2021年11月12日金曜日

【6】デザイナー・造形チームから見る東宝の仕事

 本書で新しい視点が拓かれた。

今まで個人的にあまり気にしていなかった着ぐるみ造形およびその元のデザインを手掛ける各スタッフ側の証言が盛り込まれていたのだ。




特に、東映でも仕事をしていたマイケル原腸(本シリーズでは真佐木一佐名義)と岡本英郎のコメントは、それが故に

東宝におけるデザイン仕事の特色をあらわにしている。

もっとも正確には川北紘一が関わっている場合の、だろうか。


岡本は「プロにあるまじきことだが、グランセイザーで燃え尽きてしまった」とした上で三年間の仕事をこう述べている。

「東映やサンライズの仕事と違い、東宝のデザイン仕事は洞窟にボール放り投げてるようなものだった」

「平成ライダーなら突拍子もないようで、よく見たらデザイナーのデザインコンセプトは守られてるが東宝だとデザインが突如ひっくり返されてる」

そして、岡本曰く東宝での仕事は後述する合議制のような形であったが故に張り合いが保てなかったのだろう。


またマイケル原腸も、東宝での仕事については岡本よりソフトな言い方で違和感を表明している。

「東映との違いは特にない。キャッチボールで仕事を詰めていくのは変わらないんだけど東宝はリターンがあんまりない」

※東映ならその日のうち(日付が変わる前まで)には返事が来るという事を踏まえた話。

ただジャスティライザーの頃の仕事に触れた際、東映と違ってデザインコンセプトを東宝から提示されてないが故に

自分のカラーが出しやすかったし好き勝手やらせてもらったとも述べている。

これは東宝側が基本クリエイター任せにしているように見える。


ただ、先の岡本の証言を考えるとちょっと違うとも思う。

というのも、岡本が言うように合議制… いつの間にかデザイン画の後、粘土模型~着ぐるみ製作の過程の何処かで何かしらの変更が加わっていることが語られており

恐らく造形チーム及び特技班の川北紘一などの意向が入ってしまいやすい土壌が東宝にあったのでは、と推察できる。


そして岡本・マイケル共に東映の仕事については「デザインコンセプトの明確化」が語られている。

プロデューサー等企画側の意向がデザイナー側へストレートに降りて、あとは双方のやり取りで詰めていくのが東映の方法なのだろう。

一方の東宝は、その形式を取っていないと特に岡本には映ったようだ。

#岡本はゴジラシリーズでも東宝と仕事をしていた為、認識が絶対化しているようだ。


そしてヒーロー側デザインに携わっている西川伸司。

#ジャスティライザーのみ荻原直樹も関わっている。

主に超星神をはじめとした巨大ロボのデザインを担当し、ヒーロー側にも関わっていたそうだが、後述する造形チームの品田冬樹共々、

先の岡本・マイケル以上に多数関わっていたことが窺える。

そしてここでもやはり川北紘一の意見が入ったりもしている。

#ライゼロスにディスクソーをつけ足したり、ガントの色指定など。

また川北自身、ジャスティライザーは特に好きにやっていたと見れる品田や西川の証言もある。

東宝怪獣のシルエットを持った怪獣型の敵が多く登場しているのがその証左である。


さて、デザイナー側の意見としては最も川北に近しい西川や品田が比較的手加減した表現で川北との仕事を述べていたが、

元々キャラデザイナーのキャリアが長く、他社でも実績を積んでいる岡本・マイケルの方が東宝の仕事、とぼかしつつやや厳しい(というより距離を置いている)点が目を引いた。

