2018年8月15日水曜日

オールドウェーブVSニューウェーブ ~特技監督・川北紘一Ⅱ~

今回の更新は、久々に川北の手掛けた平成VSシリーズなどを見返して感じた諸々・・・
まあ具体的には他作品との比較を交えた、個人的評価ということなのだが・・・
を、つらつらと書いておきたい。


平成VSシリーズ・・・川北がゴジラシリーズ四代目特技監督として就任することになった
「ビオランテ」~「デストロイア」の全6作を指す言葉ではある。
#シリーズの起点は「84ゴジラ」なのだが、昭和な上に特技監督が中野昭慶であるため、切り分けられがち。

最近全作を見返し、さらに「ガンヘッド」も観ていて、ふっと気付いたことがある。
このあたりは既に当時のオタク連中も指摘している部分もあるかもしれないが、
幸か不幸か自分は世代が違っているため、あまり気にせずに話を進める。


超星神シリーズの頃にはあまり感じなかったが、ゴジラシリーズをはじめとした映画作品となると
「川北自身が客に見せたいもの」に関してはともかく、それ以外の部分は
酷く手を抜く・・・というか、「もろにそのもの」な映像が多いように思う。

例えばゴジラをはじめとした怪獣たちが各都市を破壊しながら移動するというシーン。
怪獣と破壊されるセットを奥に、手前には実景でのエキストラが逃げ惑うカットを多用するのだが
コレ自体が特に東映の戦隊シリーズでしょっちゅう見かけた構図なせいで
「まあ怪獣が暴れてるわね」程度の印象しか与えられていない。
#戦隊の場合だと巨大化した怪人を奥、手前にヒーロー。
#もっともギンガマンあたりから「カメラ手前に巨大化したらしい怪人の脚や手にアクションさせ、だいぶ奥にヒーローにリアクションを取らせる」という工夫を、東映側もやっている。
#これの難点は縮尺がメタメタかつ、冷静に見たら単なるカメラトリックなのだが、ぱっと見の迫力だけはある。

この時特に、キングギドラやラドンといった飛行型怪獣は本当に安直感が否めないカットも多い。
空を飛ぶ怪獣が、街に影を落とすというカットや
街の上空をギリギリの高さで通過すると、ソニックブームか何かで地上が爆発するというカット。
これは他作品ではあんまり見なかったハズだが、とはいえどうも「もろにそのもの」感は拭えない。
後者は、ただ通過するだけじゃなんだから・・・という事なのかもしれないが。
「VSモスラ」でも、夜景をバックに飛び立つモスラ成虫はもろに合成であり、これも安直。


「川北自身が客に見せたいもの」は、当然ながらゴジラと怪獣の戦闘であろう。
特に最終決戦。
「デストロイア」だけはゴジラの自滅にウェイトが行っていたがこれはテーマを考えたら仕方ない。
それ自体は特に文句は無いし、実際の映像も「光線ばっか」と揶揄りたく気持ちは判るが
これはこれで自分は嫌いじゃない。
あんまりヒネリがない気も確かにせんでもないが。

最終決戦に関してだけ言えば、それぞれタイトルに冠されているメイン怪獣の対峙に至るまで
毎回何がしかの変化を加えているのはわかる。
ビオランテの反省を踏まえて「まず撮りたい物から先に撮る」という方針通りにやっているから
そうする余裕もできたのだろう。
#もちろん脚本が上がってきてから撮っているのだろうが。
ゴジラの前座になってしまう怪獣がいたり、共同戦線を張る怪獣?がいたり、シーンそのものにも工夫を凝らしてもいる。


が、撮りたい物から先に撮ってしまえば良いという方針はさておき
その後撮らないといけないカットやシーンについては、先ほど指摘した箇所において
酷く手抜き感を覚えてしまうものがあるせいか、全体的にはボトムヘビーな映画、という印象も強い。
最終決戦の、前座的になってしまう怪獣やら共同戦線やらも、よく考えたら昭和のシリーズでも見かけたものではあった。
#関係性は一応、呉越同舟的にしてみたりの変化は入れているが。

