2015年10月19日月曜日

他愛の無い「妄想」

脚本家について思ったことを書き連ねてみて、いくつが浮かんだ妄想の中に
「もし東宝側スタッフが、超星神シリーズ製作の際に東映作品でも仕事をしていた脚本家を使っていたら?」
というのが大きくなっていた。
#浦沢義雄は別とする。

以前から述べている東映の「ヒーロー至上主義」「ヒーローの活躍さえかっこよく見せられればいい」という思想は強固なものであり
これがいくらスタッフを代替わりしようとも普遍だからこそ、ヒーロー物オタクからは特に支持されているというのも事実。
そして東宝にはこの思想がまるっきり欠けているというのも散々述べてきた。
これはこれで ヒーロー物=東映 という強力な図式が成立してしまっているのは否定しようがない。
刑事ドラマにせよ、時代劇にせよ、ヤクザ映画にせよ、特定ジャンルには滅法強い理由も上記の思想が東映という会社に根付いているからでもある。

無論そうした思想を、押し付け過ぎない程度に作品の中で提示するには監督の力もさることながら
脚本家の物語作りの能力が問われることは言うまでもないだろう。
何せかつての五大映画会社の中では早い段階でテレビドラマに進出した東映である。
毎週、定期的に見てもらわなくてはならないテレビドラマはどうしても文芸にウエイトがかかる傾向もある。
これは連載漫画や小説などを考えてもよく判る話だ。


その上で。
もし東映作品を手掛けた経験のある脚本家が、東宝作品というか超星神シリーズを手掛けていたとしたらどうか。
二人ほど頭の中で候補が居る。



一人は「電脳警察サイバーコップ」で過去に東宝作品に関わっていた武上純希
そしてもう一人は・・・ 
自分が東映作品で最も好きな「特警ウインスペクター」「特救指令ソルブレイン」を手掛け、
「恐竜戦隊ジュウレンジャー」~「超力戦隊オーレンジャー」までメインライターとして関わった杉村升
特に後者は、もしグランセイザーからシリーズ構成を手掛けていたら?と思うことは割と昔からあった。

先に武上より何故杉村を推しているか、武上の方に向いて考察すると・・・
2000年代においては武上のヒーロー物における仕事は東映・円谷のほうに軸足が向ききっている上に
松竹の「魔弾戦記リュウケンドー」にも関わっていたために、どう見ても東宝作品に関わる余地は見当たらない。
さらに言えばその時期はアニメの仕事も多かった。
よって武上は「居たら割とよかったかもしれない」程度の妄想で止まっている。


さて、杉村升である。
その前に杉村の脚本家としての歩みを軽く述べてみると・・・
デビューは1974年。 その作品は「太陽にほえろ!」である。
そう、グランセイザーのシリーズ構成である大川俊道と同じ作品でデビューしており、1981年デビューの大川の先輩とも言える。
#製作が東宝であることは言うまでもないが、この作品は河田秀二に多大な影響を与えていることも忘れてはいけない。

以降は「スケバン刑事」「仮面ライダーBLACK」など東映作品への参加が多くなり、
ドラマ脚本家としては1996年の「刑事追う!」に一本提供したのを最後に活動を終えている。
以降はゲームの世界にて脚本を手掛けるようになり、「バイオハザード2」「鬼武者シリーズ」など
カプコン製作のゲームに参加するようになっていた。
(この当時カプコンが出資した作家集団「フラグシップ」の代表に就任)
このままカプコンゲーム中心の作家活動をコンスタンスに行うものと思われていたのだが、2005年に急性心不全により鬼籍に入る。

バイオハザード2が1998年リリースだったことと、以降7年間にわたってゲーム脚本に集中していたことを思えば、どう見てもドラマ脚本へ返り咲くことは不可能に等しい状況でもあった。
さらに言えば杉村がドラマ脚本から身を引いた時点で既に若い世代が次々台頭していたこともあり、
杉村自身もある程度は見切りがついていたのかもしれない。
そこで、以前より興味の強かったゲームの世界へ足を踏み入れたのだろう。
#杉村の世代でビデオゲームに理解のある人間自体、90年代当時としてはわりと珍しい部類である。
#東映HEROMAXでのインタビューで「(ビデオゲームの)没入感は半端ない」と高く評価していたのを知っている人もいるかもしれない。
#だからこそ「ジュウレンジャー」で、RPG要素を大胆に取り入れられたのだろう。「ソルブレイン」でもビデオゲームを題材にした話を一本書いている。


