2019年3月31日日曜日

シリーズ物の難しさ

今回は、相当長い。

ここでは主に、子供向けのキャラクター玩具を売る前提で作られた作品群について述べる。
最近になってあるシリーズを見返して、思うことが出てきたからだが。

それは何か。
「タイムボカンシリーズ」である。


このシリーズの展開時期は1975~83年。
全7作だが約8年間作られたことになる。
2作目のヤッターマンが最長、ついで1作目のタイムボカン、そして6作目のイッパツマンと続き
7作目のイタダキマンがシリーズ最短で打ち切られ、幕を下ろしたわけだ。

本題に移る前に、自分がこのシリーズを今、どう概観しているか書いておく。


一般的なイメージとして信じられているのは「ワンパターンの極み」「王道」「偉大なるマンネリズム」といった
言葉たちに象徴されるように
「同じことを毎度毎度繰り返して人気が出たシリーズ」
である。
事実、タツノコ自体が若干の皮肉と揶揄混じりで作った「王道復古」というOVAがこの評価を物語っている。
#ギャグセンスが90年代当時のノリで、今観るとエグさしかないのだが。
#個人的には王道復古が、今のタツノコに繋がる様々なターニングポイントとなったように思う。


が、オリジナルのタイムボカンに立ち返って見ると・・・

75年にもなれば、既にロボットアニメブームと変身ヒーローブームといった
子供向け作品のムーブメントも安定期に入っており、
これは、当事者としてはやや引き気味だったタツノコプロのスタッフたちもある程度分析をしていたことは想像に難くない。

ロボットアニメも、ヒーローものも、土台となる作品の構造は
「作品タイトルとして冠されているヒーローやロボットが、敵を倒す活躍を見せればいい」
ものとして存在している。
このへん実は今も変わっては居ない。
バリエーションこそ豊富になったが。

で、タイムボカン本編でもマージョ他の発言としてワンパターンだのマンネリだのと云っているのは
スタッフ自体も、玩具を売る作品達というのはえてして、赤文字で強調したパターンで
作られていることに対する一種の揶揄を込めていると見てもそう間違いじゃなかろう。


つまり、一作目のタイムボカンの時点で実は
「ロボットアニメとヒーローものに対する皮肉と揶揄を効かせた、ギャグSFアニメ」
という要素がかなり色濃いといえる。
このシリーズ自体、三悪のコミカルなやり取りやギャグという表層ばかり取りざたされやすいし
現にタツノコ自身もそう認識しているっぽいのが辛いが。
毎回やられる三悪のコミカルさは、トムとジェリーやワイリー・コヨーテとロードランナーを髣髴とさせる。
#個人的にはその二作の影響がかなり強い気がする。
古典的なドタバタのエッセンスが薄れた90年代以降のタイムボカン関係作品が、なんとなく上すべりしかしていないのは、
スタッフの世代が変わりすぎたというのもあるだろうか。
残念だが時代が移り変わり、世代が変わるというのはそういうことらしい。


もっとも、正味20分ほどのアニメとして作る以上お話もドラマもそれなりに入れる必要もあり
当時のタツノコの文芸スタッフたちの苦労が偲ばれる。
毎回のゲストキャラや舞台を考えるのは、ロボットアニメやヒーローもの以上にボリュームのある
仕事だったろうことは想像が付く。

ロボットアニメやヒーローものでも見られるような苦戦や中破程度の描写は
このシリーズでも度々用いられているし、特にタイムボカンはメカの中破描写はごく当たり前のものとして存在している。
だがそれでも三悪側が毎度、何かしらの理由で自滅することになるのだ。
毎回痛い目を見るトムやワイリー・コヨーテとまんまダブると言っていい。
コメディというかギャグ作品のお約束ともいえようか。

