2013年11月29日金曜日

<振り返りレビュー・グランセイザー第三部ウォフ・マナフ編>

第三部のレビューは、やや厳しいトーンになってしまうことを予めお断りする。
その上で読んで頂きたい。


【バラエティーに富んだウォフ・マナフの刺客たち】

第三部の表向きのテーマはウォフ・マナフという宇宙的組織との戦いにある。
そしてこの組織から送り込まれたあらゆる星からの代表者が、手口を変えてグランセイザーに
または国防省に対して策謀を張り巡らしていくというのが大まかな流れとなる。

事実出てきた異星人は10人以上にも渡っており、中にはウォフ・マナフとは直接関係がないものも居れば
第一部で倒されたアケロン人の細胞から作られたクローンアケロン人に、
第二部で自殺したはずのインパクター・ロギアが二度に渡って登場。
イベント戦もいくつか行われるなど、第三部は回によってかなり趣の異なる話が連続していた。

しかし、ウォフ・マナフという存在そのものの脅威をアピールしておくべき期間のはずなのに
今一歩緊張感が醸しだせていないのも事実。
それはやはりクローンアケロン人の登場した回やロギア復活、そして「さらば相棒!」のように
本当にウォフ・マナフとは関係のない異星人まで出てきたことなどで
結果的に話の本筋から脱線しすぎてしまい、散漫な印象を与えてしまったのが痛いところだ。

#決して上記のエピソードが、作品として劣っているというわけではないのがまた辛い。

#2013/12/10追記
#どうやら四十・四十一話も第三部扱いのようです。

一方、ウォフ・マナフからの刺客が送られる回についてはクオリティに開きがあるように思われる。
一番無難に「話が進んでいる、なあ」といえそうなのが第三十一話「お嬢様、危機一髪!」くらいで
本作のキーアイテムとなる水晶板のかけらを持つアヤ博士が物語の軸となっていたのだが、
結果的にはそのかけらは破壊されてしまい、話が進展したようなしてないような
モヤモヤした感じを残してしまったのがいかんともしがたい所だ。

もっとも意味のない話と言えるのが第三十二話「宇宙飛行士の悪夢」。
別にグランセイザーでやる必要を感じないほど本筋にもまるで関わってこない物語だった。
一応、シリーズ構成の大川俊道が書いた話なんだけど・・・。

シリーズ構成といえば、この第三部だけでも実に四回(ゴルフィン星人を含めたら五回か?)も
「異星人憑依」というネタを繰り返してしまったのは少々工夫が無さ過ぎる。
具体的には第二十五・三十・三十二・三十六話の四回・・・に第三十七話を足せば五回。
それぞれに目的や憑依方法、結末が違うというのを考慮したとしても
「異星人が憑依して、地球人および地球の生物を利用する」という話にどうしてもなってしまうし
事実その五回全てがそういう話になってしまっていた。

せめてそのうち三回くらいは異星人に直接戦わせるか、怪獣のみを派遣する回にでもすれば良かったのではないだろうか。

#なお、異星人が直接手を下していた例は第二十五・二十六話のビズル星人と
#第三十一話のキラード星人、第三十五話のガダル星人のわずか三人程度に過ぎない。

クローンアケロン人はさておいても、インパクター・ロギアを(一度は死んだようにしか見えない描写をした上で)再登場させた意味は本当にあったのかも疑問だ。
様々な要因が絡んでいたとはいえ、明らかにウォフ・マナフのストーリーラインから外れてしまった彼を使う意味は、本当なら無かったのだ。
(現に第二部終盤で、ウォフ・マナフから任務を解かれている)
#2013/12/10追記
#ただし、二度目のロギア登場については再登場にも少し意味が出てきており
#仮に復活させることが規定路線であれば、第三部においては四十・四十一話だけで良かったのではないかとも思う。

ヒーローものという特殊なジャンルほど、「敵役の説得力」が重要なものも無いわけで
ウォフ・マナフ自体は存在が先に提示されている以上、それに関する諸々は次の第四部で色々明かされる構成にしてもいいだろうし事実そうだったのだが
それにしてもリアルタイムで見ていた当時はあまりに話が停滞し過ぎていてややもすると退屈と感じていた記憶があった。
改めてレビューという形で見返すと、どうも個々の回の「敵役の説得力」が弱すぎたのが原因なように思える。
ウォフ・マナフの存在感があまりに薄すぎる、と言い切ってもいいだろう。


【個々人のエピソードを描く】

第三部の裏テーマ、それがこの個人エピソードの描写だ。
もっともこれは全ての回に徹底されたわけではない。詳しいことは各回レビューに譲るが
話によっては、単なる話のフリにしかなっていないエピソードもある。
未加、剣、誠の三人がメインで関わっている回に顕著だが、よく考えるとこの三人の回は前後編でもある。
誠の回などは、ロギアの復活というネタに全て持っていかれてしまったと言っていい。
こうした、キャラクターを粗末に扱う点はヒーローものにおいてはマイナス面ではなかろうか。

