2019年4月28日日曜日

東宝に王道あり、コロコロに王道あり。

新しいラベル「おしゃべり」を作っての第一弾。
過去更新も、気が向いたらこのラベルに差し替える予定。 予定は未定だ。



自分がコロコロコミックで育ったことは、ミニ四駆に関する更新で述べた。
いつもそこには、普段そう目立つわけでもないのに、たまに人気が爆発する
不思議な漫画が居た。

それは毎週アニメが放送され、東宝の配給で劇場版も作られ、今尚、自分含めた一部の人間から
呼ばれる「東宝劇場アニメ四天王」の一角として不動の位置をものにしている。


「ドラえもん」が、それだ。
自分にとってのドラえもんの位置は、全日本プロレスで例えるなら
コロコロにとってはジャイアント馬場であり、東宝の劇場興行にとっては三沢光晴くらいの立ち位置であろうか。
ようするに、王道。
そうとしか表現しようがないが、しかし急にコロコロから消えてしまえば自分は狼狽するだろう。


自分が深夜に全日中継をたまに見ていたとき、普段は日テレのクイズ番組でしか見ない人が
若いエースと対峙し、しかもなかなかの熱戦を繰り広げていた試合をみた記憶がある。
それがジャイアント馬場。

コロコロにおけるドラえもんは、自分が幼少期に見ていた頃を思い返しても
オリジナル漫画のおぼっちゃまくんが大ヒットの兆しを見せつつあった頃であり、
ホビーもビックリマン、ミニ四駆、ゾイドと嘗てのコロコロ黄金期のラインナップがそろいつつあった。
そうした中、コロコロという雑誌のボトムというか、土台をたった一つで支えきっていたのがそうだ。
ドラえもんだ。

かつて、小林よしのりは「relax」という雑誌でのコロコロ特集インタビューでこう述べた。
「まだコロコロにドラえもんが載っているのは良いこと。 ドラえもんを入口として漫画に慣れ、それからホビー漫画なりに行くのが良い」
ホビー漫画を、漫画の応用として捉えている上での発言だ。
自分にとってこの言葉は、少なからぬショックを覚えた。
そうだ。 小さい頃だって大長編ドラえもんを楽しんでいたじゃないか。
アニメもだ。
毎月、何気なく読むのを後回しにしていたドラえもんが、今にして思うとかなり大きな存在であった。

漫画というものへの入口はコロコロコミックであり、ドラえもんであり、おぼっちゃまくんもハゲ丸も、それらより前だが獅子王伝だって読んでた自分としては
なるほどドラえもんは小さい子供にとっての漫画の入口としては相応しい存在だろうと思う。
自分自身、歳が干支一回り分はなれた兄弟が居たせいで、小さい頃から読んでた漫画や本は同世代と比べても妙に大人びても居たが。
兄がボンボンを読む一方、自分はずっとコロコロを読んでいたのだ。
オタクの入口、という意味の評価をされるボンボンには終始なびかず、
オタクにバカにされまくるコロコロにばかり傾倒していた自分だったのだ。
#ボンボン連載の漫画個々なら気に入ってたのもあるんだけど。 プラモ狂四郎やだいぶ後のサイボーグクロちゃんとか。

もとい。
ドラえもんが自分にとっての漫画の「ま」と言ってもいいかもしれない。
と同時に、偏食気味のケも起こしたのもコロコロで漫画を覚えてからかもしれない。
その後読んで、好みに多大な影響を及ぼした漫画だけを見ても
マカロニほうれん荘、湘南爆走族、究極超人あ~る、県立地球防衛軍、宇宙家族カールビンソン等々。
スラップスティックと、落語的というか漫才的な間もあるギャグ漫画が好きである。
今そういう漫画は悲しいことにほぼ見かけない。


ドラえもんのアニメも毎週観ていた。
劇場版は先ほども触れた東宝が配給を行っている。
80年代~90年代中盤くらいまでは、まだ今のような「東宝劇場アニメ四天王」の体制が築かれるとは誰一人として予想だにしていなかった。
東映配給から外れ、今も続く東宝配給へ転換したジブリ作品は、その経緯もあってかある種異質な存在でもあった。
それは相当後になって気付いたことではあるが・・・。

