2018年7月27日金曜日

日本における特撮の扱われ方を考えておく(試みの①)

ドリームプラネットジャパン社がYoutubeで上げている「装甲巨人ガンボット」のインタビュー映像を今更観た。
本シリーズおよびヒーローものにしか興味がない人には判らないだろうが、この作品は川北紘一最期の映像作品である。


もともとは大阪芸術大学・映像学科の課題として作られていたものであり
学科長の大森一樹との縁もあってか川北が同大学に講師として招聘されていた流れで
川北自身も演出に関わることになったのが本作である。

インタビューは、元々DVDに収録されていたものをドリームプラネットジャパン社が(おそらく権利者だからとは思うが)UPしたもので
インタビューを受けているのは大森一樹。2015年に収録したものであろうか。
ここでは川北が大阪芸術大学に招かれた経緯と、ガンボットが出来上がるまでの過程としての
講義の盛況ぶりなどを振り返っていた。
ガンボット本編の演出そのものについても大森がいくつか述べている部分もある。
そしてなによりメイキングも交えているのが興味深い。

本作メイキングは大阪芸術大学キャンパス内に作られたオープンセット撮影の映像が多く、
あとはグリーンバック合成用のセット内映像も織り交ぜられている。
このオープンセット撮影の映像だが、使われているものはオープンキャンパス時の撮影が多く
当然一般の見学者も多かった。
大森曰く、本作とその一年前の作品で試みたオープンキャンパスで見せた撮影風景の評判が高かったそうである。

本作インタビューで述べていた大森のコメントが印象深い。
※以下の要約は大津
撮影所が無くなった今、芸大で特撮の技術を継承する流れになっていった現代において特撮技術の継承は映像学科のある大学の使命なんじゃないかと思った」


この話は東宝を踏まえていることに注意を要する上に、ここで指している撮影所は
スタジオそのものではなく特技を受けもつ部署自体であることを念頭に入れないと
特に円谷・東映しか知らないオタク諸氏は混乱するはずである。
#現在もスタジオ自体は東宝にはあるが、特技の部署はない。

これは中々考えるところが多い気がする。
インタビューでは「日本独特の特撮技術というもの」と大森は述べていたが
これは主に特撮全般のオタクが言いがちな「日本独自の特撮は伝統芸能的」という部分にも通じている。
その言葉には勿論、ハリウッドをはじめとした海外映画のSFX・VFXとの比較が入っている。
#もっともこれもいくらか誤解があるそうで、特にハリウッドでは特撮関係の技術はある程度まで継承されているそうな。

「ガンボット」がそうだったように、日本における特撮と言うと大抵が街並みをセットで再現したミニチュアを用いた
怪獣もの・巨大ヒーローものという形を思い浮かべられることが多い。
これはオタク以外においてもそうだが、 あとは着ぐるみも話に加わる。
着ぐるみまで来ると当然仮面ライダー他の巨大じゃないヒーローまで入ってくるため、
そこらの最小公約数的な部分で言えば
「日本の特撮=着ぐるみ」
という答えが成立してしまいがちなのはなんとも言えない。
実際そういう認識の人は多かろう。

大体日本の特撮映画やドラマの歴史を調べてみれば、別に着ぐるみのない特撮作品はある。
あるのだがどうしても日本特撮作品=着ぐるみの印象が先行してしまうのがネックではある。
本当はこのへんもっと突っ込みたいのだが、纏まりも悪いのでひとまずこの辺で止めて置く。


伝統芸能的に扱われやすい日本の特撮技術に話を戻す。

さてこの問題、実際に伝統芸能として扱われている歌舞伎や能、そして落語などを考えても判るが
こうしたものは、特に実際見ていない人間ほど印象論として
「なんかよく判んないけど、日本らしくていいんじゃないの」
というゾンザイな扱いをされてしまいがちな難点がある。
悪けりゃ「なんかよく判んないけど、古臭いよね」である。
いずれにしても「なんかよく判んないけど」で判断されてしまうのがネック。
実際歌舞伎も落語も現代人に受け入れられるべく色々苦心しているのは、それぞれに触れてみたら判るのだが。
能ですら現代の社会の脈絡からくる問題意識を織り込んだものが作られている(無明の井)


大森自身はどういう意図で「日本独特の特撮技術」としたのかは判らない。
ひょっとしたらよくありがちな、受け手と送り手のギャップの問題もあるかも知れない。
とはいえ、個人的には成果物をもって商売をせざるを得ない映画会社などによる特撮作品制作よりは、
学問として特撮映像技術を継承していくことで、より日本特撮というものは突然変異込みで変化・進化していくんじゃないかという気がする。
実際に作品を卒業制作などで作るともなれば、もちろん学生達はそれまで自分たちがみてきた商業作品たちを念頭に置きつつ
自分たちのオリジナリティを出そうと色々工夫もするだろう。
それは主に特撮演出の部分において成されるのが理想ではある。