スーパーロボットものの要素を入れるようになったヤットデタマンにて、登場するロボットの
大巨神に対してミレンジョ一味が「偏平足」とバカにすることで毎回大激怒・トドメを刺されるパターンなどは
タイムボカンから延々続いた「三悪が最終的には倒されて終り」という作劇パターンを捻ってはいるが
よく考えると「偏平足」という罵倒自体、それまでのロボット玩具が大体そんな足の形状をしていることに対する
タツノコスタッフ側の皮肉と取れても不思議はあるまい。


タイムボカンはまだヒーローものの味付けも薄いが、それを強めたヤッターマンで人気が爆発、
視聴者の歌とギャグアテレコという飛び道具も織り交ぜ、発展に寄与したゼンダマンとオタスケマンを経て
巨大人型ロボットを本格投入したヤットデタマンとイッパツマンにおいては、ヒーロー一人にシフトもしている。

そして枠移動後、ろくな告知もないまま始まることになったイタダキマンに至っては
原点回帰としてのアイテム集めと、ヤットデタマン以来の単独ヒーロー路線、そして初の巨大ヒーロー+二段変身と
様々織り込んだものの、三悪が前面に出すぎた本編を象徴するようなOP映像に
イタダキマンの戦闘中のうるささというマイナス要因もあってか19話程度であっさり切られることとなる。
#OPなど、イタダキマンが出てくるのはわずか一カットに過ぎないのに戦闘は自己主張が過ぎていた。
#タケちゃんマンの戦闘?シーンじゃあるまいし・・・。
それはイッパツマン以前よりさらに下げた視聴率が、人気のなさを物語っても居る。


ただ、当時幼少だった自分が後年概観してみると、致し方ない点もあったように感じる。
フジテレビを悪く言える点があるとすれば、編成側の欲目をかいた枠移動にあるだろうし
当時から悪くいわれがちなフジ側プロデューサーは、過剰なくらいに枠移動を意識していたのだろうとは思う。
事実フジの19:30は、当時人気だったオレたちひょうきん族の直前ということもあってか
相乗効果的なものを狙っていたのだろうか、とも思う。
それは、デフォルメキャラとはいえやたら色気を強調していたOP映像やオチャカ校長のセクハラ描写や各種お色気シーンにも現れている。
#セクハラやお色気はイッパツマン以前からもあるのだが、イタダキマンは妙に多い。

当時のフジの編成およびプロデューサーが
「イタダキマンを見る子供を後のひょうきん族へ、ひょうきん族を見たい年長の視聴者を直前のイタダキマンに取り込む」
ということを狙っていたというのは穿ちすぎか?
しかし目論みは脆くも崩れ去ったという。

もっと言えば、イタダキマンのフジ側プロデューサーはイッパツマンの企画者でもあった。
個人的には一番面白かったイッパツマンを、タツノコと共に制作に関わった人物が
イタダキマンで小山高生氏他とケンカして排除した事実がいまいちリンクしにくい為
先述のような感想を持ったわけだ。
だからといって小山氏などが嫌っているであろうことについては、こちらとしてはどうとも言えないのだが。
当事者間の細かい話が伝わってない以上どうも言えないし・・・ 特にイッパツマン当時。


そして、10何年の時を経てOVAで復活の後、テレビシリーズで単発復活を繰り返すことになるタイムボカンシリーズ。
きらめきマンは自分も当時、ヒマな時に見ていたので覚えているが
どうもギャグの勢いというか、地味ーなまま終わった感想しかない。
後年、枠の事情や当時のテレビの規制、さらにはスポンサーの都合もあって往時のようなノリが出せなかったと聞く。

しかしおかしい。
それならそれで(タイムボカンシリーズとは言えども)その状況を汲んだ物を出せばよかったんじゃないか。
ムリして当時のシリーズのノリに拘って、ムリに状況にあわせるのではなくて
いっそシリーズをぶち壊す程度に変えてしまえばよかったのだ。

どうもタツノコ自体、ギャグアニメになると途端に自縄自縛感が強まるようだ。
それは随分後のヤッターマンやタイムボカン24、逆襲の三悪人でも感じた。
プライドが強すぎるのだろうか?
それとも「どうせ視聴者はタイムボカンシリーズのノリを期待してるんでしょ よく知らんけど」という開き直りというか。
#このへんは、東映や円谷にも感じる自縄自縛感ではあるが・・・


