【4】でも少し触れたことではあるが、本更新は特技監督・川北紘一の人となりを
本書での各スタッフインタビューから読み解こうというものだ。
とはいえ個人的な見解が大きく変わるわけではないのだが…。
グランセイザーの村石宏實は当時の川北をこう述懐している。
「サービス精神が旺盛で、台本通りじゃ面白くないと考えている人」
また、過去作品で助監督として関わった鈴木健二は
「好き勝手やってるな(笑)」と、相変わらずの川北流を語ってもいたし
石井てるよしも「ジャスティライザーへの入れ込みは凄かった」と述べている。
#上記コメントの一つ前でインタビュアーが「川北組の特撮シーンが予定より長くなって本編に影響が出たりしたのか?」という質問をしていることにも注目して欲しい。
#それに対する石井の答えは「先んじて本編は特撮班の画の長さに応じて詰められるようにした」としている。
そのジャスティライザーも、実は最終二作は予算オーバーしていたとも明かされる。
また、東宝時代は後輩であった釜プロデューサーはジャスティライザー当時
「我々以外にも川北さん側から独自に企画書が来て、既にGEで進んでいるから無理とは言ったが可能な限り盛り込むことにした」
と、企画レベルでの関与をしようとしていたと思しき証言も出てくる。
自伝「特撮魂」を通読していた身としては、こうした川北の行動は本シリーズでも健在なのだなと思い知らされる。
そして、東映作品や円谷作品に馴れたオタク達がしばしば誤解し、理解出来ない(しない?)部分もここにある。
というのも、川北は自伝「特撮魂」でも自ら述べ、また本書でも各スタッフが述懐したように
「台本を勝手に変えてでも画を作る」
「企画段階から何から独自に動き回る」
という傾向(悪癖?)がある。
#特に台本の件はまず本人がそう言ってるし、ねえ…。
#ガンヘッドパーフェクションや特撮魂を読んでいても、後者の傾向は窺い知れる。
現に先の鈴木はグランセイザーでのダム破壊については川北が勝手に入れたことを匂わせている。
石井てるよしへのインタビューでも、特撮側の画の時間に配慮して本編側で尺の融通を利かせられるようにしていると語られている。
また、劇場版セイザーXの企画についても、企画段階で独自にストーリーなどを作り提出していたことも明らかになる。
#詳しいことは本書を参照されたい。 個人的にはこちらの方がシリーズの劇場版らしくて良いと思う。
また、助監督である近藤孔明からは(近藤の初演出回にて)ロケ地を指定されたり
特撮側の画がほぼ大半を占めてしまった回であり、残り7分で本編を撮ることになった話も出ている。
そして怪人・怪獣デザインの西川伸司と造形チームの品田冬樹証言も興味深い。
細かいことはデザイン・造形チーム側に関する更新で述べるがここでは品田の証言を抜粋しておく。
「川北さん相手だから人情でやってたんだよ(笑) 皆、川北さんだからしょうがないなって(笑)」
更に特技チーム川北組のスタッフ陣の証言も加わる。
先の品田も触れていたが、巨大シロガネはスーツを全て新造したことが明かされている。
やはり思い付きで色々やっていたことも語られており、先述のダム破壊に絡んで
実際のダムの画を撮りに少数のスタッフを連れて突如避難用カットを撮ったり
セイザーXでも急遽ガラスを使ってバリヤ表現を試みたりと、アイデアをこれでもかと投入していることがうかがえる。
満留浩昌曰く「監督は打ち合わせが嫌い」だそうである。
#鈴木健二も同様のコメントを残している。
あとは芝居やアクションに興味はないがメカが大好き、という性向が指摘されている。
そのほか細かいエピソードが川北組メンバーから語られるが、詳細は本書を読んでいただきたい。
全体的には仕事の時は厳しいものの、なんだかんだと楽しんでいたであろうことがうかがい知れる。
スタッフに手を出さないものの、人物像的には特撮界の星野仙一といったところであろう。
#もっとも、決断を迫られると途端に優柔不断さが頭をもたげるようでもあったが。
#撮影スケジュールのくだりと、セイザーXのロゴ候補のくだりでその辺は見て取れる。
そして各スタッフ(スーツアクター含め)に共通した印象が
「銀杏拾ってた」というのはなんとも微笑ましい。
実際スタッフ達に振る舞っていたようであるが、本シリーズの頃になると川北もやや落ち着いた雰囲気が出たのだろうか。
アクションチーム側の福田亘(特に福田はVSシリーズからの付き合い)はかつての川北を「やんちゃ」で表現していたが
「特撮魂」も読んでいると確かに縦横無尽・暴れ放題という人物像も出てくる。
それが本シリーズでは定年後ということもあって、川北も老境を目の当たりにして若干「大人」にならざるを得なかったのだろうか。
…もっとももう一つの共通した話としての「予算がない」という話を平然と無視するあたりもらしいと言える。
また品田冬樹他の、川北に関する証言を注意深く見るとある事実も見える。
「川北は組む人間の相性を考えないといけない程度には難しい人」
という点だ。
品田がGEの船田晃と川北の関係に触れた部分が象徴的ではあるが、
実際本書証言を見ると、結構アクの強い性格であることがうかがえる。
#それ自体は「特撮魂」の時点でもうかがい知れるのだが。
