2019年11月9日土曜日

レインボーマン・「キャッツアイ作戦編」中間総評

ここでは、レインボーマン第一~十三話・「キャッツアイ作戦編」の中間総評を行う。



【超能力を持つヒーロー】

レインボーマン最大の特色、それは
「自らの体を鍛え、修行した結果得られた超能力を駆使するヒーロー」
である。
あくまで「体」という点を強調しておきたい。
なぜなら、ヤマトタケシ自身の心はその特色に反して実に凡人然としているからでもある。

その超能力も月・火・水・木・金・土・日の七曜にちなんだものを備えており
これを状況に応じて使いこなすというのが、レインボーマンである。
同時に、他社作品以上に戦闘の展開に多彩さを持たせられるという利点もある。
特にダッシュ1、3、5、6はその特性のためか主に緊急脱出や危機回避のために度々用いられている。
6に至っては、後の小シリーズでも見られるように攻撃面での活躍も増えていくことになる。
#このへん、基本オールマイティーなウルトラマンや仮面ライダーと比べてみるとよく判る。

今シリーズであるキャッツアイ作戦編ではさらに治癒能力も提示されている。
とくに判りやすいのは淑江が吸い込んだキャッツアイを、人口呼吸で吸出しつつ自らの体から放散させるという荒業だろう。
もっとも、師匠・ダイバダッタの「死んだ人間を複数甦らせる」に比べたらさほどでもないのだが。


このように一見万能なレインボーマンにも弱点はある。
まずは、基本生身であるが故に矢や銃弾、サーベルなどで攻撃されれば当然傷つくということ。
そして最大の弱点でもある「ヨガの眠り」。
エネルギーを使い果たすと、強制的にエネルギー補充のために取らざるを得なくなる睡眠状態であり、
この時も、いくら石の様に硬いといいつつも銃弾を受ければ死ぬ、という説明もなされている。

本作は、こうしたヒーローの万能性と引き換えの重大な弱点という豪快なバランスの取り方によって
バトル部分における緊張感が演出されている。
と同時に、ストーリー展開にも大きく寄与していると言える。


【日本に拘る敵組織・死ね死ね団】

本作を語る際に度々とりあげられる存在が、敵側である死ね死ね団。
戦前に活動していた日蓮宗系とされる「死なう団」がネーミングモチーフのようにも見えるが、
もしそうであったならば原作者・川内康範と若干の共通点があるようだ。

それはさておいて、この死ね死ね団。
設定としては「第二次大戦中、東南アジア各地へ日本軍が侵略した際に虐待された人々」
というものがよく知られている話ではある。
#実際の映像を見ると、その設定自体はかなり不明瞭ではあるが。 
#ただし黄禍論がベースになっているであろうことはミスターKの発言から推察できる。

彼らの執拗なまでの日本憎悪・日本人抹殺への情熱は、そのターゲットが直截すぎる点からして
従来の、そしてこれ以降のヒーロー物ないし創作物以上に判り易く、
それゆえ視聴者である我々日本人から見ても強い違和感と異様さが感じられる。

と、同時にこうした敵組織のデザインは、実の所個人的にはある仮説を持たせるのに充分なものがある。
実はレインボーマン当時の川内自身「日本や日本人そのものに愛想が尽きているのでは?」というもの。
川内のインタビュー本「生涯助ッ人回想録」でも、ある時期の回想にて日本そのものに嫌気が差して一時期アメリカに居たというエピソードが語られても居る。

この仮説による川内及びレインボーマンに関する一説は、別更新にて述べたい。


この死ね死ね団の特色は、実はもう一つある。
案外オタクが触れないのが不思議な気もするが、レインボーマンとは対照的な
「科学力を駆使した悪の秘密組織」
というのがそれだ。
これ自体は東映の「仮面ライダー」が既に先行しているものの、ちょっと冷静に考えてみていただきたい。

そもそも本作は東宝が制作に関わってもいる。
東宝と言えば東宝特撮映画に代表されるように、多種多様なSF映画を主体として認識されている会社でもある。
つまりは、それまで主人公側に科学の要素を持ち込んだ東宝が、本作においては
死ね死ね団という敵組織に全て持ち込んでいるという点が非常に興味深いのである。

それゆえレインボーマンを追い詰める作戦も、理詰めで攻めようとする描写が出てくることが散見される。
キャッツアイ作戦編では終盤の「レインボー大作戦」がそれであるし
M作戦編、モグラート編、サイボーグ軍団編とその対策方法は変容しているものの
一貫してレインボーマン対策を、可能な限り追求している部分は覚えられてもいい。
このへんも、小シリーズを経るにつれてエスカレートしている部分である。


【じっくりと描かれるストーリー進行と、ドラマ】

本作においては、ヒーローものにありがちな一話完結の形式を採っていない。
しかし後年のヒーローもののように二話~四話完結という形でもない。
本作の場合は1クール、つまり十三話全てを使って物語を作り上げている。

今回のキャッツアイ作戦においては、実質十話で進行しているといえるが
それは最初の三話がレインボーマンになるまでの説明回ともいえる造りをしているからでもある。

ストーリー面においては、死ね死ね団のキャッツアイ作戦による日本人死者の増加が挙げられるが、
これは終盤3話にてレインボーマン抹殺へ強引にシフトしたせいもあり、若干消化不良の感は否めない。
とはいえ、ヒーローものではしばしば無視されるかサラリと流されがちな「敵組織の作戦によって引き起こされる社会不安」が、
次シリーズである「M作戦編」以降エスカレートしつつシッカリと描写されていくのは記憶されたい。


