2018年8月18日土曜日

ヒーロー物番組のノウハウ・素人視点

久々に本シリーズがらみ?の更新をする気になったので、する。

今回は東宝と東映の差として一番大きい「ジャンルモノを作り続けていることからくるノウハウ」
を、素人視点で分析?してみようというもの。
ひさびさに長いので注意されたい。


そもそも東映が現代的なヒーローものを作り出したのはいつからか、と問えば
実に「七色仮面」までさかのぼる必要がある。
そして「変身」という要素・・・ つまりヒーロー自体が姿かたちを変えることを前面に押し出した
「仮面ライダー」を中興の祖として以降、集団ヒーローとなる「秘密戦隊ゴレンジャー」や
コメディものとなる「がんばれ!ロボコン」などの多彩な顔ぶれをそろえるようになったのが70年代。

※変身はウルトラマン、コメディは快獣ブースカと、円谷が先ではあるが今回は東宝と東映だけに的を絞ったためこういう表記になったことをお断りしておく。


少なくとも半世紀以上の期間、現在に至るまでヒーロー物をテレビ向けに制作し続けているのが東映である。
となれば、時代の要請・・・ ここではスポンサーを指すが ・・・ に応じた番組作りをしているであろうことは想像に難くなく
80年代以降は「ただ変身して敵をやっつければ、子供がずっと見ているとは限らない」という認識を
東映サイドが持ちえていたのではないか。
この危機感というか問題意識は、当然スポンサーのバンダイや各テレビ局においても共有されている、と自分は見ている。


本シリーズの考察でも散々述べたが、ヒーロー物と言うジャンルはドラマとして見れば特殊極まりない。
「専守防衛」という作劇が不可避でもある以上、その一話ごとの話のバリエーションは非常に限定されがち。
そうしたわけで、その時々で流行っている物事や製作者の好みやフェチズムを作品に投影しておくことで、辛うじてバリエーションらしきものを持たせることに成功している。
自社のヒーローものに対する批判的な見方を押し出して当たった平成ライダーも2000年代中盤以降は
皮肉にも、自縄自縛感も出たり一種のパターン感が出てしまっているのも事実。
これはまあ、90年代以前の東映作品でもあったので仕方ない。
シリーズ化の避けがたい問題ではある。


年長の視聴者と本来のターゲットである幼少の視聴者を同時打ちすることに良くも悪くも慣れている東映だが、
実はこれは、ノウハウとしてはだいぶ特殊化されていると言っていい。
というのも、ストーリーやドラマを追う事にさほど慣れてない幼少期はえてしてヒーローの戦いさえ見ることが出来れば良いという傾向になりやすい。
が、年長・・・ 具体的に言えば小学校高学年以降の年齢層になるが、こうなってくれば
大体物語やキャラクタードラマ自体に注目してみるという視点を持ちえてくる。

自分が、東映が器用だと思うのはライダーにせよ戦隊にせよ、基本は幼少の視聴者に向いているのだが
彼らは大抵飽きっぽいという事実を、実はしっているんじゃないか?と思える作品構成をしているように見える点を感じるから。

恐らくヒーローが変身したり巨大ロボが出てきて敵をやっつけるシーン以外はあんまり覚えてない子供のほうが多いだろう。
誰が何に変身するかは判ってても、なんで戦うの?という疑問で止まる子だって多い。
実際自分もそうだった。
ただ悪そうな見た目と発言だから悪者、という感じ。 あんま今の作品も変わらなさそうだが。