かつてのタイムボカンでは、先述したように当時のロボアニメやヒーローもの(の、商業的な都合の強い作劇)を茶化す作劇が採られていた。
#割と早いタイミングで、結局また負ける展開を見越しての責任転嫁のためか爆弾の発射ボタンを押す役を毎回決めたりがそれだ。
当時のスポンサーはタカトクトイス。 バンダイやタカラなどと比べてもガツガツしてなかったのだろうか。
ある意味本シリーズのコナミ並におおらかだったのかも知れない。
ただ、タツノコもタカトクの要望を織り込む程度には柔軟さが出たのはヤットデタマンとイッパツマンの頃になってから。
しかしイタダキマンでは巨大ヒーローにしたせいで、メカの影が薄くなる欠点も出てしまう。
それだけが要因でもないが、あえなくタカトクは倒産の憂き目に逢う。


きらめきマンを経てヤッターマン以降は、安易なタレントの使用やバラエティ番組を茶化そうとしたテロップの多用などがかえって
痛々しさしか出していなかった。
特に24と逆襲は、劇中のギャグを劇中で安直に突っ込ませる(トキオやカレン)せいで、
見てる側からすると「こいつら何自分たちで盛り上がってるんだ」感しかないギャグが多い。
今の漫才コンビなどがそういう形で笑いを取る現状の反映、とは言えるのだが・・・。
閉じた笑いというか、身内の笑いというか。

ようするに今、自分がタイムボカンシリーズをどう見ているのかというと
「かつて笑わせてもらったギャグアニメシリーズ」
「今は過去のノリをムリに現代にリファインしようとして、見事に蹴つまづいている」
となる。

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と、若干脱線もしたが、本題。
長かったですねえ。

シリーズ物というのは、東映の戦隊シリーズを筆頭に、中断期もちょいちょいある仮面ライダーや円谷のウルトラマン、
映画だが、東宝でもゴジラシリーズがあり
アニメでもガンダムシリーズが今なお細かい中断をはさみつつ続いている。
1979年から中断のない(枠移動は何度かある)戦隊を例外としても
普通は数年の中断を挟んで復活することが多いのが、人気シリーズの常のようだ。

が、復活するからにはその時代ごとの、各スタッフがそれぞれに頭を悩ませ考えてきていることは事実だろうし
クウガ以降20作も続くことになった仮面ライダーや、ティガ以降は断続的といえども展開が続くウルトラマン、
V以降のガンダムシリーズは、それぞれに固定ファンも持ちながら、いかに新時代のファンを獲得しつつ
しかし可能な限り過去のファンも維持しようとしているのか、その苦労も窺える。
ゴジラシリーズもそうした苦労を抱えているといえるかも知れない。


長く続けるということは、どうしても過去作品との比較が出やすい状態にあるということだ。
それは東映のドラマシリーズ「相棒」でもそうだし
NHKの大河ドラマもある意味該当している。
#今年はアタリだ、ハズレだ、という評価は大河方面ではよく聞く。
昔のものとなったが、水戸黄門ですら主人公の水戸光圀の代替わりではっきり評価が分かれる。

これを跳ね除けるのは尋常なことではない。
そりゃあ、シリーズもののファン心理としての「とにかく続いていることが大事」という感覚は今では理解は出来る。
が、自分は未だに納得しがたい。
まあ、だから当時だって戦隊を見るのをほぼ辞めて本シリーズへ鞍替えしたわけなのだが。


中断を挟むということは、過去みていたファンの意識としてはいくらか理想化されている状態にある。
それは肯定的な面、否定的な面両方だ。
ゴジラは特にこれがよく出やすい。
昭和期でも60年代までと70年代、平成VSシリーズ、ミレニアムシリーズと
ファンが見事に分散していることに特色があるし
その分理想化の度合いもキツくなりやすい。
#これは、かつての平成ウルトラ三部作やクウガ~ファイズまでの平成ライダーでも度々あった。
#過去シリーズファンから見た、シリーズのイメージによる批評はかなり手厳しいものが多い。
#無論これは、2014年のゴジラやシン・ゴジラも通過している。


