人間というものは、特定の物事をハッキリ覚えてるように思えるが実のところ
「後から知った情報などが、記憶を再編集してしまう」 という、
どうしようもないクセがある。
これは創作物の評価などでも割合ハッキリ出やすい。 悪い方向にせよ、良い方向にせよ。
ただ、せいぜい留意しておきたいことは 「今、過去を振り返るということは、その現時点での自分の考えに制限されている」 というもの。
一応過去の自分の更新は、これに沿ってやっている。 今もそれは変わっていない。
すでに拙blogでは粗方の話はし終えたと思いきや 個人的な心境・観点の変化もあって
「本シリーズはここが足りない、ここが惜しい」 といったことを、ここ数年書き散らしている。 今回もそういった更新の一つとしてお読みいただきたい。
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本シリーズの評価で今まだ多いものとして 「特撮だけはいい」 というものがある。
確かにその評価は首肯したい。 部分的とはいえ。
それは過去の更新でも書いたが「ヒーローロボのやられっぷりのド迫力」を主体としており
半面「ヒーローロボの活躍」「必殺技」という部分の印象の弱さも同時に指摘した。
そもそも川北紘一自身が、平成VSシリーズでその方向性を定めた通り、
そして本シリーズ展開当時30代以上の特撮オタクが度々皮肉を込めて評する通り
「光線ばっかりハデに撃たせる」 「プロレスの欠如」 「金粉・逆光の多様」
というものが特色としてある。
これは確かに特技監督・川北紘一の作家性として良くも悪くも認められているところだ。
が、これも実際のところ本シリーズにおいては巧く差別化として機能していたか?というと
若干惜しい、としか言えない部分もある。 それをこれから、自分の視点として書く。
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超星神シリーズ。
それは端的に言えば、特撮ヒーロー史上初めて 「東映のスーパー戦隊と直接競合したシリーズ」となる。
このスーパー戦隊の定義は、バトルフィーバーJ以降の 「色分けされた複数ヒーローが、巨大ロボに乗り込むヒーローもの」 である。
よってゴレンジャーやジャッカーはここでは考慮しない。 そもそも原作者違うし。
そういった意味ではかなり大きな意義のある作品なのだが、
これはつまり 「スーパー戦隊の過去作品とも容易に比較可能な状況」 をも生み出している。
特に本シリーズ展開前の「百獣戦隊ガオレンジャー」の印象は無視できない。
当時は某巨大匿名掲示板での実況という視聴スタイルが生まれつつあった上、
某ネットアイドル12歳の連載記事の影響もあってか、ガオレンジャー自体は 当時の年長視聴者からはネタ作品のような扱いをされてもいた。
そういった表層的なイジリをしたくなる気分がまあ、当時のネットユーザーにはあった。
自分自身は、本シリーズ展開時に見てエー、となったものだが。
ただ、ガオレンジャーそのもののトピックとして大きいのは 「ロボットのパーツ換装」 というもの。
当時この手法は、微妙に戦隊に飽きかけていた自分にはインパクトの大きなものとして映った。
以降、装備品をガチャポンなどと連動させて展開していたハリケンジャーを挟み
アバレンジャー以降、換装という要素を手を変え品を変え、またはやらないまでも続けていくことになる。
スーパー戦隊シリーズだけで見た場合、このガオレンジャーが大きなターニングポイントになったのは事実。
実際、巨大ロボに対する興味がさらに増した自分も居た。
前作タイムレンジャーの三形態合体というのも十分大きいのだが、それを更に超えたものとして印象は強かった。
#もっとも、別形態変形や換装合体じたいは90年代にすでに試みられているので、更にそれを推し進めた感じだ。
ギンガマンで出戻った自分から見ても、こうして俯瞰してみると毎年なにかしら戦隊ロボには
新機軸が盛り込まれていることもうかがえる。 あと、なによりガオレンジャーで印象的なのは
「ガオキングの必殺技が光線技」というもの。
過去の戦隊一号ロボだけでみても、別形態が飛び道具でフィニッシュ(タイムロボβ)、 必殺の飛び道具を途中から装備(ギンガイオー)というのはあっても
初登場から一号ロボの必殺技が光線技・飛び道具の類というのは自分の記憶の限りでは
ガオレンジャーが初だったはずである。
以降、一部換装・ロボ以外はたいてい飛び道具・光線技でシメていたのがガオレンジャーでもある。
それまでの戦隊ロボというのは、一号ロボは剣でトドメを刺すものという規定路線を ここで初めて打ち破ったという点でも、インパクトは大きかった。
21世紀初の戦隊としても、十分アピールできていたと自分には今なお映っている。
たとえ戦闘そのものが、タイムレンジャー以前とあまり変わり映えしなかったとしても。