ドラマ面は、キャッツアイ作戦編では2つほど存在する。
1つは「レインボーマンとしての使命と、家族たちとの生活との板ばさみに逢うタケシ」であり
もう1つは「タケシと淑江の恋人関係」である。
恋人関係が最初から最後まで提示されている、というヒーローものも実のところ稀少ではある。
特に淑江との関係は、最終シリーズまで描かれていることもあってか
タケシの人間らしい苦しみの一端が、淑江との関係を通じて一貫して描かれてもいる。

それは母・たみと妹・みゆきの身を案じつつも、結局レインボーマンとしての戦いを優先せざるを得ない描写においても同様である。
キャッツアイ作戦編の頃から、度々たみがタケシを心配している描写が挟まれているが
この家族たちもまた、M作戦編以降は社会の動乱に巻き込まれることにもなり、
これまたヒーロー物ではサラっと流されがちな、敵組織の作戦による社会不安・混乱のスケッチの一助になってもいる。

さらにタケシの先輩である堀田。
彼は実質今シリーズでしか活躍していないのだが、タケシの言うことをアッサリ信じない現実味のあるキャラクターが提示されている。
とはいえ、タケシの言う死ね死ね団の陰謀という部分を完全に信じきらないまでも、
不審死が多いことに疑問を持ち、やがて友人の北村刑事と共に戦いに巻き込まれていく流れは中々説得力がある。
(もちろん、その過程で二人とも死ね死ね団という組織をようやく認知するに至る)

本作は、ストーリー・ドラマともに入り組んでいることが指摘されることがあるのだが
キャッツアイ作戦編の時点でそのあたりはほぼ完成していると見てもよいようである。

死ね死ね団の側でも、初期のキャッツアイ作戦実行時に団員から泣き言が聞かれたり、
協力している精神病院の医師・川島の、自分の栄達のために死ね死ね団に協力するくだりなど
敵側にもドラマ上の見所が散見される。
そして今シリーズ終盤に出てきたタケシの父。
彼は次シリーズにて本格的にドラマの軸として現れ、ストーリー面にも寄与していくこととなる。


【同時に、じっくり描かれる敵の策謀】

今シリーズ・キャッツアイ作戦編ではまだ薄味のきらいもあるのだが、
それでも市井の人々を狂人化麻薬・キャッツアイによって狂わせ、さらに一切の証拠を残さず死なせる過程を描いている。
屋台の酒に紛れ込ませる、試飲品に混ぜる、ガス状にして嗅がせる・・・。

本作は、死ね死ね団の目的である「日本・日本人の抹殺」の手段を1クールかけてじっくり描く傾向にあり、このあたり実はヒーローものどころか
各種創作物まで拡げないと中々似たような傾向のものは見受けられない作りではある。
一年間の放送期間内で展開された作戦は実に4つ。
それ自体は日本社会に脅威を与え、日本人を混乱せしめ、抹殺する目的のためにある。
#第4クールこそやや毛並みが違うが。

しかし一方、それを看過しないのがヒーロー・レインボーマン。
死ね死ね団は、このレインボーマンの抹殺も作戦の一つに入れなくてはならなくなる。
これまた一年かけて、4つの作戦内でレインボーマン抹殺作戦も織り込むことになった死ね死ね団。
今シリーズでは終盤の「レインボー大作戦」が、事実上失敗に終わったキャッツアイ作戦編のラストをかざることとなった。
まだキャッツアイ作戦編の時点では、本作の完成形には程遠いものの既に萌芽が見え始めても居る。


死ね死ね団本来の作戦(日本人抹殺計画のための物)と並行してのレインボーマン抹殺作戦という、
複雑なストーリー展開は次シリーズ「M作戦編」以降描かれることとなる。


【特技チーム】

本作は、東宝特撮映画における二代目特技監督・有川貞昌が特撮部分の演出を手掛けている。

オーディオコメンタリーでは、映画と違って少人数で演出をしていかねばならない苦労も語られており
光学合成においても、映画ほど精緻な合成が出来ていない点も考えると、なるほど当時どれだけ余裕がなかったかがうかがえる。
有川は、川内からは色々注文が飛んできたがテレビ故にどうしてもその中の予算的制約などで
限界が出来てしまう、といったようなことを語ってもいる。


さて今シリーズにおいては、特撮の全体的な印象という点では別の更新にて
「東映ほど豪快かつ大雑把でもないが、円谷ほど丁寧でもない」と自分は書いている。
実際今シリーズだけで見ても、中々綺麗な合成をしている回もあるが
人形の作りなどはもうちょっとなんとか・・・と言える回もある。
とはいえ、ダッシュ6の地雷震の術による大地の亀裂など、存外悪くないものもあり、
やはり一貫してみると回によって特撮演出のブレが目立つといえようか。

そのブレも、ほぼ特技スタッフが少ないという事情に左右されているところもあると言えそうではあるが・・・。


【中間総評として】

第一部にして、本作のほぼ全ての要素が出揃っている。
意外と複雑なストーリー・ドラマ両面の同時展開に
死ね死ね団の作戦進行の二面同時進行(これはM作戦編以降がわかりやすいが)
レインボーマンの弱点と特色を活かした展開
これら三つの要素は、次シリーズである「M作戦編」においてより複雑、かつ洗練されていくこととなる。

もっともキャッツアイ自体が案外早く掃けてしまった点と、演出部分のアンバランスな点においては
まだまだこなれていない印象を与えるのも事実ではある。
また、「あのくたらさんみゃくさんぼだい」の変化フレーズが無い回もあるなど、ヒーローの演出の揺れも、今シリーズが本作の中では今一歩洗練されていないと思える部分とも言える。


要するにキャッツアイ作戦編自体は、今後に繋がる各要素は既に提示されながらも
今一歩微妙な点が目立つ、というのが正直なところである。
しかし、第二部「M作戦編」以降微妙な部分を改善していくあたりは、流石に経験が積み重なった結果であろう。