思い出という、否定したり排除できない要素をあえて無視してありのままで評価すると
「割と昔からやってることをベタにやってるだけ」
と言えなくもないが、ただし
「その時の最新技術を取り入れたり、蓄積された技能を踏まえて新しいことをやろうとしている」
のも事実としてある。

無論ストーリー面として、シリーズ唯一の長期的に同じ世界設定・物語で進行させている
という大きな変化がVSシリーズを下支えしている事実も忘れてはならない。
#もっとも、全部追いかけなくても別段問題ないようなつくりになっているのはツメが甘い気はするが。
#キングギドラ~デストロイアまで毎年やっている上に文芸・本編演出が毎回のように代わってるから仕方ないのだろう。


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自分でも判るレベルの特徴に触れてみて感じたこととしては、
他作品でもやってるようなことを躊躇なく取り入れてしまっている点がまず一つ。
先ほども指摘したが、具体的には東映の戦隊シリーズで散々みた構図。
巨大化怪人がセットで暴れている映像を奥に、実景でリアクションしているヒーローが手前という映像は、作品ごとに徐々に工夫を入れて多少の変化を加えているものの
「毎週ルーチンワークで見せる巨大戦への流れ」として刷り込まれている側としては
当時も今も、VSシリーズにおける怪獣たちの出現と、逃げる群衆というカットには
どうにもデジャヴばかり先行して仕方がなかった。

街中で怪獣が暴れるシーン自体が、川北があまり興味のないシーンだからだろう。
と、断言できる。
ちょっとしたカットではそこそこ印象的なものを見せたりもするのだが。


最終決戦以外の、こまごまとした怪獣の関わってくるシーン・カットについては、実のところ平成ガメラシリーズのほうがまだ観れるものを提示できている。
この当時までの東宝特撮(=怪獣映画)にありがちな「でかい街のセットを組んだ上で演出をする」という形から脱却しているせいもある。
見せたいカットに関してだけセットを組み、カメラワークで工夫をする。
テレビ的といえばテレビ的とも言える。
ただセットの緻密さでだいぶ差異は出せていた。
ガメラと敵怪獣との戦闘においてもアオリの多用が迫力を生みもしていた。
あとはムリにミニチュアのビルとミニチュアのメカを組み合わせないというのもある。
結果、映画全体を見ると(本編はさておいて)特撮映画としては、特に平成ガメラは完成度を高めているようだ。

そして川北に話を戻すと。
怪獣を迎え撃つ自衛隊の戦車のミニチュアなども、よーく見るとビルや街路樹のそれに対しての縮尺がメチャクチャになっていたり。
VSシリーズで巨大化したゴジラ他怪獣のサイズにセットの縮尺を合わせたのなら
戦車もそれに合わせておくべきだったのだが・・・。それのせいで
元来超兵器であるメーサーまでおかしく見えてしまう。
この問題は「VSデストロイア」までそのまま残されてしまっている。

「メカの川北」と言われているものの、どうもカンジンのセットとメカミニチュアとの齟齬が
「VSキングギドラ」から徐々に目立ち始めている。


テレビと言えば東映の戦隊においても、あからさまにメカゴジラを意識していたドラゴンシーザーの、その登場シークエンスの演出も
やはりゴジラ的なものを、東映側でいくらか咀嚼した上でよりかっこよく見せる工夫をしていたり
はっきり当時のVSシリーズを意識したような映像を特撮スタッフ側で作っていたんじゃなかろうか。
もっとも東映の場合は「毎週見せるテレビ番組」「基本的に凝った特撮はバンク前提で撮る」という方向・方針の違いもあるのだが。

円谷のウルトラマングレートも実際に特撮撮影を担当したスタッフの工夫をひしひしと感じる。
セットもテレビ放送のものとしては細かいし、
なによりオープンセット撮影を多く織り交ぜた巨大戦の映像は個人的にはショッキングではあった。
オーストラリアでの撮影というのが結果的にはプラスに働いていたと言える。

VSシリーズの後となるミレニアムシリーズでも、先ほど挙げたように
怪獣が街中で暴れるシーンについては、VSシリーズよりは目を引くカットがあった。
評価の低い「メガギラス」ですら個人的に悪くないカットはいくつかあった。


