2013年7月8日月曜日

超星神シリーズと特撮とオレ【4】

そもそも自分が特撮に求めているモノは何か。

「非現実的な映像を、アナログ・デジタル両方の特撮技術を用いて現出させる」ことに
「いい歳をした大人たちが工夫し、四苦八苦しながら実現している」ところに
一番の魅力を感じていたのだ。

こんな価値基準を持った理由として…特撮に出戻ってから東映作品以外も目を通すと
円谷、そして東宝は特にメイキング映像がビデオソフトなどで収録されていることが多く
そういったものをビデオレンタルやDVDなどで観続けていくうちに
特撮というものの、手作り感というか「いかにリアルっぽく、ありえないものを魅せるか」
という美学すら感じられて、この非現実な世界にのめりこむことになっていった。
その過程で
「東映=ヒーローを魅せることに主眼を置いた特撮の使い方(ヒーロー主体・特撮は添え物)」
「東宝・円谷=特撮とヒーローおよび怪獣は不可分の関係」
という特撮の扱い方の違いも感じられるようになっていった。



超星神シリーズは、シリーズを追うごとに上記の「特撮とヒーローは不可分」の要素が少し薄れていた部分もあったが
それでも特撮そのものは高クオリティであったために最後まで観続けられたシリーズでもあった。
実際約三年の間、毎週放送を楽しみにしていたシリーズは後にも先にもこれだけだったかも知れない。
VFX主体でミニチュア特撮がない回も多かったが、それはそれで話の進行に集中して見られたわけで
毎週巨大戦が無いことが個人的にはあまり苦痛とは思わなかったのだ。

もし今も超星神シリーズが続いていたのなら、巨大戦主体回とヒーロー主体回と明確に分かれている構成は
変わっては居なかったのではないだろうか?
そして、巨大戦回への「溜め」の為にヒーロー回でそこまでの話を構築していたのだろうか…
「東宝らしいテレビ特撮作品の特色」を、そういう形で作り出せたのか?という思いは今もあったりする。

ただ、仮に今続いていたとしても恐らく東映ヒーロー作品と変わらないモノになっていたんじゃないか。
そうした思いも無いわけでもなかった。
セイザーXは確かに当シリーズに興味の無い層にもウケたのだが、
それはジャスティライザーまでには確かにあった「東宝独特のアク」が薄まったから、でもあると思う
「そのアクがあったから東宝はダメなんだ」という意見もあるかも知れないが、自分にとってはそのアクこそが
「東映とは違う、東宝独自の味」であったと認識していただけに
セイザーXの洗練ぶりにはやや寂しい思いもあったのは事実だ。

そして今も続いていたとしてもひょっとしたら何処かで見るのを止めていたのかも?という未来は
否定できないのが悲しいところなのだが…。