90年代までの東宝アニメ興行というのは、昔から手掛けているドラえもんと
東宝配給になったジブリの二大巨頭のようにも見えるが、実際は受け手側の印象から言っても
そうした捉え方をした人はほぼ居なかったんじゃなかろうか。 自分もそうは見て居なかった。
ドラえもんとセットで捉えるとすれば、当時平成VSシリーズで続いていたゴジラくらいなものだろうか。

クレヨンしんちゃんの劇場版を皮切りに、名探偵のほうのコナン、そしてポケットモンスターの劇場版と
90年代中盤から子供向けアニメ興行の番組を逐次強化していった、と今から見れば感じられる当時の東宝だが
作品によっては洋画系配給だったことを考えると、実際はかなり慎重だったのではないかとも思える。
が、とにもかくにも上記三つに、ドラえもんを加えることで「東宝劇場アニメ四天王」の体制が完成した。


この四つの揃いは、実は東宝のアニメ興行においても多大な強みとなっている。
先述したように劇場版ドラえもん自体、この四天王体制になる前から長らく東宝の映画興行を支えた番組であり
実績は申し分なしと言ってよい。
これは2000年代以降の四天王体制を磐石にする際に、強力な土台として作用することとなる。
興行成績自体は一見さほどでもなさげだが、そもそもこの四天王、
季節で言えば春にほぼまとまる形で興行が打たれるわけである。

そして、自分が過去の更新で述べているのだが子供と言うものは基本飽きっぽい。
すぐ目移りする。
自主的に映画を観にいける状況でも、人格でもない時期の子供としては
親が一緒に映画館に連れて行って観られる番組が最大四つも纏まっている状態は
興行としてみる場合、かなり効果的なようである。
別に一日でふたつみっつハシゴして見る、というわけじゃない。週に一日か二日、一本ずつ見ると考えても
選択肢があるという状態は子供にとってもありがたい。
飽きても、別のを観てみようかという気にもなる。

大人だってずーっと同じ映画ばかり観るわけでもないのだから、
この一見ムダに見える子供向け興行の一期集中は、案外理に適っている。
そもそも映画興行全体を見た場合、子供向け映画興行は意外なくらい時期がバラけているのではなかろうか。
それゆえ一つ二つを一度か二度観たらもういいか、となりやすいのではないか?
だがドラえもんを初めとした四番組を固めておくことで、ひとつあたりの春興行の成績は低めであっても一定の安定ラインが見えやすいのではないか。


2000年代の映画興行において、80年代の作品のリメイクで話題を振りまくドラえもんだが
この頃既に声優やキャラクターデザインを切り替えている為、かえって新鮮味があった。
そして現代のオリジナル劇場版でも、好成績をあげる所まで来た。

日本において、東宝だけが日本映画興行のトップランナーたり得ている理由は様々に語られるようだが、
自分から観ると、番組ラインナップを多彩に取り揃えていることも無視出来ない。
たとえ一等地にハコを多く構えたところで、観にいく人間が居なけりゃ話にならない。
宣伝攻勢の話だって同様だ。 時期・時節に応じた番組を構成しなくてはならない。
ただ話題さえ振りまけばよいというものでもなかろう。

自社製作をゴジラ以外止めている、その経営方針がこうしたところで活きていると言えようか。


そしてよく考えると、東宝とコロコロも90年代末から関係が深い。
四天王のくくりで見てもドラえもんとポケモンの二つがある。
もっとも、ファミコンキャラバン華やかなりし頃、スターソルジャーの対戦映画を東宝で配給していた事実もあり、
なんのことはない、コロコロと東宝は意外にも付き合いが長いのだな。
小学館に範囲を拡げればこの関係性はよりハッキリする。
グループ会社の集英社が東映と関係が深いことと、若干対象をなしているといってもいい。


そして意外な事実として、自分は子供の頃に東映のヒーロー物で育っておきながら
後年割とあっさり東宝に転がったのは、上述した物事を考えると既に二つの道が自分の目の前にあったのだなぁ、と気付かされた。
その上で、自分にとってより良い道がそっちだった、というだけの話と言う。
#その割には結構関係ない道ばっかりフラフラ歩いてる自分が居るのだが。


このblogも方針や文体を若干変えたら割りと楽しくなってきた次第。
好きに自分の意見を書けるって素敵じゃないか。