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他作品との比較、ということでこまごましたところに触れるとキリがないので、
ここからは個人的に外せない要点を述べておく。
これは「まあそりゃそうでしょうね」としか言われようのないものであるが。

円谷は外国人スタッフ(ポール・ニコラ他)が先述のグレートを担当。パワードもアメリカのスタッフを起用していた。
平成三部作でも川崎郷太や八木毅が特技で参加するなど、世代交代の萌芽が見え出している。
東映は1990年から今に至るまで戦隊や平成ライダーを担当している佛田洋。
平成ガメラでは、「84ゴジラ」当時アルバイトスタッフだったという樋口真嗣。
ミレニアムシリーズでは、東宝の現場から去った川北の後をついだ鈴木健二をはじめ、神谷誠、菊池雄一、浅田英一とスタッフの入れ替えがゴジラの小シリーズとしては最も著しい。


と、まず自分が先ほど比較で挙げた作品達を手掛けた特撮監督を羅列してみると
グレートおよびパワードは外国のスタッフメインなので除外するとして、
それ以外(つまり日本人スタッフ)は全員が戦後生まれ、さらに言えば浅田以外は全員1960年以降の生まれである。
川北との比較で考えても20年近い年齢差があるメンツが出揃っている。

そう、川北にとって90年代のVSシリーズは「若い世代の台頭に直面してしまった」時代の作品であった。
直後のミレニアムシリーズを考えても特技演出の世代が分断しているのは明白。
(浅田のみ川北との年齢差は数年でしかないが)


生前、川北が90年代の特撮シーンをどう概観していたのかは知らない。
が、日本国内に限定しても既に自分以外の世代が特撮作品を手掛け、担っていく状況が現出していたわけで
スタッフ個別とはどういう関係性で、どういう感想を持っていたかはさておいても
川北当人にはいくらか油断があったのではないかと言える。

「特撮魂」によると樋口に対して川北は「リアル志向で行くってことは、その時点で本物、リアルじゃないから難しいだろ?」というような事を言っていたという。
このあたりの禅問答的問いかけに樋口がどう答えたかは知らない。
が、自分はこの川北の態度にはいくらか余裕のポーズを見せようとしていたのかな?とも思う。


事実、90年代の特撮シーンをオタク視点・マニア視点で見ようとすれば
日本の作品ではまず平成ガメラシリーズの名前が挙がる。
これはVSシリーズがありきたりすぎる(と、彼らに映った)が故の反動の部分は勿論ある。
それ以上に、川北とは明らかに違うセンスの映像を評価しているのもある。

おおざっぱに切り分けてしまえば、川北が見せたものは何処まで行っても
「より豪華に、より煌びやかになった昭和特撮」というものであり、
樋口たち新世代が見せたものは「平成を冠するに相応しいであろう特撮映像」となろうか。


世代差というのは残念ながらある。
クリエイターに限らずあらゆる分野において、自分たちの生まれ育った脈絡から逃れ得ない。
そういう意味では、川北は既に「昔の人」に片足突っ込んでいた状態だったと言える。
事実、生前の円谷英二の下で仕事をしていた一人と言えば充分古い世代だ。
東宝特撮映画を語る際によく言われる「大きなスタジオ内に巨大なセットを組んで特撮演出を行う」
という手法が、川北まで刷り込まれていたと見ても間違いないだろう。
無論自負もあった。
#このあたりは、「特撮魂」で劇場版セイザーXの特撮を演出した際の感想によく現れている。
#その時は昔よりずっと狭いセットで演出していた、とか。

90年代の特撮シーンにおいては、既に古きよき東宝特撮映画の製作手法が陳腐化していたと言えてしまうところはあった。



樋口にしろ佛田にしろ、鈴木健二たちにせよ
若い当人たちの周りには競合する娯楽たちの世代交代や台頭が著しかった。
TVドラマでもいい。アニメでもいい。漫画でもいい。音楽でもいい。
和洋を問わず、である。
ビデオゲームという新娯楽の台頭も抜きには語れないだろう。
特撮だけ、に凝り固まっていては絶対に彼らは登場しようがなかったろう。
無論学問の進歩というものだってある。
本人達がどう思うかはさておいても、そうした周辺の環境が自分たちのセンスに少なからず土台として作用していてもおかしくない。

