2018年5月11日金曜日

東宝の特撮作品新作の可能性に思う

もはや超星神シリーズとはあまり関係のない記事が多い気がする拙blog。
今回もやはり、関係のない記事である。
まあ仕方ない気がする。既に終わったシリーズである以上
書けることなどないといっても過言ではない。


今回の記事はタイトルそのままの話。
ま、具体的には「今後、日本制作の新作ゴジラはありうるのだろうか」という話を少し。
単なる思い付きなので、今後どうなるかなんて保証はなんもしないので、そこのところ一つよろしくお願いしたい。


東宝がゴジラを長期的に寝かせた時期は大まかに4回。
1回目は「ゴジラの逆襲」から「キングコング対ゴジラ」の間。
2回目は「メカゴジラの逆襲」から「'84ゴジラ」の間。
3回目は「ゴジラVSデストロイア」から「ゴジラ2000」の間。
そして4回目が「ゴジラFINAL WARS」から「シン・ゴジラ」の間。

そのうち3、4回目はハリウッド版ゴジラが合間に挟まっており、
国産ゴジラ ・・・あえてこの言い方を使うことにする が復活するキッカケのようなものがここにあることが興味深くある。
特に4回目は東宝側が通称「ゴジコン」を立ち上げ、キャラクターとしてのゴジラを復活させる為
プロジェクトを始動、その結果としてのシン・ゴジラと現在展開中のアニメ三部作であることは
自分が今更説明するまでもないだろう。

特に太字でわざわざ強調したとおり、東宝は「キャラクターとしてのゴジラ」の復活を目論んでおり、
別に特撮映画としてのゴジラに拘りがないことが見て取れる。
もっとも現在、ハリウッドでゴジラを使った新作が二つ予定されていることを考えると
東宝側としては様々な形での、キャラクター商売を模索しているであろうことは想像に難くない。


ここらへん思うことは多いのだが、今回の記事で問題にしたいことはタイトル通りで、
シン・ゴジラがああいうオチであったことを考慮すると可能性は難しそうに見えそうだが、
それ以上に現実的な問題として・・・

「ハリウッドで予定されている二作のゴジラ映画の成績次第で、東宝側の動きが決まりかねない」

という部分が大きい気がする。


仮にハリウッドの次二作が、少なくともギャレゴジ以上の成績を上げることに成功したとすれば
東宝も「じゃあなんとかこっちも日本産ゴジラを復活させてみるか」という判断を下す可能性は出てくる。
実際、ギャレゴジのヒット後にゴジコンを立ち上げた東宝の態度を考えたら、一番判りやすい思考の流れだろう。
#もっとも当時はオタク側から「セコい」と馬鹿にされていたのもよく覚えている。
#当時馬鹿にしていた彼らが今どういう態度なのかは知らない。

が、ハリウッドの次二作が低調で、振るわなかった場合はと言えば
やはり東宝は「ゴジラじゃやっぱりきついのか?」「2014~2016まででピークだった」
という判断を下し、5回目の長期休眠に入る可能性もある。


言っておくが、別に東宝に難癖つけたいわけでは、ない。
興行主としては確実に利益を見込める商材・番組を揃えるのは当たり前の判断である。
だからシン・ゴジラで庵野秀明を招聘したのだろうし。
商売である、そこのところを無視したり軽視しても始まらない。

ただ、ハリウッドの成績次第という受身の態度は、今後のゴジラというキャラクター(商材)の扱い上
かなりの部分で疑問が生じることだけは言っておきたい。
実際、東宝側がどう考えているのか定かではないが、ゴジラ自体がその作劇にせよ映像にせよ
どのキャラクターと比較しても扱いにくいであろうことは事実としてあるが、
だからこそ、時期を見て復活させやすいように企画においてはいくらか検討するべきじゃないかとは思わなくもない。

