2019年9月28日土曜日

レインボーマン・第二話

第二話 「レインボーマン誕生」


<弟子入り>

第一話終盤・崖から落ちてしまうタケシだったが
おもむろに木の枝を投げつけ、崖に突き刺すダイバダッタ。
それを掴みなんとか救われるタケシは、ようやく崖を上りきる。


日没。

ダイバダッタの住処へ息も絶え絶えにたどり着くタケシ。
彼から差し出されたスープを飲み干そうとするのだが、途中で苦くて吐き出してしまう。
ダイバダッタは、まず肉体・体質を変えない限り修行も、秘術を受け継ぐことも不可能であると。
タケシはそれを聞くや無理に飲み干す。

そして正式に弟子となったタケシは、翌日から体を作り変えるべく地道な修行を繰返す日々に突入。
しかし当然ながらタケシは我慢が出来ず、そろそろ実戦的な術を教えてくれと懇願。
そこで、遠当ての術と火炎の術を用いて火の道を作ったダイバダッタは
これを印を結び渡りきれと指示。
一度目はあまりの熱さにすぐ倒れるタケシ。 

自分から術を教えてくれと言ったではないか、と叱咤するダイバダッタ。
妹・みゆきへの約束を心に、荒行に挑み続けるタケシ。
しかし水中の白い岩を持ち上げようとした最中に気絶してしまう。


<愛の戦士への道筋>

ダイバダッタの住処。
俺は普通の人間なんだ、魚にでもなれというのかとタケシが怒りを爆発させるが
冷静にそのとおりと返すダイバダッタ。
ヨガの秘術、その極意はあらゆる状況に、それに合うようにせよと諭すのだが。

さらにダイバダッタは続ける。
そもそもお前が日本から来たのは、プロレスラーになるためだがそれは妹の脚を治す為。
それがいつの間にか、プロレスラーになる手段だけに目が行き過ぎてしまい、私利私欲に目が眩んでいる。
人間の真心というものを見失ったと叱る。


タケシは反駁する。 俺だって人間だ、若いんだ、金も名声も欲しいんだ。
それの何処が悪いんだ、と。
真心が何になるんだ、金がなければ妹の脚だって治せないじゃないかと。

ついにダイバダッタは激怒する。
ここまで修行を積みながらまだ何もわかっておらん、付いて来い!


山を降り、インド軍とパキスタン軍の戦闘が終わった直後の戦場。
無益な殺生を繰返しておると悲しげにつぶやくダイバダッタは、かつてタケシにそうしたように
彼らを秘術によって蘇らせる。
その奇蹟を目の当たりにしたタケシは、この術で妹の脚を治せると直感するのだが。

両軍の兵士たちが再び銃を取り戦おうとしていた。
それを諌めるダイバダッタ。
自分にとってインド軍もパキスタン軍もない。 仏の教えに従って命を救ったまで。
己の命が尊いならば他人の命も尊いはずである。
そこには敵も味方も無い。  愚かな殺し合いは止めるのだ。
元の、平和な暮らしへ戻れ。  そう諭すと山へ帰っていくダイバダッタ。


タケシは改めて、ダイバダッタの人間への深い慈悲と愛に触れた。
得心したタケシは師匠・ダイバダッタを追って山へと帰っていくのだった。


<その修行の終わりに>

日本・東京。
タケシの母・たみと妹・みゆきは、タケシの先輩である堀田からインドの現状について説明を受ける。
状況がよく判らない為、タケシの安否を気遣うたみとみゆき。

ヒマラヤへ戻る。
以前とは打って変って、素直に師匠の言葉に従うタケシ。
修行の日々の中、とうとうタケシは水の化身への変化に成功し、ダイバダッタの化身した火の化身の炎を消すことに成功。
修行の成果が着実に、タケシの身に反映されているのだが・・・。


ある日の夜。
一年間よくやってきた。一通りの術は備わった。これからは自分だけの力で修行をせよとダイバダッタ。
もう自分の修行が尽きているのだ、明日の朝までの命である、と。
私だけではそんな力はありませんとタケシは弱音を吐くのだが。

