2013年12月9日月曜日

グランセイザー・第四十二話

第四十二話「蘇る!古代生命」
●<グランセイザー>弓道天馬、獅堂未加、獅堂剣、伝通院洸、雨宮涼子、秤谷仁、早乙女蘭
○<関係者・ゲストなど>堀口一郎
★<敵>ボスキート、マリウス星人・ルカ


<夜の兜山遺跡>

兜山遺跡の発掘現場にて、博士たちが水晶板を囲んでいる。
前回ロギアが言い残した「超古代戦争の真実」が引っかかっている博士は、蘭や炎のトライブとともに
久しぶりにこの兜山へ訪れたのである。
テントの外では、謎の女性が空から飛来、ベルゼウスと通信を取っている。
彼女はウォフ・マナフの手先のようで、遺跡をしばらく歩いているとある地点で立ち止まり、ブレスレットから
光線を打ち出し、地形の一部を破砕しだす。  一体何をしているのだろうか?

そうとは知らずテントの中。 水晶板から超古代の記憶が入り込んでいる蘭ならきっと、隠された情報を
引き出せるかもしれないと蘭に期待を寄せる博士。
不安そうに目を伏せる蘭。



翌日。 
水晶板に手を乗せる蘭だが、水晶板からは何の情報も引き出せず。
気落ちする蘭に、未加や剣は慰めの言葉をかける。
しかし新しい情報が手に入らずやや落ち込んだ空気の中、警備員が駆けつけてきて
遺跡の中に洞窟が見つかったと報告する。

一同がその洞窟へ駆けつけ、中へ入る。 それまでそんな洞窟は見つからなかったはずなのに。
洞窟内をしばらく歩いているうちに、謎の球体が見つかる。
天馬がそれに触れたとき、左手のナックルライザーが反応する。 その場の全員が反応を確認したとき、
蘭が突如頭を抑えて苦しみ、さらに球体からは電撃が走り博士が気絶してしまう。
急いで博士を外に連れ出し、病院へ向かおうとする一同。

洞窟では、先日の謎の女性が球体に向かって何かエネルギーを与えている。すると・・・
それは人の形となって現れた。 グランセイザーのような姿の人物。
先ほどの警備員が現れ誰何したとき、その人物が警備員を捕まえ・・・警備員が光と化して人物へと吸い込まれていった。

病院へ向かう車の中で、蘭は叫び声を上げる。
そして、「ボスキート・・・」と、何かの名前のような言葉を呟いて、呆然としてしまう。
未加が天馬に急いで遺跡へ戻るように指示し、未加たちは引き続き博士と蘭を病院へ送ることに。
遺跡の謎の球体と、「ボスキート」。 何か関係があるのだろうか。

遺跡の外では女性が球体の人物に追われている。追い詰められたところでギグファイターをけしかけたが
多勢をものともせず一方的に蹴散らしてしまう。
彼女はベルゼウスに「ボスキートを復活させてしまった。あれは私たちの敵です」と報告したが、ベルゼウスは
「ルカ、お前の使命はボスキートを復活させることだ。その命をボスキートに与えよ」と命令。
呆然とする女性・・・ルカ。
ルカも応戦するがまったく歯が立たず、再度ギグファイターを呼び出したところで天馬が駆けつけ装着。
ギグファイターたちを撃退してしまう。

タリアスは、ボスキートをそうとは知らずに接しているどころか13人目のグランセイザーと勘違いしているようだ。
そしてルカのことも、ウォフ・マナフの人間と知らずに駆け寄り気遣う。
しかし、後ろでボスキートが左手を前に出し、炎の弓を出現させると・・・バーニングファルコンのような技をタリアスに浴びせかけた。
吹き飛ばされ、装着が解除されてしまう天馬。
続いてルカにも同じ技を繰り出そうとした時、今度は装着が解けた状態で天馬が立ちはだかり技を受けてしまう。

その光景を、後から駆けつけた未加と剣が見つけると、二人はただちに装着しボスキートへ立ち向かう。
やはり二人も、グランセイザーの仲間と勘違いしているようだが
説得が通じないならねじ伏せるまで、とブラントルネードと飛燕斬を同時に浴びせかける。
しかし、ボスキートが謎の波動を打ち出したと同時に二人の必殺技がかき消されてしまい、ボスキートは消え去ってしまった。

<ボスキートの謎>

山小屋。
ルカは倒れた天馬を前に悩む。自分達の敵であるこの男は、身を挺して自分を助けてくれた。
しかしベルゼウスは自分の命をボスキートに与えろと命じる。
自分の使命について疑問が生じたルカ。 そこへ天馬が目覚めるが、既に息も絶え絶え。
ルカは天馬にもうすぐ死ぬと告げるが、それでも地球の為に戦わなくてはと言う。
地球人どうしで戦い、地球を汚しているのにそれでも戦おうとする天馬。そこにいる人間たちが好きだから。
そう言った天馬に対し、ルカはボスキートの封印された球体に与えたのと同じエネルギーを天馬に与える。
命を救ってくれた借りを返すのだと。