と、そこまで書いてここからが本題である。

個人的には杉村の作風ならば、割とグランセイザーやジャスティライザーのストーリー・テーマの骨子を
しっかり構築できてたんじゃないかと思わなくはない。
これまた個人的感想なのだが、東映ヒーロー物にしては珍しく杉村の作風は
「キャラクタードラマにまるで頼らない作風」「反面ストーリー面やテーマ性にこだわる」
部分が際立っている。
もっともこれが、ヒーロー物オタク界隈では非常に評判が悪い点だったが・・・。
曰く
「ストーリーorテーマのためにキャラクターが存在している」という評価は、杉村逝去前にネットでよく見かけたものであった。


ただしそれは、キャラクタードラマで話を進めていく東映ヒーロー作品になれた人間だからこその悪評であり、
最初にも述べた「ヒーロー至上主義」という思想のない東宝作品であったらうまい化学反応を示していたんじゃないだろうか?
確かに杉村脚本回はキャラクター性が極端に薄い。 その意味では上記の否定意見も的外れではない。
ただ、良くも悪くも作家性はキャラクタードラマの部分にないというだけの話だろう。
それゆえメインライターとしては初期の作品世界構築や提示には向いた作風であり、
テーマの提示によって終盤メインライターとして〆るところはしっかり〆られると言える。
#これは「五星戦隊ダイレンジャー」を観ていれば特に顕著である。

更に杉村自身のテーマ性として「肉親or守るべきものとの絆」というものが見受けられる。
後半メインライターになっていた「BLACK」ではこの要素は薄いが
最初からメインだった「機動刑事ジバン」から「オーレンジャー」までは手を変え品を変えこのテーマ性を発露していた。
特にジュウレンジャーやオーレンジャーではよく判り易く提示している。

それと別に、「ウインスペクター」「ソルブレイン」の二作を通して見ると
人の命を救う(ウインスペクター) → 人の命だけでなく犯罪者の心を救う(ウインスペクター最終回~ソルブレイン) → 他者であるヒーローが犯罪者or犯罪被害者の心を救うことは不可能(ソルブレイン中盤~最終回)
というテーマの飛躍が見られ、ヒーロー物にしては特異かつ硬派な物語を生み出していた。
#過去にはピープロ「風雲ライオン丸」という作品もあったが、東映作品でここまでヒーロー物を硬派に攻めるのは珍しい。
#また、東宝の「レインボーマン」に通じるドライな現実味を個人的には強く覚える。


もし東宝が、過去の縁で杉村に無理を言ってグランセイザーから脚本に参加させていたとすれば・・・
ストーリー性・テーマ性を前面に押し出した杉村の作風なら、うまくウォフ・マナフと地球との一触即発状態のストーリーを料理出来たんじゃなかろうか。
「戦う意思は無い」と、ウォフ・マナフの船団を退けるという結末をもっと説得力のある描き方が出来たんじゃないだろうか?

またジャスティライザーでも、最後までハデス軍にこだわりつつも翔太と源太郎、ユカの家族、真也の家族という「家族」の要素を
前面に押し出しながらも作劇にうまく活かせたんじゃないか。
ステラプレートという封印アイテムと封印解除を目論むハデス軍との攻防もそれなりに目を引く描き方もできそうであるし、
仮にダルガを出すことになったとしても、しっかりヒーローの家族との対比も交えながらうまいことやれたんじゃないか?

セイザーX時点では2005年10月になっているため、杉村は参加できていないだろうが・・・。
杉村が亡くなったのは同年2月だからである。
#本シリーズは制作が半年ほど早いという話もあるため、ジャスティライザー終盤までは執筆できてたかもしれないが。

東映作品ではやや空回りする部分もあった杉村脚本が、東宝作品でなら水を得た魚のように
もう一花咲かせられる可能性もあったんじゃないか?


以上、個人的主観に基づいた妄想である。
的外れと思われる諸兄もいらっしゃることだろうが、自分の意見を吐き出したまでのこと。
もっと言えば当の杉村升にはまるで関係のないことだろう。
既にこの世から去って10年経つのだから。

とは言いながらも、やはりもし居たのなら・・・と思う気持ちもまだ片隅に残っている自分が居たりするのだが。