だが基準がなければ、オリジナリティも出しようが無い。
何故ならオリジナリティを出すための批判対象としての「過去の作品群」が、どうしても下敷きにならざるを得ないから。
言っておくと、オマージュしろと言ってなくて、むしろ別。
オマージュなんて散々商業作品でやってるじゃないですか。 それを学生がやってたらアナタ、若さ特有の柔軟さがないってことになるでしょ。
おっさんおばさんたちがとっくにやってることを、なんで若い人たちもやらにゃいかんの。

過去作品を踏まえろというのは、過去においてどういった映像演出がなされていたのか、
自分たち今の時代の若手として、どうした工夫が加えられるのか、
あるいは作品内容を踏まえて、過去はこういう演出をなされていたが今ならどうするのか・・・
実はこういう工夫などは、技術などは当然学生は学校で覚えているとしても
成果物としての作品に対して創意工夫をする余裕は、商売でやるよりはまだ多い気がする。
無論まあ、観客を楽しませるという最低限のラインは必要だが。


なんでもそうだが、技術の話だけをするのなら、実は商売にしてしまったほうが覚えるのは速い。
それで食っていかなきゃいけない以上はどうしてもそうなる。
ただ下地として、学生時代いかに何かを習得できていたかは問題にはなる。
スポーツなら自分の得意なスポーツにどれだけ精通しているのか。
音楽なら自分のパート楽器をどれだけ扱えるのか。
絵ならどのような画風で、どこまでの画材が扱えた上で絵を描けるのか。
もちろんこれら芸事全般でなくともいいわけだが、企業勤めや自営業などだと話はややちがって
「いかに会社で求められている作業・技術を習熟できて、いかにそれを用いて業務を遂行できるか」
というところが焦点となり、当然これも学生時代の勉学や過ごし方が下地となる。

芸事全般で言えば、若い頃からの下地の築き方が問題となりやすく、
企業勤めなどで考えると、就業後どこまで仕事を遂行できそうか判断するための学力や教養が下地になりやすいと言える。
#もっとも芸事については、実のところ家庭の文化的脈絡が強く出やすいので何ともいえない。
#二代目三代目のクリエイターが居ることを考えれば判りそうなものだ。
その上で、職業にしてしまったほうが技術そのものは覚えられるというわけ。
ただし仕事の中での工夫などといった部分となるとまた別で、これは理論家というか基礎研究の領域となってくるので、技術とは基本分離されやすい。
特撮映像においてもここらへんの話は、実は大きな問題になってるんじゃないかと思わなくもない。


熱くなったために脱線をしてしまった。 話を戻す。

ゆくゆく商売にするにせよ、しないにせよ、学生のほぼ真っ白な感性そのままに学術的な研究もしつつ、技術を覚えながら
成果物ではその感性をベースに技術を利用・変化させていけるなら
日本の特撮映像というものはまだまだ捨てたものじゃないんじゃなかろうか。

大阪芸大の学生たちに限らない話だが、個人的には若い人たちには技術におぼれ、とらわれて欲しくない。 
そんな社会人はこの日本、どの業界にも掃いて捨てるほど居るのだから。
この感性・学術・技術という矛盾するものをうまく自分の中で統合して、この世の中をしなやかに生きてもらいたい。
たとえ伝統芸能的に扱われる特撮技術というものであっても、我々受け手も想像が付かない(あるいはありきたりすぎて思考硬直・停止している部分を壊すような)モノを
過去の特撮技術の継承を踏まえて、新しい見せ方や切り口、発明を行うことで新時代の開拓をしていって欲しい。
大学という場所は本来そういうことが出来る場所なのだから。
ワガママだろうか?



ということを、大森一樹インタビューを見返しては思ったものであった。
なお、2015年以降は東映と縁の深い特撮研究所の面々(佛田、尾上、三池)を客員講師に招き
特撮映像の講義自体を継続しているということを大森自らが語っていたことを最後に記しておく。
これも、時代と言えば時代だろう。


大学という学術研究の場は、タイムリミットというものがある。
3、4年程度では自分が先ほど言ったような希望が中々かなえられないかもしれないが
それはそうとして、今は亡きある数学者が言った言葉をいくつか書いてこの更新を終えておく。

「学生というものはムダが出来るからええねん。 ムダなことするくらいええことはない」
「わからんことを、頭の中で飼っておけ。 時間のかかった理解には君だけの深みがある」
「そもそも学校で習ったことが10年20年も後の未来でも通用したら怖いぞ。 世の中なんも変化しとらんということになる」
「オレは「ボク努力しました」なんてのは認めん。 結果でしか判断せん」
※要約。