ただ、よくある「芸術家タイプ」という意味で難しい人でもなく、
これまたよくある「職人タイプ」な意味での難しい人と言えようか。
アトリエや書斎でアーティスティックに悩み苦しみ、鬱の症状を呈する人ではなく、
現場の中で悪戦苦闘して、常にピリピリした緊張感を放散する人だったのだろう。
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さてここまで書くと、特撮ヒーロー物のデファクトスタンダードである東映作品に馴れているオタク諸氏からは相当疑問の多い点も見えることだろう。
何せ川北が独自で動き回っているのが、本書証言ではとかく目立つ。
その結果、基本プロデューサー(とスポンサー)が絶対的な権力を持ち、次いで脚本家が重要視されがちな東映のような
連続テレビ作品向けのスタッフを動かすシステムが組みにくい理由もここにあった。
東宝、というより川北の場合は破李拳竜言う所の「ガキ大将」的に陣頭指揮を執って動いてしまうところは見える。
それがしばしば企画側を無視したり、本編を置き去りにする面はあったかもしれないが…。
ただし自分はこの川北の行き方を非難しない。
東映は東映のやり方をやればいいのであって、東宝がそこに合わせる必要はないと思っているからだ。
そもそも特撮ヒーロードラマである以上、自分はその「特撮」の部分で満足したい。
特撮映像で驚かせてもらいたいし、それは多ければ多いほどうれしい。
よって文芸はオマケでしかない。 それが自分のスタンスである。
#ちなみに、ミニコラムにて本編撮影班の菊池亘によるコメントもあるが、「東映(戦隊)では巨大戦のカメラも自分で回す(=本編班が巨大戦も撮る)が、東宝は完全別班で、本物の特撮とはこうなのかと感心」したそうな。
#これについて「特撮魂」でも川北が触れているので、東映と東宝の違いがハッキリしている点の一つと言える。
この更新を読む限りでは、本書はそんな川北をやや否定的に触れているように見られそうだが、
実際は先の品田も言うように、現場のスタッフが川北のやりたい事に応えていたことも事実なのだ。
村石も述べるように、サービス精神旺盛なのは相変わらずで、それは少なくとも「VSビオランテ」の頃から変化がない。
「特撮魂」にて、VSシリーズ当時このような言葉を川北は発している。
「あのな、言い訳はスクリーンには映らないんだぞ」
これは、同じ木戸銭を払って映画館で当時まだ盛りであったハリウッドを中心とした洋画や他社映画を観ている客を意識した言葉でもある。
それがゆえに川北は、ゴジラ以降はいかに客を満足させられるか?という観点で特撮映像を作っていた。
このへんは晩年期ではあったが下で働いたことのある円谷英二の薫陶も受けていたであろう。
それは当然、本シリーズを手掛けていた際も先行してテレビ特撮ヒーローシリーズを長年手掛けてきた円谷・東映への意識へもつながったはずだ。
とはいえ映画と違い基本受像機たるテレビさえあればいつでもチャンネルを合わせられ、
またつまらないと思われたら容赦なくチャンネルを変えられたり消されたりすることが当然とされるテレビというメディアでは
残念なことにその拘りでファンを獲得し、商品を買ってもらう行動にまでつながりにくかったのも事実だった。
しかもネット実況というスタイルの功罪の「罪」としての、ネタっぽく弄れる部分を遠慮なく弄り倒して作品評を深めずに刹那的に使い捨てて良しとする
(世代が変わったとはいえ今もそうだが)当時の視聴者気質の無理解に妨げられたのもまた事実。
時代の流れは誰にも止められないが、しかし2000年代当時のネット実況という概念・及びそこからの視聴文化を
いずれ再検討して評価を下すのは、かつての視聴者たちがこれから行う仕事ではないかと思う。
話を戻そう。
そうした川北の行き方は、TVシリーズという新しい舞台… しかも自分が全作で特技監督を務めるという状況に対しては
あまり有効ではなかったのだろう。
何せ東宝だけではなく、GEをはじめとした各社の意向も関わっているのが本シリーズのプロジェクトであった。
「特撮魂」では、やろうと思えば数週かけて少しずつ変化させることも出来る、とも述べており、
映画からテレビにメディアが変わったとはいえど、そこへ自分をなんとか合わせ込もうとする努力がうかがい知れる。
その分消耗もハンパなことではなかったろうが…。
しかし、その「客の方を向いた上で、客を喜ばせるために映像を創る」川北紘一の思想は
少なくとも自分の心を東映ヒーローから東宝ヒーローへシフトさせた。
グランセイザー八話の、あの迫力に満ちた巨大戦で虜にさせられた事実がそう言わせるのだ。
あれが無ければ三作全てを追いかけようなどとは思わなかっただろう。
たとえ楽屋裏では何かがあったとしても、客であるこちらとしてはいい映像を見せてくれてありがとうございました、としか言えないではないか。
そりゃ、作品や特撮映像について多少文句が無いでもないが… それも含めて感謝しかないのだ、こちらは。
最後に、品田冬樹の言葉を借りてこの更新を締めたい。
彼の言葉が、三作全てを夢中で追いかけた自分の気持ちの一部を代弁しているから。
「川北さんと濃い時間を過ごした三年間っていうことに尽きるかな。 とんでもない人だったけどね」