が、ヒーローの活躍そのものは楽しみにしてみていたのは揺るがせない事実である。
でなきゃヒーローものなんて見るわけがない。


東映のノウハウという所に話を戻すと、
子供が飽きてくるであろうタイミングで、新しいロボやヒーロー、ヒーローの別の姿などを
逐一投入しているが故に、幼少の視聴者の注目度をたえず復活させ続けているんじゃないか。
今のライダーや戦隊は、自分が玩具売り場やなんかで新商品を見ている限りでも
月に一度は何かしらの形で新商品を出していることに、ここ10年以上気付いていた。
内実に深く入り込む気も無いのでこのへんに留めておくが、
これはバンダイ側の意向ももちろん無視できまい。
何せ年長の視聴者も買いあさってくれるわけだから。
#ただ、毎年100億ライダー、戦隊で別途売り上げてるというが、その時々の新作品の関連商品だけで売り切ってるのかどうかがわかり難い。

なんせ東映自体が、後追いで調べても判るレベルで番組の試行錯誤を続けている。
オタクが俗に言う「てこ入れ」という奴だが、これが特に強かったのが「ロボット8ちゃん」だったというのは少々驚いた。
コメディものとはいえ、東映が手を抜いていないと言える部分ではある。
予断はあっただろうが・・・ ロボコンと同じような感覚じゃダメで、徹底的に変えたということだろう。
8ちゃんの声優を変えたというのがなによりの証拠といえる。

この8ちゃん以降、東映側は戦隊やメタルヒーローなどでも
中々うまく視聴者が乗ってくれない作品にメスを入れることに躊躇がなくなったんじゃないかと。
と同時に、いかに飽きっぽい・乗りにくい子供を乗せることが出来るかという研究は
東映なりに行っているんじゃないかと思う。
それは、時代ごとに異なる作風・・・これは脚本家や監督の代替わりが大きく影響しているが、これを下支えする土台としてのノウハウが存在しているのではなかろうか。


東映作品の、そうしたノウハウの完成形の一つと見做せそうなのが「特警ウインスペクター」である。
ほぼ1クールごとに何かしらの新味を、新アイテムにせよ作劇にせよ出していた。
ファイヤースコードへの変形追加、ギガストリーマー、四国ロケ篇、最終回の、ソルブレインへ繋がっていくその作劇・・・。

ロケ篇自体はWSPの前からライダーや戦隊でも積極的に採用していたし、その戦隊でも「超新星フラッシュマン」が、やはりノウハウのルーツの一つといえそうな要素を持っている。
ようするに、子供でもわかるレベルの注目点を置いていることだろう。
特にWSPは約1クールに一回は先ほど挙げたイベントを差し込むことで、
3ヶ月に一度は視聴者の目を改めて向けさせるようになっているわけ。

大体自分も覚えているのがその4つだったのを思うと、効果は絶大だったんじゃないだろうか。
#WSPは基本的に完全なまでに一話完結型だったからこう出来た、ともいえそう。


現代の東映作品では恐らく一ヶ月に一度は子供が飽きないようにする工夫をしているんじゃないだろうか?と思う。
それは先ほどあげた、玩具売り場の状況から見てそう感じられる。
子供の世界も忙しない時代となったものである。

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で、拙blogの主役である本シリーズと東宝はどうなのか。
ほんとに微妙なんだな。 これが。

グランセイザーの12人は第二部で早々に揃うし、ダイセイザーもここで登場するし、
ユウヒが第三部、そして超古代の戦争の真実が明らかになる第四部。
第一部は策謀によるグランセイザー同士の戦いがあったものの、こうして四半期ごとの
注目点を並べてみてもお世辞にも面白そうには思えないという。

ジャスティライザーは三シリーズ構成だったが、それだって第一部のカイザーハデス復活と三大幻星神登場、第二部のシロガネとデモンナイト登場にジャスティカイザー登場、
第三部の、ハデスから魔神ダルガへのバトンタッチに国防省登場、元グランセイザー登場と、どうもパンチに欠ける。

セイザーXに至っては三大流星神とゆかいなコスモカプセル争奪戦の第一部、
ネオデスカルの尖兵ガレイドとジャッカル、シャーク艦長の合流による混戦を描いた第二部、
ネオデスカルの策謀とセイザーXの戦いの真意が明らかになった第三部。
セイザーXはコスモカプセル争奪がストーリーラインとして機能していたのが、今となってはややアダになっている気もする。


