2014年1月14日火曜日

<振り返りレビュー・グランセイザー第四部編>

これにて全五十一話のレビューが完結した。
総評に移る前に、第四部の振り返りレビューへ移りたい。


【超古代の戦い、その真相とウォフ・マナフ】

第四部で一番の注目点といえばやはり超古代の戦争の真相であろう。
第一話からことあるごとに提示、視聴者にとっても「超古代の地球人は宇宙人の進攻によって滅ぼされた」という
認識が固まっていたのだが、序盤の「絶滅者」ボスキートの復活と
その時水晶板が伝えたもの・・・実は超古代の戦争は、ボスキートに滅ぼされそうになった地球人が
ウォフ・マナフへ助けを求めた結果であり、その戦争の真の姿は「ボスキートVSウォフ・マナフ」という構図が
明らかにされたことで、ストーリーは急に大きな謎を伴ってうねりを作り出す。

ボスキートは他の命を吸い取り、自己増殖を繰り返すことで爆発的に増加。
これを宇宙に拡散させれば脅威になると感じたウォフ・マナフも総力を挙げてボスキート殲滅に乗り出し
一匹を封印した以外は跡形も残さず、超古代の文明を滅ぼしてしまったのだ。

その一匹に目を付け、これをきっかけに地球支配、ゆくゆくは宇宙支配を目論んだのがベルゼウス。
ボスキートが倒されたあとも蘭をボスキートの子孫と誤認させ、殺してしまおうと目論む。
その蘭こそ、実はウォフ・マナフとの交信能力を持っている「交信者」だったから。
蘭を殺すためにブライトンを送り込み、グランセイザー間での疑念をかもし出させるなど
策略家としての一面が強く打ち出されたキャラクターであった。

さらに同じウォフ・マナフに属しながらもベルゼウスとは立場と考えが異なるアケロン人・ルビーを登場させるなど
ウォフ・マナフ側の不協和音も見え隠れしているのも印象に残る。
とりわけ、復活したロギアが自分を利用したベルゼウスへの復讐の為に一時的にグランセイザーと共闘するくだりは
ウォフ・マナフという組織の複雑さも描かれている点であろう。


しかし、である。
ボスキートもベルゼウスもこの第四部で唐突に登場しているためか
いまいち彼等そのものに観ている側が乗れない。
敵として、倒さなくてはならない相手として視聴者へ訴求するものが弱いのだ。
せめてボスキートは存在を匂わせる程度のものを第二部あたりから
ベルゼウスも第三部の頭くらいから名前だけでも度々出していればそのような印象は抱かないはずなのだが。

さらに言えばウォフ・マナフそのものの存在が、「宇宙の大いなる意思」という
なんだかオカルトじみたものになっていたのも視聴者からすれば肩透かしもいいところだろう。
せめて形式だけでも、そういう最高代表者をデザインして出しておけばとも思うが
これはこれでベルゼウス以上に印象に残らないのは明白だろうし、どうにももどかしい。

第三部から唐突に復活したロギアが最後を掻っ攫うのはさておいても、
第一部に登場したアケロン人ことカリンと同族であるアケロン人・ルビーを出すつもりがあったのなら
なおさら第一部からウォフ・マナフという組織について提示しておけば良かったのだが
そうした積み重ねがないせいかどうしても「唐突に出てきた人たち」という感じが拭えない。

話の盛り上がりじたいは文句はないのだが、最終回がどうにも地味に終わったのも
上記のような「積み重ねの無いキャラクター」がラスボスになったのが原因ではないだろうか。


【調和、しかし…】

ラスト三話でグランセイザーたちが一致団結し、ウォフ・マナフへ自分達は戦う意思は無いことを告げようと
考えがまとまっていくところはよく出来ている流れだと思う。
若干簡素なきらいは否めないが、クラウドドラゴンと12人の対話の中でそれは視覚的にも
それなりに表現出来ているのではないかと思えるが、
「何故12人居るのか」というクラウドドラゴンの問いかけが、最終回の結末に実はあまり関わっていないあたりは不完全燃焼にも程がある。
好意的に見れば、12人全てが戦う意思はないのだから、今更細かい部分をどうこう言っても仕方ないだろうとも思えるが
しかし、それならクラウドドラゴンの問いかけ自体が不必要なのではないかという気持ちも強い。

