2019年3月25日月曜日

「子供」を持ち出す情けない「大人」

まあタイトル通り。
なのだがもう少し具体的な話で言うならば

「なぜ子供向け番組を好んで観てる大人は、番組の感想をいう時などに子供を持ち出してくるのか?」
というもの。


日本人というのは不思議な民族で、やたらと子供を可愛がる、というか甘やかすところはある。
そういう流れを考えたら不思議じゃないのかもしれない。

が、仮にも大人として子供向け番組を追いかけてるオタク・マニアが何かと言うと
「こんなのガキも見ない」
だの
「子供は今見ても判らないだろうけど、大人になったら判る」
だのと、都合良さそうに子供を持ち出すのか。

こういうのもある
「子供でもこれくらい理解できる」
これは平成ライダーオタク界隈でよく見かけた。
が、その内実はさておいて、どんな形にせよ
言ってる当人の中で過剰にイメージ化された子供を念頭に置いている以上、実体からは大きくズレるものだろう。
先の「子供でも理解できる」というのは、これはもっとわかりやすい。
「自分の幼少期と、今の子供を同一化している」からだ。
君が子供の頃、複雑かつ大人の鑑賞に堪えうるドラマとやらを理解できたからといって
他の子供もそうでは、ない。

結局、子供や子供時代を理想化しすぎなのだろう。


オタクやマニアというものが、情報や知識の量しかとりえがないのなら、それでもって自分の感想なりを正当化すればいいじゃないか。
大人なんだから。

ファンを自認してるにしても、大人なんだからみっともなく子供を持ち出さなくてもいいじゃないか。

ただ傍観してるだけの立場だとしても、何故子供を持ち出して話をしなきゃいけないのか、考えたことがあるのだろうか。



その一方、オタク夫婦・マニア夫婦を自認する人らが時折匿名掲示板やSNSなどで
「子供にオタク教育を施す」
みたいなことを言うのを見かけることも目立つ。
みっともない。
オタクやマニアというものは、なりたくてなるというかなっちゃったもの、じゃないのか。
それを親の立場でもって誘導するのは、洗脳ではないのか。
言っておくが自分は、親がスポーツや格闘技などの英才教育を施すのも同じレベルでみっともないと断じている。
自分もやりたい、と言ってきたなら話は別だろうが。

そしてオタクやマニアを自認する人間たちほど、なぜ「ぼくたち・わたしたち大人じゃないし」という態度を取るのか。


なんでこんなにみっともない大人が目立つのか?
自分には判らない。 誰か教えてください。