これを東映作品たちと比較して考えてみると、
巨大戦で〆る小シリーズ構成をとっている本シリーズは、本放送時点の戦隊やライダーと比べても
シメに至るまでの話がややダレやすい傾向があった。
セイザーXは年長者の視聴者が多く支持していたと自分は見ているが、それはそもそも
年長者はストーリーやドラマを見て判断する観点が備わっているからである。
そうした見方をある程度は満足させうるものをセイザーXが提供していたと言うのが自分の当時からの意見だが、
実際、視聴率も右肩上がりに良くなった事実はなにより年長者がそれだけ見ていてくれたからでもある。
#この傾向に近いのが、東映で言うと「未来戦隊タイムレンジャー」というのも皮肉ではある。

が、子供は作劇を褒めるという観点においては残酷だ。
よくオタクや製作者側の言い分として「子供の頃判らなくても、大人になって伝わってくれればいい」
という意見があるのだが、これは私見では眉唾である。
そもそも子供といえども個性があるが、それ以上に「つまらないと思ったものは遠慮なく見捨てる」
という、大人より残酷な一面があることは忘れてはいけない。
子供は権威主義では物事を見ていない、と言ってもいい。
#まあ大人が権威主義・ブランド主義的に物事を見すぎるとも言える。
#この脚本家なら、このスタッフなら、この会社なら外さない、とかそういう観点。
大人はある程度は考察という形で色々話のネタにすることもあるが、
子供にそういう屁理屈は通用しない。

それはそれで、幼少の子供視聴者は全くストレートにおもしろがってくれたりもする、という見方も出来る。
子供にとって面白ければ、だけど。


本シリーズの構成の話に戻る。
この「小シリーズの〆は巨大戦」という明確な形は、確かに東映作品との差別化に成功こそすれ
実はここに落し穴も潜んでいる。
先ほど挙げた、〆に至る話がダレやすいというのもある。
そしてなにより、巨大戦による〆はインパクトはあるのだが、そこで一息つけちゃうという難点がある。
ようするに、次のシリーズへの注目がおろそかになりやすい、ということ。

東映作品だと、そうした目玉を「新キャラ・新ロボ・強化バージョン」などの要素でアピールするわけだが、
この利点は「次の話以降はこの新しい諸々が活躍したりするんだな」という、次に繋がる視点を明確に出来ていることにある。
これは当然子供にとっても判り易い。


よく超星神シリーズ・・・に限らず東宝のヒーローものはノウハウ不足をあげつらわれることが多いが
こうして部分的とはいえ分析してみると、成程こりゃ東宝もよほど勉強してるんだろうけど・・・
と言える部分が目立つ。

特に「小シリーズの〆が巨大戦」は、自分は褒めている所なのだが
同時にこれが、多くの視聴者からすれば次のことに中々注目が移らない欠点であったと言える。
そらまあ特撮を堪能できるほうが自分は好きなので、この構成に文句はないし
実際期待をいい意味で裏切る程度には良い映像を見せてくれていたのも事実だったのだが。

やっぱり、テレビ番組であることを思うと、「いかに毎週観て貰えるか」を考えるべきだったし
この構成はその意味ではやや悪手だったんだろうな・・・という。
だからといって東映みたいに新キャラとか新ロボで~ となると
「じゃ尚更東映のでいいんでない?」となっちゃうところもあるので、これまた辛い。


要するに、東宝側は東映作品の分析はいいセンまで行っていた。
が、実際に作ってみたものは「毎週観てもらう番組」としては落第点に近いものがあった。
というところ。

せめて巨大戦で〆という小シリーズ構成でいいだろ?というとこで止まらずに
「この小シリーズが終わってからも視聴者が見てくれるだろう」工夫をもっと考えるべきではあった。
そう考えるとグランセイザーは余裕で落第、ジャスティライザーでギリ落第、セイザーXでなんとか及第点・・・ こんな具合で徐々にクオリティアップしたとは言えそう。