ダイバダッタは言う。
その夜明けと共にお前はレインボーマンになるのだ。
己の欲を捨て、世界の人々の平和のために戦う愛の戦士となれ、と。
その使命を果たすべく、如来の力によって七つの超能力が与えられている。

ダッシュ1・ヨガの体術を究めた月の化身
ダッシュ2・炎の化身
ダッシュ3・水の化身
ダッシュ4・草木の化身
ダッシュ5・黄金の化身
ダッシュ6・土の化身
そして、レインボーマンの大元となる太陽の化身・ダッシュ7

しかしレインボーマンには弱点がある。それが5時間を要するヨガの眠り。
それに気をつけ、人々のために尽くすのだ。
と言い終えたところでダイバダッタは静かになる。
寿命が尽きたのだ。

動揺するタケシ。
しかし闇夜をにわかに包む雷雲から放たれる雷に倒れるタケシ。
ダイバダッタの体を光が包むと、倒れたタケシの体へ光が入り込む。

目覚めるタケシ。
印を組み、呪文を唱える。
阿耨多羅藐三菩提(あのくたら さんみゃく さんぼだい)
するとタケシの姿が変化・ダッシュ7となり朝の光の中を飛び立つのであった。


【レビュー】

過酷な修行の後、とうとうレインボーマンへ変化することとなったヤマトタケシ。
その過程、愛の戦士たるレインボーマンとしての心構え、能力、そして注意をダイバダッタが伝える。

よく本作は、東洋的価値観に沿った作品と説明されることがある。
この第二話はそうした感想を抱かせるには充分な内容を湛えている。
確かに所謂「変身ブーム」の二大巨頭であるウルトラシリーズ及び仮面ライダーを考えると
その力を得る過程からして大きな差異が認められる。

ウルトラシリーズ= ウルトラマンが憑依するパターン (ウルトラマン自身が人間に変身するパターンもあり)
仮面ライダー(一作目)= 悪の秘密結社の科学力による改造を受けた結果の超人的な能力
レインボーマン= 人間自身の修行の成果による、超能力を持った化身への変化

ウルトラの憑依パターンは、何処となくオカルトテイストがあるものの
古今東西を問わず、超常的な何かの啓示を受けたり、あるいは何かが憑依して活躍する創作上のキャラクターや実在の人物というものは割とよくあるものである。
一応後のシリーズでは、ウルトラマン達は地球人と比べても卓抜した科学力を持っていることになっており、
色々な裏読みも可能な設定とは言える。

仮面ライダーに関してはもっとわかりやすく、科学力によって人間の体を改造し超人的な能力を与えることに成功する。
「科学」がキーワードと言える二者だが、その様相は大きく異なることも念のため付け加えておく。
ライダーについては科学力こそが人間を強化できる唯一の道だと、還元主義的にあてはめているかのようだ。
今も還元主義的な発想が感じられる東映という会社らしい。


ところで本作である。
人間そのものが超能力を得るという設定は、似たような設定こそ後のヒーローもので見ないことは無いのだが
全くといっていいほど科学力のサポートを要しないヒーローというのは、レインボーマンくらいしか居ない。
#その前となれば同じく川内康範の「月光仮面」までさかのぼる必要がある。
もっとも、川内作品というのはヒーロー側があまり科学力に頼ってないといえそうではあるのだが。
精々拳銃(月光仮面・七色仮面)までだろうか。


こうした差は、ある事象を何かしらの言葉に説明し、還元する自然科学的アプローチと
一見すると茫洋としすぎていて、なおかつはっきりした答えを出さない宗教(特に仏教)のアプローチでもある。

なお念のため、上記の話は一応話をはっきり説明するための喩えである。
ま、割と敵を倒してしまえば細かい部分はどうでも良かったりするウルトラ・ライダーと
かなり後にならないと判らないが、そんな単純な形になりえないレインボーマンの差として覚えていただいても良いと思われる。

【特撮の見どころ】

・なし

ないが、今回終盤のヒマラヤ山脈をバックに飛ぶレインボーマンという画自体は悪くない。
人形自体の出来が辛いが。