2013年10月8日火曜日

東宝ヒーロー作品に覚える「違和感」 

このblogを立ち上げてから大体4ヶ月くらい経ち、ほぼ10年ぶりにグランセイザーやジャスティライザー、セイザーXを
見返していく機会が増え、当時とは違っていくらか別角度で作品そのものを観られるようになった分、
改めて3作品それぞれに違った魅力や欠点を見出せるようになり、それはまた自分自身に新しい地平が拓けたかのような思いを覚えさせる。

そうして、東宝ヒーロー作品だけに的を絞って見返す… もちろんソフト化されているもので、なおかつ自分が所有しているものに限るが
サイバーコップやガイファード、そしてヒーロー作品の中で一番自分に衝撃を与えてくれたレインボーマンを見返す。
それぞれに色々厳しい部分ももちろんあるのだが、東宝のヒーローものを順を追って見返すという行為は
これはこれで実際楽しい作業となっていた。

その中でここ2ヶ月くらい考えていた個人的テーマとして
「東宝ヒーロー作品と東映ヒーロー作品の差異」というものがあった。


そのテーマひとつを取っても、やはり幾つかの面から検討する必要があり
具体的には
・映像(特撮)
・映像(本編演出)
・キャラクター描写
・物語
と大まかにこの4つをボンヤリ考えていたものであるが、最近はある要素が決定的に違うことに気づいた。

上記四つ以上に「ヒーローそのものの描き方」の問題が一番大きいのではないか。

イマイチ理論化出来ているわけではないので、今後どういう風に認識が転がるのかはわかりかねるが
東映の場合は「とにかくヒーローをカッコ良く見せられれば良い」という思想が感じられる。
ようするにヒーロー至上主義と言っていいだろうか。
作品によっては悪役のほうが印象深かったりもするがそれもあくまでヒーローありき。
東映の場合はヒーローそのものをいかに印象付けるか、ヒーローのヒロイズムをいかにを魅せるかに全てを注いでいる。

ヒーロー物オタク界隈では「東映作品はプロデューサーの意向が強く出る」という認識もあるようだが
個人的にはどのプロデューサーも「ヒーローをかっこよく見せる」という勘所だけは押さえているように感じる。
作品のテーマを強く打ち出そうが、センセーショナルな要素を打ち出そうが
全てはその東映らしさ… 「ヒーローありき」 があるからこそ、今の戦隊であろうとライダーであろうと
ある程度冒険してみたりも出来るのだろう。
(もっとも、そういう部分が強くて自縄自縛しているフシを感じることもあるのだが)

で、それゆえか特撮の部分は存外おざなりになってることが多いのがつらい部分だ。
VFX・CG主体となっている今の仮面ライダーですら、そう毎回毎回凄い映像を見せてるわけじゃなく
全体の数話程度でしか目を見張るような特撮は見せられていないわけだし
戦隊にいたっては新ロボお披露目回や初期数話くらいでしか頑張っていないのがネックだ。

もっとも、それでもファンが納得して観続けている根幹がやはり「ヒーローのかっこよさ」を東映作品がちゃんと提示しているからだろう。
東映が長年培い、提示し続けた「ヒーローのかっこよさ、ヒロイズム」をファンが受け入れているということだ。


さて、ここまで書いて本題である。

東宝はその「ヒーローそのものの描き方」という部分においては、東映と比べると明らかに弱い。
弱いというより「いかにヒーローをかっこよく見せるか?」という意識が弱いんじゃないだろうか。
これは特にグランセイザーに顕著なのだが、あまりヒーローらしさを感じさせるような言動や行動のようなものが各人からは見えてこないのだ。
悪く言い切ると「とりあえずヒーローやってます」感というべきか。
ジャスティライザーでは翔太がかろうじて「困ってる人を見捨てられないじゃん?」という発言をしている程度で
セイザーXだと拓人からはあまりヒーロー然とした態度を感じられない。
(ただし、ヒーローとしての拓人よりは人間・安藤拓人の成長劇という部分だけは強く感じられた作品ではあった)
未来から来たメンバーはヒーローというより、自分達の未来を救うために戦うという目的だけはハッキリしていただけで。