シリーズ構成を勤めた大川俊道は、第一話などでもそうだったが話を勢いだけで作る悪癖がある。
それは確かに最初の一話二話くらいなら、キャラクター紹介の点も込みでアリだろうが
これを最終回までやられてしまうと流石にゲンナリしてしまう。
※第四十九・五十話は稲葉一広による脚本で、最終回の一話だけ何故唐突に大川俊道なのか首をかしげるところだ。
最終回のあっさり加減と印象に残らなさは、演出の村石監督に問題がないわけでもないのだが…。

せっかく「調和」という形をグランセイザー全員が形作ろうとして、最終回へ向かおうとしていた所で
視聴者的にもどのような形で結末を描くのか興味を引いていたのに、少々切ない気持ちになる。

ヒーローものには相容れない結論・「戦う意思は無い。だから戦いを終わらせたい」というのは
今時で言えば「不戦」で片付く言葉ではあるが
本作に限って言えば割合悪くない結末ではないかと思う。
似たような「不戦」を掲げても、結局は戦っていたりする作品も多い中で
(大抵物語の中盤~後半頭から出てきだす話ではある)
最終話で「調和の為の不戦」をウォフ・マナフへ伝え、それに応えた結果ウォフ・マナフの船団も引き上げていくというのは
そのヒーローものとしては特異な結論と相まって印象深くはある。
考えてみればヒーローものは専守防衛みたいな要素が強く、本作もむろんそういう形で敵の進攻を食い止めているわけだが
そこに立ち返ると、ある回での天馬の「やられたらやりかえすが、殴ってこなかったら戦いは終りだ」というセリフには
既にこの結論を暗示しているように思えるのは考えすぎだろうか。

だがそれが、いまいち語られにくいのはやはり表向きの敵であるベルゼウスのインパクトの薄さが足を引っ張ってしまったからだろう。


【特撮は手抜きも目立つように】

第三部からちょっとずつ慣れが生じてきたせいもあってか、特撮全般が少々クオリティが下がっているように見える。
とりわけ怪獣に踏み潰された1BOX、分解するユウヒのバックが静止画、などの適当すぎるCGが悪い印象を与えており
また、最終回の巨大戦もわりあいアッサリ終わったために、オススメできる回が第四部には皆無という
非常に厳しい結果になってしまったのは辛い。

トロイアスとの戦いだけは街中だったものの、それ以外は山中ばかりになっているのも退屈な印象を与える。
もっとも、山中の崩れた陸橋などの細かな情景はそれなりに挿入されており
おなじ山中でも可能な限り違いを出そうとしている努力は垣間見えるあたりは
特技スタッフの意地のようなものも感じられる。


【演出面・演技面でのテンションの途切れ】

とある回で、複数のグランセイザーの必殺技を受けている敵のシーンに象徴されるように
いかんせん安直な演出が出てくるのが第四部だ。
12人が横並びになって手前側に歩いてくるラストカットなど、古臭さしか感じない演出もそうなのだが
あまり演出を練らずに撮ってしまっているような印象も受けた。
また、第四十八話の堀口博士の妙なテンションなど、現場も撮影が終盤に差し掛かったのもあってか
緊張感がなくなっているようにしか思えないのもマイナス点。

堀口博士といえば演者の赤星昇一郎が、本作ソフトの特典映像でちらっと触れていたが
「何故そのネタを入れる必要があるの?」というものをちょいちょい入れてくるのが気にはなる。
第三部になるが、堀口博士のカツラ設定などは本当に必要だったのだろうか。

どうも東宝というか製作スタッフはその場のノリだけで色々詰め込んでるような印象があり
そしてそれが全部成功しているように思えないところが少し苦しい。
目先の盛り上がりだけを追いかけているように見えるというか…。