ただ、岡本やマイケルがぼかすのも無理はなく、川北だけでなく品田が特に岡本のデザインから勝手に変えている場合もあったからだ。

#アケロン星人についての記述参照。


個人的には、東宝でのデザインワークというものは

「即興演奏のように自由度が高いが、それゆえ作家性がぼかされる問題が大きい」

という印象が強い。

これは特に岡本のように、長らく業界で仕事をしてきた人間にしてみるとちょっと我慢ならなかったのかも知れない。

#一方のマイケルは好き勝手やらせてもらったと述懐している為、温度差ももちろんある。

これは無理からぬことである。

しかし既にVSシリーズで川北のクセは知りぬいている西川・品田にとっては慣れもあってかそこまで気にしても居なかったのだろう。


自分としては岡本英郎の方につい肩入れしてしまいたくはある。

そりゃせっかく自分が提案したデザインを、造形段階で勝手に変えられてるのは自分が仮にデザイナーであってもちょっと看過し難い。

せめて「ここなんとかならんかね?」と話が来てからどうにかしたり、他スタッフの提案を受けてリテークするならまだ納得も出来るのだが。

#こういうことはカタギの企業でもわりとありがちなのだが、しかし…。


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ここからは造形チームの話に触れておく。

先に触れた品田冬樹をはじめとした四名による述懐だが、特に品田の発言が中々に刺激的である。

以下抜粋。

「元々グランセイザーは着ぐるみじゃなくミニチュアで巨大戦をやるつもりだった」

※おそらくストップモーションによるアニメーションだろうか。

「デザインについてはコナミも困惑するくらいに現場でどんどん変わっていったがそんな状況をGEの船田さんが守ってくれていた」

「グランセイザーは12人いてこその成功(?)だったのにジャスティライザーで3人に減らすなんて!20人は行けるって」

「(前段を踏まえ)定石に流れていくのがイヤだった」

※定石…東映作品と同様のものになることを指しているのだろう。 その意味なら自分も同意するが。

「ジャスティカイザーは当初ドラゴン型の顔だったが川北さんから顔を変えてほしいと言われた」

「川北さんは急に電話してきて「儲かってるか?金はないからタダでやれ」ってホントに言ってくる」


とまあ、川北についての記述もあるのだが、GEの船田晃についても触れているのが目を引く。

グランセイザーこそ玩具プロデュースだったが、ジャスティライザーからはGE側の代表プロデューサーとして携わることになる船田は

デザイン及び造形に関しては、コナミと現場のクッション役にもなっていたことが窺える。

もっと言えば特技側とのそれも担当していたようで、それは品田の

「川北さんとの相性はよく判らなかったけど表面上は問題なかった」

という発言にも現れている。

現場側もどんどんデザインを変える…恐らくカラーリングだけも含むのだろうが… も、船田やコナミからしたら中々にスリリングであったろう。

#このへんはバンダイと違って手綱を引き切れていないコナミという像が浮かんでくる。


また、ことグランセイザーに関しては12人のヒーローデザインがほぼ決まってから品田による原型製作が始まった段階で

「隠しモチーフを入れた」

とし、その結果作る度に形状が変わり、コナミの担当者が毎回写真を撮っていくという事態も発生している。



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さてそのコナミ。

グランセイザーの頃は、当時繋がりのあった某玩具設計会社に委託しつつ

ヒーローデザインを西川伸司他で様々、原型の段階でいじくり倒すなどの傍から見ると非効率な方式で製作されているのだが

この時点でも明らかにコナミは振り回されている。

上記の隠しモチーフの件が顕著だが、ヒーローの原型が変われば変わるほど、工場生産用の金型に反映させる為の工程が伸び伸びになる危険があるからだ。

ただし、ジャスティライザー以降は玩具のギミックについては予め作りこんだ上で

具体的な外観を西川他に投げており、少なくともグランセイザーの反省はなされているようではある。


コナミ自体、本シリーズが初めて・かつ唯一の特撮ヒーロー物であり、

現場をスポンサーとしてコントロールし得なかったことに関しては、やや疑問も出て来る。

これがバンダイ作品だと良くも悪くもカッチリ決まったスケジューリングが、仮に四半期ごとと言えどなされているのは、玩具も追いかけるような特撮ヒーローオタクにはよく知られていることではある。

つまり、制作現場をこの時点で完全にコントロールしているというわけだ

制作側も勿論、新商品を劇中で出すタイミングを踏まえた作劇をせねばならない。


今の目で見たら、本シリーズのこうしたスポンサーをないがしろにしてる感もある造りに何かしらのロマンを感じる人間も居るだろう。

しかし、玩具が売れなきゃこういった番組を作っても意味がない。

ロマンを感じたければ勝手に感じると宜しかろう。

しかし、いくらロマンという空気で本シリーズを見た所で、売れてないという現実で水を差されれば何も言えないのは自明の理と思われるのだが。


そもそもマイナー作品であるが故、オタク達は平然とロマンごっこしてられるのだろうが。


さて話を戻す。

コナミが不幸だったのは恐らく、今まで基本的にはスポンサーの意思を介入させてこなかった東宝と組んだことなのかも知れない。

つまり良くも悪くも商売っ気の強い作品を造れるような体制がないと言い切れる所はある。

良く言えば何処までも自分たちの好きに造れるし、悪く言えば独りよがりになりやすい。


もっとも創作は、企業でやるものでも…それこそ東映でも円谷でも独りよがりな部分はあるといえばあるのだが、

…というか基本企業単位で独りよがりは発生するし、その成員たる従業員レベル、例えばプロデューサー単位でも独りよがりは発生する。

東宝の場合は最低限、スポンサーとの関係を維持しようとか、

スポンサーとの義理と言える「商品が売れるかどうか」をあまり真面目に考えてなかったフシも、

本書を通読して感じたところであるし、そのあたりの基本的な部分で躓いていると再認識させられたのは、辛い。


そして何よりデザイナーの証言から、そうした東宝の悪弊が透けて見えるのはまた辛い。

ただ岡本英郎、マイケル原腸の証言は、本書では極めて珍しい「本シリーズに対して距離を置いている当事者の意見」が読めるという意味では

かなり貴重であると言える。