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そしてそのガオレンジャーから遅れること2年後の本シリーズ一作目・グランセイザー。
ここで、最初に述べた川北そのものの評価が悪い方向に作用する事態が発生する。
確かに本シリーズというのは、ヒーローロボのやられぶりそのものは素晴らしい。 戦隊ではまずやらないくらいの迫力に満ちたものを見せてくれている。
しかし、すでにスーパー戦隊シリーズの過去作品群に慣れてしまった 自分含めた視聴者たちからすれば、
ヒーローロボの戦闘やフィニッシュそのものは どうも印象に残らないものが多かった。
過去更新で述べたが、戦隊ロボと違いフィニッシュ時に分かりやすい必殺技バンクを用意していない事情もあった。
それ自体は、本シリーズ展開当時に展開されていたウルトラシリーズも同様なのだが。
ただウルトラシリーズと違い、活動に制限があるわけでもない本シリーズのヒーローロボの場合
カタルシスという意味では実に弱いというか、 「あーこれで終わりなんだぁ」という風にしか見えない、アッサリしたフィニッシュになりがちでもあった。
なによりこの印象の弱さはそのままジャスティライザー・セイザーXのロボ戦フィニッシュも継承してしまっている。
本シリーズ三作すべてのヒーローロボの場合、
「基本的には飛び道具・光線技ばかり」 というのが最大のネックとしてあった。
グランセイザーでもハイタイドブレイクやファイヤーバードスラッシュ、
ジャスティライザーだとメガヒートクラッシュとタイフーンスライサー
セイザーXではハイドロールスラッシュと
このくらいしか「飛び道具・光線技じゃない必殺技」がない。
注)グランセイザーのセイザーギアギミック、およびジャスティライザーの巨大シロガネは除外。
このあたりの、ヒネリの無さも問題だが 本シリーズ以前の戦隊ロボたちを見ても、先のガオレンジャーはもとより
他作品たちでも二号ロボ以降は飛び道具を使用することが多く、 「なんか戦隊と印象が似通いすぎてる」 という感覚は、おそらく当時の年長視聴者層には強かったのではなかったか。
実際自分の中にも、やられぶりはともかく戦闘が飛び道具ばっかりで ヒーローロボの勝利に関しては淡白な感想しか持てなかった。
正直なところ、巨大戦の演出そのものについては戦隊やウルトラと比べても勝負になってない。
とはいえたまに良さげな回があるのもまた事実だし、巨大戦時のセットは可能な限り変化を加えようとしているのは、
三作中もっとも地味なジャスティライザーですらそれは見えた。ショッピングモールやら凄まじく古い雰囲気の住宅を並べてみたりとか。
さらに言えば、戦闘のシチュエーションなども戦隊ではあまりやらないようなものを積極的に試みてもいた。
ウルトラシリーズでは時折行っていた砂漠や海浜地域・月面・・・つまり宇宙での戦いも
本シリーズは巨大ロボ戦の舞台として、ジャスティライザー以外では実施している。
またシチュエーションの部分でも、特にセイザーXでは中破したグレートライオの内部に乗り込んでくるネオデスカルの面々だったり
戦艦形態時での恐獣との闘いなど、大昔の戦隊ですらバンクで済ませるような部分をしっかり作ってきたりしている。
とまあ、いろいろな要素を鑑みると、
「巨大戦の殺陣とフィニッシュは凡過ぎるが、ヒーローロボのやられぶりとセット・シチュエーションに関しては文句なし」
となろうか。
つくづく、ツメの甘さをも痛感させられるのはつらいところだが。
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ただし、先ほどからも述べているようにやられっぷりだけは随一だった。
特にグランセイザー第一部とセイザーXの第二部までは、レビューを見ていただければお分かりのように オススメできる特撮を十分に見せつけてくれている。
それだけにこの「ヒーローロボの活躍が淡白に終わる戦闘演出」「および必殺技の印象が飛び道具メイン」 という点は、
実に惜しいというより 「東映の戦隊ロボ戦以上にハデな光線攻撃を見せればいいだろ?」 というような雑な発想も見えなくもない。
このへん、川北自身が自伝で「特撮で攻め入れば東映と渡り合える可能性はある」としているのだが、 いまいちその作り込みが甘すぎたのではないか。
いくらプロレスが予定調和だからって、勝つレスラーの必殺技だけが見れりゃいいわけじゃないのだし。
超星神シリーズは特撮だけはいい。 それは部分的には事実だ。
しかし、それを簡単に言う人々はどこまでその評価を検討できているのだろうか。
なにより、今あらためて本シリーズを見てもまだそれが言えるのだろうか。
言えるとして、今現在の自分の観点を提示したうえで言っていただきたい。
とまあ、挑発めいたが、実はここ15年以上に渡ってネット上で言われる雑ーな評価に対する一種の挑戦でもある。
どうか、だれか真剣に受け止めてくれたらいいのだが。