この問題が、先述したタイムボカンシリーズにもモロに出る。
しかも、特撮ドラマと違って年間の製作本数が圧倒的に多いアニメの事。 当然ギャグ・コメディ路線の作品もそれなりにあるし、
時代ごとにそれなりに洗練されていたり、時代の空気というか気分に合わせた笑いを提供もしている。
タツノコ自身も2000年代前半にギャグアニメを作っており、それはそれで話題も呼んだので
時代の空気を掴んだギャグアニメが作れないわけでもないはずなのだが。

ただいかんせんアニメだ。漫画ほどじゃないが年間の作品数は多い。
当然競争もキツイ。 作風というのもいくらか時代性を汲んだものにしないと辛かろう。
タイムボカン24や逆襲は、それらを勘案してみるとどうも努力はしてるんだろうけど・・・ という感想しかなかった。
新配役の三悪が悪いとは思わないが、現代的と思われる早口でさっさと話を進めるテンポは
実は緩急の備わっていた往時のタイムボカンシリーズと比べると、つまらない。
氷の上をただツルツル滑るようにやりとりが進んでいるだけ、という。
ただギャーギャー騒いで終り、たまにボソボソ。 それが緩急でしょ?はい終り。
うーん。 勢いだけありゃいいってもんじゃない。
本当にソレしかないならある意味何も付ける薬はなさそうだが。


日テレヤッターマン以降はどうも、局のプロデューサーの方針もあったのか
バラエティ番組的なノリが強調されすぎた感じだ。
「そんなんならバラエティ番組観るわ・・・」とは、何度思ったことか。
事実、日テレでのシリーズはブツ切りでしか見ていなかったのだ。

アニメでしか見れないような笑いが見たいのだ。  アニメでしか見れないようなドタバタが。
#漫画のが理想的なんだが、スラップスティックは今の漫画では主流じゃないようだ。
毒気があるとされる、当時の時事ネタやタレントネタも、自分からしたらひたすら寒い一方だった。
ゴシップ誌や匿名掲示板などでも散々見聞きするようなことをムリに織り込んでも・・・。


シリーズのイメージ、という部分に立ち返ってみると。
「偉大なるマンネリ」とアニメマスコミをはじめとした評価で度々目にするこの言葉は
一方の受け手たちにしてみたら、捉え方にかなりの差が生じている。
「昔面白かったシリーズでしょ?」
「確かにパターンにハマった時は面白い」
「パターンが固定されすぎたからこそつまらない」
「結局三悪さえ居ればいい」
「八奈見さんのアドリブ」
などなど。

つまり、褒めているわけじゃない。
先述の小山氏などは好意的にこの言葉を使うようだが、受け手たちからすれば
甘く見ても「黄金パターンの言い換えに過ぎない」という感想が実際じゃないだろうか。
ロボアニメやヒーローものの作劇を揶揄ったタイムボカンシリーズが、
パターンに陥ったのは、アイロニカルというにはあんまりに残酷だ。
そして現代のシリーズは、そんな揶揄すら上滑りしている。
これじゃシニカルとしか言いようがない。

まあ、もっとも24や逆襲でのタイムボカン側が毎回のように出す新形態が
ほとんど一回こっきりで出番を終える、というのは現代のロボアニメやヒーロー物に対する
皮肉と思えば、これはこれでタツノコ節・・・なんだろう。
#スポンサーからしたらたまったものじゃないのだろうが。


そして「王道復古」を経ての、超単発的な復活をくりかえすタイムボカン関係作品群。
個人的にはタツノコプロのスタッフが相当に甘い見通しで復活させてるようにしか見えない。
「昔の名前で出ています」じゃあるまいし、人気がなくなって終わったシリーズを
なんとか復活させるという行為は、ブランド力というものが実は通用しにくい事実を露にするのだ。
似たような感じで細々命脈を保っているマクロスシリーズにも言えるのだが。
#こちらは、「超時空シリーズ」のくくりが失敗に終わった事実をベースにしている。


