2013年12月20日金曜日

超星神シリーズにおける巨大戦

今年はグランセイザー放送10周年という目出度い年である。
それに呼応してかわからないが先月からバンダイチャンネルにてグランセイザーの配信が決まっており
10年経った今、改めてグランセイザーという作品を「冷静に」今の視聴者が評価できる機運も出てきたと思う。

個人的にも、また特撮ファン的にも当シリーズの評価として一番語られるのが「特撮のクオリティの高さ」であり
ここを今から初めて観る人たちがどう感じるのかは、個人的にも少し気になるところである。
10年も経てばCGによる映像も進歩しており、古臭いという評価も出てくるのかもしれないが・・・。
さて、今回の考察?はその巨大戦についてである。

まず初めに当シリーズについてひとつ確認すべき事柄がある。
東映のスーパー戦隊シリーズと真っ向から競合した特撮ヒーロー作品、という意味ではこの超星神シリーズが初である   はずだ。
バトルフィーバーJ以降の「変身する複数の色分けをなされた集団ヒーローが、巨大ロボを操って敵と戦う」というコンセプトでの競合作が、グランセイザーまでは意外と無かったのだ。
#同じ東宝の「円盤戦争バンキッド」は、どちらかと言えばゴレンジャーとの競合作だろうか。

以上を確認した上で話を進めたい。




東宝およびコナミ、そして本シリーズを共に制作した各会社にしてみれば
戦隊シリーズという巨大な壁に立ち向かうことは容易いことではなかったはずで
コナミからすれば当時タカラを傘下に加えては居たものの、男児向け玩具業界は初めての参入であり
東宝およびゼネラルエンターテイメント、そしてドリームプラネットジャパンからしても
テレビのヒーロー物のノウハウは皆無に等しい状態でもあった。

超星神シリーズ製作にあたり、ドリームプラネットジャパンの川北紘一は
「東映の戦隊は、巨大ロボ戦も本編スタッフが撮ることもあるから特撮としておざなりになってる部分がある」
と分析した上で
「それなら東宝特撮で培った技術で対抗すれば、攻め入る隙は充分ある」
と、自著「特撮魂」で述懐していた。
そして東宝側からしても特撮をアピールして打って出るほかないと判断したのだろう。

しかし、グランセイザーを観れば判るように毎回巨大戦を行っているわけではない。
大体3・4回に一回というペースで行われている。
#これは以降のシリーズでも共通している。ただし流石に2,3回に1回程度の頻度に改められているが。
このあたりを見て「低予算」と揶揄る向きもあるようだが────個人的にはこの、数回に一回の巨大戦というのはいい構成だと思う。
これにより巨大戦を行う際は特撮スタッフも充分時間も予算もかける余裕が生じるし
また戦うシチュエーションもいくつか変化を加える余地も出てくるという利点がある。
そして現に、第二クールあたりまではグランセイザーの巨大戦は様々な場所で戦っている。
山奥があり、砂漠があり、街中もあり、港、孤島、発掘現場…。
流石に平成ウルトラシリーズと比べると、シチュエーションはちょっと限られ気味だが
それでも可能な限りあらゆる土地での戦いを描こうとする努力は見受けられた。

巨大戦自体も、かなり迫力のある映像が随所に見られており
豪快な爆発の連続に、とうの超星神そのものも中破程度なら割と当たり前な状況も多く、敵の強大さすら感じられる。
戦隊やウルトラと違って明確に苦戦しているケースが多いのだ。
その分、勝利すればこちらも胸を撫で下ろしてしまうのだが。
このブログのレビューで触れている【特撮の見どころ】の項目を見ていただければ、大体の巨大戦をオススメしていることがお分かりいただけるだろうし
実際、映像だけで言えばかなり楽しめるはずである。


だが、ここで「ヒーロー物を作ることへの不慣れ」が響いてくる案件が幾つか出てくる。

巨大戦の特撮は確かに文句無しに素晴らしい。
だが、肝心の「巨大ロボのカッコ良さ」というのは残念ながら今一歩という印象が強い。
ひとつ断っておくが、「見た目」の問題ではない。
「見せ方」の問題である。

巨大ロボのピンチシーンなどは本当に文句の無い出来栄えなのだが、逆に攻めているシーンについてはイマイチ地味さが拭えない。
淡々と技を繰り出して勝利、というパターンが割合多いのだ。
特に第一作であるグランセイザーは、超星神そのものの必殺技の印象があまりに薄い。
「あれ、もう倒したの?」という感想は、実はこのレビューを始めてから幾つかあった程に
勝利そのものの印象が弱い。
判り易い必殺技バンクを使っていないことによる弊害なのかもしれないが
それはウルトラシリーズでも同じなので、ようは魅せ方の問題になっているのだろう。

技じたいも、数回に一回の巨大戦というパターンが足枷になっている部分として
各超星神の技名などがまるで覚えられない・・・というより印象が薄いといった事態も招いている。
必殺技に相当するファイヤーバードスラッシュやヘラクレスハリケーン、グラビティバースト、ハイタイドブレイク そしてハイパーバーストはともかく
それ以外の小技などは名前も出さずに繰り出されることも多いため
「このロボットはどれだけの能力を持ち合わせているのか?」という点が見えにくいのだ。
名前が出てきたとしても、巨大戦を毎度やってないためかすぐに忘れてしまうのも厳しい。
#今でこそムックや、当時でも子供向けTV雑誌によってフォローはされるものの
#予備知識があった上でも、やはり印象に薄いのは否めないだろう。

また、苦戦する描写が多い巨大戦だがこれも、特撮を楽しみたい向きはともかく
「ヒーローの活躍」を楽しみたい側からすればカタルシス以前にややモヤっとする所だろう。
#もっともこれは巨大戦に限らず、等身大戦においても同じ事である。

以前「東宝ヒーロー作品に覚える違和感」という記事でも書いたが
東映がヒーローを見せることに重きを置いているのに対して 東宝は特撮を見せることを重視しすぎた感もある。
ケレン味というものがまるでない点は、特にグランセイザーに顕著な部分でもあり
当時の視聴者が改めて見直した場合「あれ、こんなにつまらなかったっけ?」となる可能性すらある。

大雑把に纏めるなら
巨大戦の特撮映像という要素は文句ない出来なのだが、ヒロイズムの部分で大きく劣るというのが正確なところだろうか。
「超星神シリーズは特撮は凄い」という評価が一人歩きしすぎている為、
実際に巨大戦を見たら映像の凄さしか印象に残らない人もいるだろうし
当時観た人たちの評価からしてあまり巨大戦そのものを細かく評価してる人がほぼ皆無なのが悲しい所だが・・・。

もっともこれは個人的な感想なので、今後バンダイチャンネルで本作を見た視聴者がどういう感想を抱くのかについては
非常に興味の持てるところではある。