が、そうした「新しい世代の台頭する世界」には当然ながら川北も存在していた。
これまた当たり前だが、新しいものが川北自身にいくらか影響してきたのも事実だろう。
新技術以外の、映像の作家性にかかわってくる「センス」へ影響を及ぼす諸々。
だがその影響も、川北だけに限って言えば恐らく「ガンヘッド」までだったんじゃないかと。
「ビオランテ」は多少落ち着いた頃で、「キングギドラ」以降は映像作家として・・・というより
東宝生え抜きの社員監督として、興行を考えざるを得ない立場にシフトしてしまったせいで
映像的にはよくも悪くも落ち着いてしまったのではないか。
このへんは、川北自身のセンスの更新にも悪い影響を与えていたんじゃないだろうか。


そこへ、過去の自分たちを恐らく踏まえつつも、新しい世代が彼らの時代性に裏打ちされたセンスで台頭してくる。
川北にとってはいくらか複雑な想いがあったのじゃないか。

「オレはファミリー向けの映画をやってる。 樋口はマニア向けの映画をやっている」
くらいの開き直りを終始貫いていれば、それはそれで評価されていたのかも知れない。
が、それは特撮映画、しかも怪獣映画という非常に狭いジャンルにおいて取る態度ではあるまい。
前述した川北の樋口への問いかけには、婉曲的ながら世代間の断絶もいくらかある。
これはもうしようがあるまい。
誰でも通る道だ。


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漫才コンビのダウンタウン・松本人志が「オレらは20代の若い連中にだけ通じる笑いをやってきた」と、以前述べていた。
そしてそれは事実当たり、「90年代を代表する」芸人にまで上り詰めた。
おそらく樋口のみならず、平成ガメラを手掛けたスタッフも似たような心理だったろう。
それはVSシリーズという、明確に違う価値観で作られた作品があってこそ。
「90年代を代表する」特撮作品として未だに名前が挙がる事実が物語っている。
そういや奇しくも年代が近いからね、彼ら。

ではファミリー向けだったVSシリーズがダメだったのか?
それはノーだ。
あくまでリアリティと娯楽性を、自分たちの感性の中で実現させた平成ガメラシリーズと違い
「ミニチュアのくそリアリズム」を川北が信じてやりきった平成VSシリーズ。
そしてそもそものターゲットも異なる(で、あろう)両シリーズ。
結果的に個々に世界を連続させた両シリーズとはいえ、作風すら違うのだから。


今、90年代の特撮作品事情を俯瞰してみると 世代の対決 という観点は間違いなくあった。
オールドウェーブとしてただ一人、一見マイペースに仕事をしていた川北にも
いくらかニューウェーブである樋口たちの仕事には思うこともあったのだろう。


円谷の平成ウルトラ三部作で活躍していた高野宏一、大岡新一、佐川和夫といった自分とほぼ近い年代の面々に遅れること2003年。
ようやく連続テレビヒーロードラマシリーズにて、特技監督を務めた川北紘一。
東宝生え抜き・最後の特技監督としてのプライドは、初めての連続テレビ作品での特技演出という慣れない状況に対して内心辟易もしていたのかも知れない。
その分、現場での最後の輝きを映像として残した充実感もあったのは間違いない。


最近、最晩年の川北の顔写真を見直す機会があった。
随分やつれた。
ファミ通か何かのインタビュー記事だったはずだ。
ガンボット撮影時の映像では、老けたといえどもまだそこそこ元気そうに見えたのだが。
思った以上に、川北を病魔が蝕むスピードが速かったのか。
しかし特撮に関わった人間の晩年としては、川北はかなり恵まれていた部類なんじゃないかと自分は思う。
内情はわからないが、独立して会社を立ち上げ、映像作品にも携わり、過去作品関係で度々顔を出すことも多かった。

青年時代から特撮で突っ走ってきた人間は、夢の惑星でも何かをやっているに違いない。