#もっとも、それでも話自体が面白かったらこちらも文句は無いのだが・・・。

一方、ちゃんと物語の縦軸として存在しきっていた回もある。
涼子、仁、豪、蘭、辰平の回はその意味では全く問題ない。 

グランセイザーという「ヒーロー」になった時、日常から外れてしまい、本来の仲間達とやりたい事から離れざるを得なくなった涼子
かけがえのない相棒を守り、心配もする仁
一人で戦うことの尊さを説いた豪
夢と現実の板ばさみになりながら、今目の前の現実と対峙してから夢を追うことになった蘭
イルカの飼育員としての側面が描かれた辰平など
それぞれに話のクオリティなどに差はあるものの、それまでの回では描かれなかった側面は
しっかり描写されていたのではないか。

ちなみに洸、直人、愛は第一・第二部でそれぞれ個人エピソードが描かれており
洸にいたっては彼とカリンの関わりそのものが個人的なエピソードと言っても差し支えないだろう。
そして天馬は主役であるため、個人の色んな側面は回ごとに少しずつ描かれているので
これはこれで問題ないだろう。


【やや停滞した感のある特撮】

映像面、とみに特撮については第一・第二部と比べると頻度はちょっと落ちた。
クローンアケロン人の回とロギア復活回、そしてプロジェクト・オメガの3回程度である。
その分VFXやCG合成は相変わらず高水準をキープし続けてもいるのだが
アナログ特撮を好む向きからすれば、やや物足りなさも感じずには居られないだろう。

そのアナログ特撮も若干慣れが生じたのか、油断も出てきたのか
少し雑な部分も出だしたのが気にかかる部分でもある。
最初のダイロギアン戦以外は全て山中での戦いになった事と、ミニチュア破壊において
ややミニチュアの処理が甘い箇所がいくつか見受けられた事がちょっと残念。
折角高いクオリティで特撮シーンを製作しているのだから、慣れてきたとは言え細かい部分にももっと気遣いをしてほしいところであった。

#しかし第三十九話の、崩落した道路に放置されていた車など情景の細かさは相変わらずで
#こうした部分に目をやるのも本作の楽しみと言ってもいいと思う。


【役者達、演出たちの慣れ】

とりわけ、役者達が細かい演技を入れるようになってきたのも見逃せない。
ただしそれも、実際は限定されてしまっているのだが・・・。
天馬、未加、剣、仁、辰平は特に顕著で、ちょっとしたセリフのやり取りでも
会話の流れから生まれた細かなリアクションが小気味良い。

演出側も、だいたいの方針が個々で固まってきたり、また見せ方も若干工夫や改善をするようにもなってきており
第一・第二部と比べてもへんに遠景だったり、長回しになっているカットは少なくなっている。
テレビ向けの見せ方に若干アジャストされた結果だろう。
ただし、全く上記の要素が無くなったわけじゃないのだが割と納得できる流れで
そうした演出が用いられるようになっているため、やはりこれも半年以上撮影してきた
経験値が物を言うようになってきたのだろう。


【第三部の個人評】

第一部・第二部と比べて第三部の終盤はどうにもパンチが弱い。
プロジェクト・オメガという作戦自体は非常にいいネタのはずなのに唐突感は強かったし
第一・第二部には一応大きな話の骨子があっただけに、第三部はただの異星人バラエティ編になってしまっているのも厳しい。
せめて、オメガ自体は第三部初期から登場させた上で個人のエピソードにも若干絡む形で
未加との交流を描いて、そして最後の戦いへ・・・という流れのほうがまだ見てる側にも
唐突感が薄くてよかったんじゃないかとも思うが・・・。

全体的には、何がやりたかったのか見えてこないシリーズとなってしまっている。
この第三部そのものが、全体的に話がとっ散らかった印象もあってか
実際のところ第三部で視聴を諦めた視聴者も居たのではないだろうか。

#実は自分もリアルタイム当時は視聴を諦めかけていたが、第三十六話で気持ちが若干持ち直し
#そして今に至っている

ある意味、見る側もテーマを定めた上でこのシリーズを見ないと非常につまらない思いをするのではないだろうか。
特撮なら特撮、個人に注目したいなら個人、ストーリーを追いたいならストーリー・・・。
しかし、そこまで無理くりにしなくても見たくなれば見るという流れが普通なのだが。

ちなみに、個人的に好きな回は第二十八・二十九話と三十一、三十六話。
ストーリーを度外視してたんなる娯楽編としてみれば三十三・三十四話も捨てがたい。