・・・。
そんなストーリー展開の妙にヤキモキもするが、実に理にかなっており面白い。
タケシがレインボーマンとして戦ったりパトロールしている間、母たみや妹みゆきを初めとした
周辺の人物のドラマも抜け目なく描くことで、結果的には死ね死ね団に蝕まれつつある
日本社会を描く、という作劇も個人的にはツボである。

たみとみゆきを襲えばいいのに、という突っ込みにあえて反論するならば
本作特有の「敵の日本壊滅作戦によって徐々に日本が蝕まれつつある状況」を、市井の人々代表として描くためにはどうしても必要な人物である。
他のヒーローもののように赤の他人達によってそれを描くよりは、ヒーローの身内を介して描いたほうが見る側としては入り込みやすい。
何せレインボーマン=タケシ自体が仲間らしい仲間もなく戦い続けなくてはならない為、
タケシの身を案じ、待ちながらも世の中の動向を描くための人物が、本作には必要だったのだ。
それにたみやみゆきも何度か死ね死ね団に襲われてもいるわけで。



死ね死ね団自体も贋札工場にモグラート、DAC、人間コピー機、ボーグαにサイボーグ女性幹部と
これらSF要素を、悪役として駆使して日本壊滅・レインボーマン抹殺を目論む
という、見方を変えると東宝が無茶しているようにも見える敵方の設定も魅力的である。
#東宝特撮映画と言えばSF要素も大きな柱であり、それをあえて敵に持ってきた点は興味深い。

もっとも普通に麻薬(キャッツアイ)を持ち出したりヤクザ(ヤッパの鉄など)を出してしまうあたり
東宝が子供向け番組に不慣れな分、似つかわしいものを躊躇無く持ち出してしまう点も微笑ましい。
鉄自身もヤクザ稼業から足を洗ったのちおでん屋や牛乳配達で汗水たらして働くなど、彼自身の描写もちょいちょい入れているあたり、
ヒーローものにしては珍しいくらい奥行きがある作品でもある。

奥行き、と言えばマー坊(M作戦編で拉致された源吉の孫)がモグラート編で爆死したり
同じくM作戦編で登場した大臣が、モグラート編でも協力したりと
しっかり地続きの社会と人々を描いている点は、えてしてゲストは一回こっきり、たまに二回出すことが多いこの手のドラマにしては
世界観をきっちり作りこんでいるという点においても異色である。
恐らく、正攻法で「連続ドラマ」を作っていたからだとは思うが。
# 一話完結に非ず。 1シリーズ13話かけてじっくり話の展開を描いている。


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実はこのレインボーマンを此処でレビューしたい、と思うようになっている。
具体的には2016年に入ってからのことだった。
本シリーズのレビューを終えた事で、個人的には一つの区切りやケジメを付けたのだが
もうひとつ。
本シリーズを見る原動力?というか、そこまで繋ぎとめる役割を果たしてくれた本作・レインボーマンをレビューしたくなった。
本当を言えばサイバーコップなどもやっておきたい。
しかし、まずは本作をレビューすることで、もう少しヒーローものを俯瞰して見ておきたい気もしている。
それに、なんとなくこの当時の川内氏の考えについてはある仮説が頭をもたげていたし・・・。
70年代という時代を考慮して、という前提もあるが。

本作サイボーグ軍団編におけるミスターKの問いかけに抗弁しきれなかったタケシが、
ザンボット3の最終回、ガイゾックの問いかけに対して同じく反論し得なかった勝平とオーバーラップしている。
これが、個人的な仮説を生み出すキッカケとなっているとだけ申し上げておく。


そんなわけで、時間的余裕という準備を整え次第レインボーマンレビューへ移行しようと思う。
多分blogタイトルもそこで変わるかも知れない。