研究室。
風のトライブと蘭、博士たちが遺跡での出来事を未加から聞きだしている。
恐らく他のトライブの能力ももっている可能性があると博士は推察。
いずれにしても天馬を探し出さねばならないが、ボスキートの動向も気になるため
未加と剣は天馬を捜索、風のトライブでボスキートを追うことになった。

兜山のふもとにある兜村へ風のトライブが到着。
しかしヒト気がない。 ただならぬ雰囲気を感じ取る一同だが、手分けしてボスキート捜索へ。
それぞれに人家や道を探し回るのだが、共通して奇妙な現象に突き当たる。
衣服だけが遺された状態で、人が居なくなっているようだ。
それはありえない、と洸がつぶやいた時、郵便のカブが通り過ぎそれを追う洸。

郵便局員がある店へ郵便物を届けようと入っていくと、ボスキートに店の主人が取り込まれようとしていた。
それを見て逃げ出す局員。
さらにテレビを使って地球上の情報を集めようとしているボスキート。
しかしボスキートは一体何を考えて行動しているのだろうか?

風のトライブが合流。やはり三人とも誰も見つけられなかった。
そこへ先ほどの郵便局員が現れ、怪物が人間を吸収したと叫ぶ。
直ちに現場に急行する三人。取り残された局員は、いつの間にか現れたボスキートへ吸収されてしまう。
そして風のトライブが郵便局員の言っていた現場へ向かうと、ボスキートが現れる。
郵便局員を吸収した後、すぐに現れたボスキートの行動能力・・・。しかしそうとは知らずに
自分達グランセイザーと何か関係があるのかと尋ねるも何も答えないボスキート。

山小屋では、ベルゼウスがルカに対して「グランセイザーの抹殺とボスキートへのエネルギー供給」を命令。
それに疑問を呈するルカだが、ベルゼウスはルカへダメージを与え命令に従わせる。
天馬にブレスレットを向けるルカ。
そして風のトライブはボスキートと戦っている。
ウォフ・マナフの企みとボスキート、そしてボスキートと戦うグランセイザー。戦いは混乱の度合いを増していく。


【レビュー】

絶滅者・ボスキート初登場。 彼は第四部のキーパーソンとして今後もことあるごとに話の中に現れてくる。
この時点ではグランセイザーにとっては「仲間?」という位置づけだが
ウォフ・マナフからは「絶滅者」=すなわち自分達ウォフ・マナフの敵であると認識しているようだ。
しかしどういう理由でウォフ・マナフがボスキートを敵視しているのか、しかしその割に
ベルゼウスが何故ルカの命をボスキートへ与えようとしているのかはまだ不明なまま。
兜村の住民達を無差別に吸収し続けるボスキートを見るに、まさにウォフ・マナフの言う「絶滅者」という言葉が
相応しい行動を示しているのだが、これもまだ現時点では行為の理由が明らかになっていない。

今回はグランセイザーから見てボスキートが仲間なのかどうかわからないまま接している点が特徴的。
もっとも蘭だけは、今回は何も詳しいことを明かしていないため全員勘違いしたままという
ちょっとネタ的見方をしてしまいがちな描写となっているのだが、よくよく考えれば
「ボスキート」という名前しか知らない上に、炎・風のトライブ全員がボスキートの行動(人間を吸収)を見ていないため
敵かどうか判別しかねているのは仕方のないことと言えなくもない。

もっとも、天馬へ攻撃をしたりラストで風のトライブと戦ったりしているあたりで薄々感づいているのかも知れないのだが。


【特撮の見どころ】

・ボスキートが郵便局員を吸収しているカット
・山小屋で、ルカが天馬にエネルギーを与えているシーン

今回はVFXとCGのみ。
後者は、天馬の横たわっているソファ近くにおいてある鉢植えの、しおれている花もついでにエネルギーを浴びたことで
みるみるうちに活力が戻ってきているカットが印象的。
そして前者だが、郵便局員が光に換えられてから消えてしまうところを1カットで見せている。
よく見ると、ヘルメットが落ちたところで別のカットを繋いでいることに気づく。
(もちろん同じ構図である)

ここが、東宝的な見せ方の特徴であろう。
服が落ちずにそのまま残ってしまっているところも少し印象的ではある。
あえて東映との比較で語るが、もし東映作品で同じカットを撮るなら最初の光になる人物は同じように撮っても
ヘルメットが落ちて人が消えるところで別のカットに切り替わっているところだろう。
ズボンと服が、ヘルメットと同時にボスキートの足元に落ちるというカットを入れるはずだ。

前々から書いているが、東宝はどうも「状況を俯瞰して見せるカット」が他のヒーロー作品と比べて多い傾向にある。
今回前半の、新しい洞窟が見つかったと聞きつけて洞窟へ向かったカットにもそれは現れている。
(そこでは、CG合成によって洞窟の入口が岩肌に現れているカットを見せている)
おそらく東映なら、洞窟の中から外へカメラを向けたカットで同じシーンを表現するに違いない。
もっとも、洞窟のシーンならともかくボスキートへ吸収されるシーンのような状況では
そうした映像の見せ方がちょっと冗長に見えるきらいもあり、こういった部分はテレビ番組慣れしていないとも言えよう。

ただし、それが決して悪いわけではなくむしろ東宝らしい味として評価されていい部分だと思う。