ある意味、ゴジラは社会を映す鏡のようなものになっている所もあるが、
これがいくらか足枷になってしまってるフシもあるといえば、ある。
とはいえ実社会で問題化している要素などを無視すれば、チャンピオンまつり期やミレニアムシリーズのいくつかの作品のように
いまいち茫洋としたモノばかりになる危険性もあるので、ややつらい。
シン・ゴジラがウケた理由の一つでよく挙げられる「東日本大震災とそのときの政府の対応がモチーフ」という部分などは
比較的受け手側が直近でよく知ってる事柄たちだから、作品に入り込みやすいという所はあった。

ただ一方、ギャレゴジは日本の社会情勢から全く外れて作られたおかげか
あっけらかんとした娯楽作品になっている為、必ずしも先ほど自分が指摘したチャンピオンまつり期とミレニアムシリーズの方向性が間違っているとも言えない。
まあギャレゴジは当時のアメリカの社会情勢とも外れていた気もするが。


ハリウッドの次二作も恐らく、日米両方の社会情勢を無視した作品になるだろうから
「社会を映す鏡」としてのゴジラの要素はだいぶ薄れ、代わりに
「最強の怪獣王」としてのゴジラが前面に押し出されることだろう。

と、考えると国産ゴジラの方向性としては・・・

・少なくとも日本国内の社会問題などを織り込んだ作劇
・アニメ三部作のように、今までのゴジラの世界とは違う世界を作り出す

のいずれかしか取りようがない気がする。
怪獣の大暴れ、という部分だけならハリウッド版のほうが期待はできそうだし
そことは違うところで国産ゴジラは戦わないといけないように思う。
もっとも、ハリウッド版が予想に反してアメリカの社会問題などを織り込んできたら話がかわって来るだろうが。
企画の部分を検討、というのはそもそものテーマなりコンセプトの部分から検討を重ねる必要があるんじゃないか、ということである。
無論文芸もおろそかにするわけにも行かないのは言うまでもないが。



そして映像面。  1カットでも多く、ハリウッドとは違うセンスで、しかし印象に残る映像が欲しいし
特撮映画である以上これを最も強く求められるであろうことは間違いない。
が、
この受け手側の率直な要望は、制作側である東宝が最も頭を痛めるであろうことも想像できる。
何せ特撮は金がかかる。 CGだって手間隙かけ、人員も割くとなれば当然ミニチュアより金がかかるだろうことは言うまでもなかろう。
#どうも特撮作品となると、受け手側からの能天気な「CGでなんでも出来る」式の理屈がまかり通りやすいのが疑問だ。
#すくなくとも2000年代からずっと見聞きしてきただけに食傷している理屈である。

日本においてはシン・ゴジラで今の国産特撮でできる映像というのが受け手側にも伝わったが、
それ以上を求められるのは当然の話でもあるし、これに対して東宝はどう手を打つのか?
という点も気にかかる。
まさか全部ミニチュアに戻すわけでもないだろう。
出来ればこのまま(基本は)CGで、日本で出来る精一杯というものを見たいと思う。
無論シン・ゴジラの時みたいに「えっここミニチュアなんだ」とか「これ合成で処理してたの?」
という工夫ももちろん見たいものであるが。


個人的にはミニチュアとCGは対立するものではない。
前世代と次世代という単純な話でもない。
所詮技術同士の話である。
だからこそ、並存はあっていい。 本当に効率のいい仕事を求めるのなら一つの方法に拘泥するのではなく
どちらの方法も検討できるようにして、最も必要なカットやシーンに合った手法を採ればいいのだから。
特撮という映像技法は決して「伝統芸能」なんて揶揄られるものではない。
その時代ごとの観客を楽しませるための工夫なのだから。


とまあ、熱くなったのだが・・・
実際は先にも述べたように、「キャラクターとしてのゴジラ」を前面に押し出そうとしている今の東宝が、
アニメ三部作の後どういう展開を企図しているのかさっぱり読めない。
読めないからこそ、色々放言してみたわけ。

最悪、「実写はハリウッドにやってもらって、アニメ他は国内でやる」とかいう方針を持ちかねないあたりがなんとも怖いところだが
まあこれもある意味、ゴジラも時代の流れに柔軟に対応している・・・のだろうか。