セイザーXが前二作を踏まえて、様々反省した上で構成に反映させているのは
・第一部終了後の総集編的おさらい回。 ここで次回以降のフリもやっている。
・第二部ラストで登場するネオデスカル。
という部分からも充分窺える。

もっともこの工夫は、ジャスティライザーでも実はやっていたことでもある。
・第一部ラストで復活するカイザーハデス。
・第二部ラスト、カイザーハデス撃破と共にどこかから一部始終を見ていたらしい魔神ダルガ。

こうした工夫は、グランセイザーにはない。
ウソだと思うならどうぞ本シリーズを全話見直していただきたい。
巨大アケロン大星獣を撃破した回に、ウォフ・マナフ側から何かがあったわけではなく、
ダイロギアン撃破回にもウォフ・マナフ側から何かがあったわけでもなく、
巨大オメガ撃破回や三度目のロギア決着回に至っても、ウォフ・マナフ側から何もなかった。
要するに、小シリーズ最終回がそのまま次シリーズへの繋ぎとして機能していない。
が、ジャスティライザーとセイザーXは一応繋ぎとして機能はしていた。
個人的にも評価の低いジャスティライザーですら、だ。


ジャスティライザーとセイザーXの釜プロデューサーが構成にも手を入れたのかどうかは知らない。
ただ、グランセイザーのプロデューサーが構成に無頓着すぎたとも言えるが。
#もっともプロデューサーが作品の構成まで口出しするものだろうか、という疑問もあるがあえてこのまま書いておく。


以前別の考察?で 「東映は主役至上主義があるから、ジャンルモノには滅法強い」と書いた。
そして東宝にその主義がないということも指摘した。
今改めて考えると、実はこうした構成の部分からして主義が現れている。

本シリーズを軸に、そのへんを図式化してみると・・・
東宝の場合、敵>>ヒーロー という形になりやすく、
東映は ヒーロー>>>>>敵 くらいの形を採っているということでもある。

もっとも東映が、本シリーズみたいな構成を採ってなかったわけでないのも事実としてある。
「仮面の忍者赤影」「星獣戦隊ギンガマン」「魔法戦隊マジレンジャー」
と、自分が観た範囲でも本シリーズに似た構成を採っている作品はある。

あるのだが、ほとんど初期といえる赤影はともかく
ギンガマンやマジレンジャーになると最低限「次の小シリーズへのヒキになる程度の要素」を
しっかり織り込んできていることを見逃してはいけないだろう。
先ほども述べた「次はこの、強化された状態で活躍していくんだな」ということである。
主役至上主義の強みは、こういう所に如実に現われるようだ。  たとえパターンに嵌りやすいとしても。


で、ここまで書いて思ったのは・・・
東宝は東映が何十年前にやったところで止まってた、と言えるところもあるなぁと・・・。
#そうはいってもジャスティライザーとセイザーXでやっとモダンな形に落ち着いたとも言えるが、しかし。
#東宝作品だけで言えば、構成においてはレインボーマンで発想が止まってると言っていいかもしれない。



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で、万が一にもありえないことだが
もし東宝がまたヒーローものをやるとしたら、作劇としてはこの
「敵を前面に押し出した構成」
をベースに、東宝ならではのヒーロー物を作りこむ必要がある。
レインボーマンから本シリーズに至るまで、基本的にそんな構成をずーっと取り続けてるのが東宝なのだから。

東映が「主役至上主義」であれば、東宝はその真逆に近いことをやれば良い。
「悪役至上主義」?
まあ近いといえなくもないが、これはこれでまた違うというかなんというか。
キャラクターを前面に出す東映と、ストーリーを前面に押し出す東宝、というか
うーん。