2018年11月26日月曜日

「勘違いがそのまま広まる」メカニズムについてボンヤリと

もう二年経つ。
なにが、と言えば「シン・ゴジラ」である。
だいぶあの頃の熱気も冷め、いくぶん冷静に作品と当時の状況を俯瞰しやすい状態になっただろうか。

今回は自分が当時から疑問に思っていた事柄を、そのままタイトルにした。


「怪獣大戦争マーチ」という曲がある。
言わずと知れた伊福部昭の楽曲であり、オスティナート版として「VSビオランテ」「GMK」などで再利用されたことで現代のファンにも知られている。
劇場版クレヨンしんちゃんの一編にも使われたことでも知られていよう。


シン・ゴジラ上映中のYoutubeなどでの動画コメントなどを見ていると、
怪獣大戦争マーチのほうを「無人在来線爆弾」の曲である、と勘違いしているケースが多かった。
これは、各匿名掲示板でも度々見られた。

が、東宝特撮ファンであればよく知っているように、そもそも本編で使っていたのは
「宇宙大戦争マーチ」のほうであって、決して怪獣大戦争マーチではない。
#怪獣大戦争マーチを使っていたのはエンドロールのほう。
また、「無人在来線爆弾」の時は全く違う曲であって、宇宙大戦争マーチが使われたのは第一波の
「無人新幹線爆弾」のときである。

が、当時は何故かその二つの認識が混乱したまま広まった事実があった。
なぜか。


これはそもそもが「ゴジラや東宝特撮なんて知らねーよ」という層がかなりの数、シン・ゴジラを見ていた事実もある。
実際、「東特撮」を「東特撮」などというしょうもない書き間違えをする人間も結構居た。
オタクしか居ないはずの某匿名掲示板ですら、そうだった。

それを踏まえていくらか自分がこの勘違いを分析するとこうなる。

1)「怪獣大戦争マーチ」と「宇宙大戦争マーチ」がそもそも似たような曲の上に、タイトルすら似ている
2)「無人新幹線爆弾」のシーンの後に来た「無人在来線爆弾」のシーンのほうに印象を持っていかれた人間が多い
3)最終決戦という大事なシーンのため、見ているほうのテンションでいくらか誤認しやすい状態にあった

となると、これが観覧後にツイッターやフェイスブックなり、SNSなり、匿名掲示板なりでレスするときに
幾分興奮した状態で混同・錯乱したまま書いているのは想像に難くない。

それならそれで訂正すればいいじゃないか、と誰でも思う。
が、テンションで話が拡がって行く恐ろしさはここからで、その誤認のまま
「無人在来線爆弾の時に流れた怪獣大戦争マーチはスゲー」
というようなどうしようもない勘違いがそのまま横行することとなった。
そして言った当人はそのままスルーで、訂正することもない。


こうしたことはシン・ゴジラに限らずいろんな分野で見られる。
いや、身近な日常生活でもこのような錯綜はある。

昔むかし、ダウンタウンのガキの使いやあらへんで! にて
「松本覚せい剤逮捕」なんて東スポで書かれていた、ということを松本人志当人がネタにしていたが
確か当時は某ミュージシャンM氏の覚せい剤による逮捕の話がニュースを騒がせていた頃でもある。

が、松本本人がネタにしているという所でもわかりそうだが、
スポーツ新聞というものは大抵四つ折にして並べられているものであり、
その状態で見出しを見ると「松本覚せい剤逮捕」と読めるようになっていたという話だった。
#オチは「松本人志は知っている M(某ミュージシャンのフルネーム)覚せい剤使用 」というモノ。 わざわざ当時のビデオを引っ張り出して見てみたら・・・。

そんな状態で並べられている新聞の見出しをうっかり見たほかの人間は
「へー松本覚せい剤使ってるんだ」
などと誤解する可能性は高い。
もっとも東スポというだけあって、まるで相手にされていないのは今も活動している松本を見てればよく判るのだが。

が、こうした勘違いというものは我々人間は起こしうるものである。
よく確認すれば全然違うこと言ってるよコレ、というのがあまりに多く、
今でもネットニュースなどは、タイトルだけは目を引くが内容を見たらなんのこともない、
タイトルのインパクトを越えないどころかタイトルと齟齬を起こしているニュース本文であることが実に多い。
まあ、ネットニュースについては東スポほどでもないがワザとやってるのは間違いない。
マトモに信じられそうなのは速報くらいしかないが、これだって怪しい。


シン・ゴジラに話を戻すと。
結局のところ東宝特撮ファンであれば普通に誤認であることは判る内容であるが
そうでない受け手の大多数だって、Youtubeなりで音源を確認すればすぐ済むものでもある。

が、我々日本人というのは本質的におっちょこちょいなのである。
吉川英治が戦後のエッセイで述べていたとおりだが、始終おっちょこちょいなためにしょうもないしくじりをしでかすが、
しかし日本人どうしであれば「まあお互い様だよね」でナアナアで済ませちゃう程度で終わるのもよくある。
つまり、この話は二年たった今や、その勘違いをした当人たちふくめ誰も気にしてない。
何故ならみんなおっちょこちょいなのが判ってるから。
が、これは海外に行けば通用しない。 それについての論評は拙blogの趣旨ではないので控えておく。

つまり我々は戦前戦後とかけて何も本質的には変わってないらしい。
おっちょこちょい。
この本質はたとえ今尚外来の学問を貪欲に取り入れようとも変わらない。
というか、それが元凶でもあろうか。

うーむ。メカニズムをボンヤリ考えていたら、前半で終わって後半は日本人そのものの民族性のようなところを突っ込んだ気がする。
まあ、よかろう。