昔大ウケした作品達だからといって、今もウケるわけじゃない。
どうせ、過去の作品も見ようとおもえば見られる今の時代においては
リメイクやシリーズ最新作を銘打ってみたところで、結局過去作品との厳しい比較にさらされるのみだ。

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最後にイタダキマンの擁護?のような指摘をもう一つ。

イタダキマンEDのテロップには、それまでにない「協力 ビックリハウス」なる表記があった。
検索をかけると、当時若者文化を紹介していたパルコ発行の雑誌とある。
詳細は各自検索して、調べていただくと良いが今の言葉でいう所のサブカルチャー系雑誌だ。
糸井重里他が関わっていたといえば、大体どういう雑誌なのか解りそうではある。

この雑誌が何故?と思う。
実際イタダキマンを語る際には全くと言っていいくらいビックリハウスへの言及もなく、
またその逆もない。

ここからは当時幼少であった自分の予想として話をさせてもらいたい。


枠が変わったことで、タツノコのスタッフたちも混乱したろうが
実はフジ側も相当に頭を悩ませたはずだ。
それは、先述したようにひょうきん族の直前という、ある意味大事なタイミングに移動させられた事実でも想像できる。
ひょうきん族自体、主演のビートたけしをはじめとしたタレントたちの若者人気は高い。
オールナイトニッポンのパーソナリティも勤めていた時期でもあり、
今でいう「サブカルな人々」が、ひょうきん族のムーブメントに注目していたろうことも想像ができる。
何せ今のタツノコ以上にきわどい時事ネタを平気で飛ばすような番組だったのだから。

当時のハイエイジにどういう番組がウケるのか?
それはひょうきん族のスタッフが教えてくれようはずもないだろう。
そうなれば、外部の、しかも若者文化に近しいであろう人間たちの頭を借りる必要がある。

そこで、パルコという当時の流行の一端を担った百貨店が出したビックリハウス。
彼らに協力を仰いだのは、ひょうきん族を見るような年代の視聴者が
アニメにどういうものを求めているのかを知ろうとしたからではないだろうか。
協調体制をとる事でイタダキマンにひょうきん族を見たがっている若い視聴者たちを引き込もうとしたのではないか。


まあ、想像ではある。
実際の所は本シリーズで言うところのガンジスみたいなものだったのかも知れない。
つまり、どこまで協力体制を敷いていて、どこまで反映されていたのかが解らない。
仮に解ったとしても、出来上がったものがアレだということを思うと
フジ側の目論見は悪くなかったと思うが、残念なことに良い結果には結びつかなかったと言える。

まさかOPでやたらヤンヤンが露出しまくってたのはビックリハウス側の意見を受けた結果じゃないだろうな・・・。
いやいや、ビックリハウスの協力体制についてはかなり気になる。 誰かご存知の方はいらっしゃらないのだろうか?
それともタイムボカンシリーズのムックなんかには書いてある話なのだろうか?
#一応、本編でオチャカ校長が読んでた描写があるにはあるが・・・。
#ちょっと早い、トレンディドラマ的手法か?


まあでも、これが土曜じゃなくて他の曜日の19:30だったら割といい数字取れてたかも知れない気もするけどね。
東映の宇宙刑事シリーズだって当時19時台に放送してたんだし・・・。
土曜19時代というのは、ちょっと勝負をかけるにはキビしすぎる枠だったのではなかったか。


しかし。
日テレに移動して以降のタイムボカン関係作品たちが、時事ネタやバラエティ番組のノリを多用しているのを考えると
タツノコ側はイタダキマンの怨念にずっと取り付かれているんじゃないかなあ・・・
吸い取っちゃいけない「ひょうきん族」のノリを吸い取ったまま払いのけれてないというか。
なんて、オタク的な勘繰りもしてみたくもなる。