確かに三作品それぞれに、ヒーローらしい言動や行動が垣間見える回はある。
あるのだが何故か全作品を通して見た場合、それでも各作品のヒーローたちに「やっぱヒーローだなぁ!カッコイイなぁ!」というような思い入れを抱きにくい。

三作品の中でもっとも評価が高いセイザーXでさえ、評価されているのはそのストーリーの部分であり
あるいは各人のキャラクター性であるのだが、ヒーローとして高く評価されているかというとどうもそういうわけでもないようだ。
実際、本放送当時の自分の感覚でも、改めて見返したときの感覚でも冷静に思い返すと
「ストーリーやキャラはいい。特撮もいい」で終わっていて
「ヒーローとしてカッコイイ!」という感覚には全く至らなかったのだ。

このへんはヒーロー物遍歴や、ヒーローに対する個々人の考え方などで大きく変わるかもしれないが
それでも大体において「超星神シリーズはキャラと特撮はいい」程度の印象で留まっている人のほうが多いはずだ。

これまた理論化しきれていない部分なのだが、東宝の製作陣にはもともと
「ヒーローをかっこよく見せる」という発想が元々備わっていないだけなのかもしれない。
若干語弊を招きかねない引用をあえて行うが、三作品全てに携わった川北紘一ですら
「東映の戦隊モノは巨大戦も本編スタッフが演出しているから特撮が弱い」
「ならこちらとしては、ソコに付け入るスキがあると思う」
という認識なのだから、東宝サイドの意識としては
「いかに特撮で視聴者を満足させるか?」というものがあったのではなかろうか。

東映が「ヒーロー至上主義」ならば、
東宝は「特撮一点豪華主義」と言い切ってもいいように思う。
特にこの、超星神シリーズにおいては。

#サイバーコップも映像をウリにしていたけど、流石に技術が当時から観ても難があったし
#ガイファードにいたっては特撮の部分は地味で、殺陣のほうを注目される始末…
#レインボーマンは有川特技監督が川内康範先生に色々叱責されたとも言っていたが
#それでも光学合成などは当時の東映作品と比較しても割合ちゃんとやってると思うんだけど


しかしヒーローのかっこよさやヒロイズムを全体に湛えていないだけの話であり、
作品全体が東映作品より劣るなどということは断じてないとも言いたい。

天馬の「殴られたら殴り返すけど、そうでなきゃそれでおしまいだろ!」という、ヘタするとヒーローらしからぬ姿勢
翔太の、ユカへの想いや暖かく見守る家族やまわりの人たちとの関わりの中で見せる「等身大の高校生」を隠さない人柄と
「困った人が居たら見捨てられないでしょ」という、自分なりに最大限なんとかしようとする部分に
拓人の「最初は色々あっても、そのうち分かり合えるんだ!」という主張は
決して、東映などの他社ヒーロー作品に勝るとも劣らない「東宝ヒーロー」ならではの独特な魅力だ。

#ジャスティライザーやセイザーXに共通する部分として「ヒーローを支える家族の存在」があるがこれは章を改めて述べる。

ついでに書いておくと、円谷は「ウルトラマンさえあればいい」というようなフシを感じる。
これはこれで東映の「ヒーロー至上主義」に通じる部分はある。
松竹は… 凄くぞんざいな言い方になるけれど「徹底的に東映を模倣し、少し大げさにして見せた」といったところか。
事実、リュウケンドーは未だに評価が高いのだがこれもストレートに東映的な「ヒーローのかっこよさ」の見せ方を模倣しきったからだろう。
若干くどい描写があるキライはあるものの(特に映像面で)、そこは松竹なりのアレンジかと思われる。
(松竹自体、東映と同じく時代劇で鳴らしていた上に歌舞伎座も持っているということも大きく影響はしていると思われる)