2019年12月31日火曜日

超星神シリーズ、その周辺

Get Ride! アムドライバー
というアニメがある。


拙blogを見るような方には判っていることをあえて言うが、このアニメはコナミスポンサード作品であり、
超星神シリーズ二作目の幻星神ジャスティライザーと同時期に放送されていたものである。


今回はこれを久々に見返す機会があったため、思い出したことや改めて思ったことを書いておく。





そもそも自分は、アニメをあまり見ない人間である。
90年代前半(大体グランゾートやメタルジャックあたりまでの記憶はある)くらいまでは見ていたはずだが
それ以降は全くといっていいくらい見ていない。
単純に自分の中に入り込んできた作品がなかったとも言える。
世代としては新世紀エヴァンゲリオンを10代に見た、はずなのだが。
それすら実は好みに合わなかったという指向の問題もあった。
実際はVHSで全話+所謂旧劇も見た。


合わない。
どうも庵野秀明というクリエイターのお出しするものと自分の好みが合わなさ過ぎた、としか言えなかった。
個人的にはこれ以降、妙に新約・旧約聖書からの各パーツを引用「だけ」して、さも何等かの物語上のバックボーンになっていると見せかけてるような
そういう作品が目立ったようにも、今としては思う。
♯宗教嫌いの日本人にはちょうどいい寸法の取り込み方とは思うが、しかし自分は首をひねる。
♯活かせないなら使わなきゃいいのだが、言ってみればアクセサリーみたいなものだろうか。


当時横溢していた謎本やらなんやらも、悪印象しかなかった。
情報や知識「だけ」を愛するオタクには向いてる作品なのだろう、というのが今の自分のエヴァンゲリオン評ではある。
そもそもオタクはそういう存在でもあるが。


もっともだいぶ後のシン・ゴジラだけは珍しく自分の好みに合致したので、
そういう作品も当人はやろうと思えば出来るのだろうという気もする。
老獪だな、とも今は思うが。




で、そういう事情もあってかアニメから相当に距離を置いていた自分が、2004年には久々にアニメをちょいちょいと見るようにもなっていた。
時間つぶし、というのが一番の目的だったのだが。
その中に先述のアムドライバーもあった。


当時は途中の話から、しかも最終話ふくめても数話程度しか見ていない上に飛び飛びであり
当然ドラマもストーリーもまるで判らない状態であったが、アニメーションにはかえって集中してみることはできた。
その当時の感想。




「しょっぱい」
どうも戦闘シーンや会話なんかがテンポが悪いというか、ぎこちないというか。
自分の乏しいアニメ視聴経験から言っても、いかにも画がチープ極まりないという印象ではあった。
後になって見返してからも同様ではあったが。


古くから、アニメオタクというのは年間の作品供給数の多さからか、ネタっぽく弄れる作品を遠慮なく弄り倒す性向があったが
匿名掲示板などで見る彼らの感想を思うと、ああそういう方面の物なのか・・・という認識もあった。
まあ、特撮ヒーローオタクが本シリーズを未だにネタとして弄るのと同じものだろう。


それくらいアムドライバーに関しては第一印象が悪かった。
ただし、玩具に関しては別であったが。
それを最近になって見直したことである。


見直す前に、当時の視聴者たちの評価は一通りさらっておいた。
案外にストーリー面が凝っていたというか、キャラクターの濃さなども含めて一応みてはおいた。
その上で全話見たが、


「話は案外見ごたえあるが、やっぱりしょっぱい」
のである。
しょっぱい理由は明白で、アニメーションそのものがどうしても受け入れられないというか
「もうちょっと、なんかこう・・・」
と思ったことが一話につき何度かあった。  その思いがなかった回が無いのだから仕方ない。
「アニメってこういうもんだっけ?」と思ったのも事実。


もっとも、当のストーリー自体は悪くない。
悪くないのだが、第一クール分に見られた、一種ヒーローものに対する皮肉や裏返しのようなものを感じる展開も、
肝心のアニメーションがイマイチなせいで入り込みにくい。


当然ながら第二クール分以降の展開にも、どうにも乗れなかった。
話そのものを見る分にはなかなか、と言いたいが・・・。 展開がなんかどっかの機動戦士シリーズで見たような気もしないでもないしで、なんとも。




ここから本題なのだが、結局アムドライバーも本シリーズと同じ問題をネガポジ反転させて現しているようである。


超星神シリーズなら、特撮そのもの「だけ」が良かった。
アムドライバーなら、本編のシナリオ「だけ」が良かった。
♯肝心かなめの玩具の評価は別。


つまりこの評価をネガにすればこうなる。
超星神シリーズなら、本編やヒーローの戦いが致命的にダメだった。(本編のみ、セイザーXこそギリギリ及第点だったものの)
アムドライバーなら、肝心のアニメーションがダメだった、という具合。


そして、自分は特撮作品なら特撮映像を楽しみたいし、アニメならアニメーションにどうしても目が行く嗜好があった。




遺憾ながら両者ともに「一部分だけ褒められたってどうってことはない」というのが、自分の偽らざる感想でもある。
と同時に、そうした作品群というのはえてして「ああそういう作品あったね」程度の扱われ方しかされないのもある。




両者それぞれに現場ではいくらかの問題を抱えていたのだろう。
とはいえ、お出しされたものは正直なものである。
ネタとして弄られるだけマシ、というのはいわば飽食した人間の論理ではないか。


全体的にダメにするくらいなら、どこか一点くらいは美点を作ろう。
そういう発想は案外送り手の中には存在しやすい観念のようだが、これは要するに
その美点だけの為に他すべてを犠牲にする、とも言える。


日本人は平均という考えがお好きな民族性を持っていることは誰もが気付いていることでもあるが
それを踏まえて、突出した部分があるものを好むという傾向もある。
これは、各ジャンルに求められる平均的なクオリティを保てないものは遠慮なく石をぶつけても構わない、という心理にもつながってもいるが。
♯もっともこの平均、というものも怪しい。 


とはいえ、あえてこの考えをそのまま敷衍しておくが、やっぱり創作物というものは
ある程度のクオリティを維持した上で何かしら突出させないと飽きられるし、最悪見向きもされないものではないだろうか。




一点豪華主義は、創作物ではもっともやってはいけないタブーのようだ。