2015年12月11日金曜日

超星神シリーズ・個人的総評

ここでは
「超星神グランセイザー」「幻星神ジャスティライザー」「超星艦隊セイザーX」
全3作品130話分を全て見た上で、個人的な感想を述べることとする。
シリーズそのものの総評という形になるので、基本的にはシリーズ全体の特徴や共通点を拾う形になるだろうか。
また、いつも以上に長いので注意されたい。


【特撮一点豪華主義】

本シリーズを評する言葉で今でも聞くのは「特撮はいい」というもの。
これは東映作品のスーパー戦隊シリーズとの比較で成り立っている評価でもある。
何故ウルトラシリーズが入っていないかといえば、本シリーズは特撮ヒーロー物としてははじめて
「色分けされた複数のヒーローと、それが操る巨大ロボの戦いを見せる作品」
として、戦隊と真っ向競合した作品だから。


現在はともかく、本シリーズ展開時はまだCGモデルや合成面、戦隊に至ってはミニチュア特撮でも雑さが目立った東映作品。
少なくとも自分が再度見出すようになったギンガマン~ボウケンジャーまでの間は
ロボ初登場とスーパー合体、新ロボ登場回くらいしか気合の入った巨大戦は見られなかった。

そんな戦隊については川北紘一が「巨大戦も本編スタッフが演出するからおざなりになっている部分がある」
と分析。本シリーズの映像面についての方針が、川北の意思で大体決まっていることも窺える。
曰く「平成ゴジラシリーズや東宝特撮で培った技術を活用すれば、東映に対抗できる余地はある」
というものである。


そしてその目論見は大体当たったといっていい。
巨大戦については、戦隊シリーズの「ルーチンワークでやってる感」から離れた方針を採っていたからだ。
ルーチンワーク感、というものはウルトラシリーズにもある程度当てはまるのだが・・・。

本シリーズは「毎週巨大戦を見せていない」というのが大きな特徴。
それゆえ巨大戦自体がストーリー上のイベント的に差し込めるようになり、融通が利きやすくなっている。
グランセイザーを見れば特に判るが、ストーリー上必要な流れで巨大戦を挟むようになっている。
そして、毎回やっていないが故にシチュエーションの固定化をある程度防いでいることと
巨大戦をやるたびに何かしら違う点を試みようとしていることも目を引く。
砂丘での戦いや度々挿入された海浜地区での戦いなどのシチューエションの多彩さも目を引いた。
ガルーダとドルクルスのライブモードによるドッグファイトというのも目を引く。


もっともグランセイザーの時は力の配分をミスったのか、スタッフに慣れが生じてしまったのか
最終シリーズは手抜きも目立つようになっていた。

ジャスティライザーでは、巨大戦の頻度が格段に上がっている分シチュエーションもやや狭まった。
街中と山中、たまに水際。
これはこれで戦隊シリーズっぽくなってしまい、逆に個性を削ぐ形となってしまったが
敵側のほうで辛うじて工夫を残したし、街中のセットなどでもそれは同様である。

セイザーXでは再度シチュエーションが広がり、月面の戦闘や宇宙空間の艦隊戦も展開される。
また、巨大戦とヒーロー戦が融合するシチュエーションも数回試みられており
そのいずれもグレートライオが関わっているのが面白い。(第二話、第十四話)


ジャスティライザーもセイザーXも、コアロボであるライゼロスやコアブレイバーの活躍が目覚しいのも特色か。
前者は第一話から、後者も特に第三十二話が印象に残る。
ライゼロスはハデス編終盤で石化されるなど、幻星神のウィークポイントであることを攻めた展開も見受けられた。
コアブレイバーは途中三機に増えたが、ジャスティライザー終盤の突如現れたライゼロスのスペア二機と比べたら違和感はない。
#これが上述の第三十二話へつながることになる。

そういえばコアロボと言うとグランセイザーのガントラスも一応そうなるのだろうか。
となれば、三作連続でコアロボが登場することになるようだ。


さて、「超星神シリーズにおける巨大戦」でも触れているのだが
このシリーズ、ヒーローロボのやられっぷりが豪快なのが目を引く。
特にグランセイザーやセイザーXは中破くらいは当たり前の状況が多い。
反面、ヒーローロボ側の戦闘やその勝利については最後まで印象が薄い。
これはヒーロー戦でも同様だが、割とアッサリ目の演出が多いためでもある。

戦隊の場合は必殺技の時にバンクを挟むことで強調するが、本シリーズの巨大戦はバンクがない。
#精々合神や変形時くらいのものである。
これはウルトラシリーズと同じ傾向だが、ウルトラシリーズの場合はカラータイマーのおかげで緊迫感が出ているため
結果的に必殺技を放ついいタメになっていた。
ところが本シリーズはそのどちらも・・・   必殺技バンクも、時間制限も用いていないためか
イマイチカタルシスという面で薄かったのが難点だった。

それを補うかのように、ヒーローロボのやられ様はインパクトが高い。
光線の川北、と揶揄されることも多いものの本シリーズにおいてはむしろプラスに働いていたといっていい。
少なくとも敵の攻撃を受けてやられるシーンにおいては。


反面、ヒーロー自体もヒーローロボにしろ必殺技が殆ど光線技になっており
全てにおいて印象が似通ったものばかりになったのは工夫がないと言わざるを得ない。
グランセイザーのトラゴス(ペネトレイトサンダー)、セイザーXのドリルアングラー・シャークリーガー以外は
「斬撃の衝撃波かビームまたはそれに近いもの、得物を飛ばす」
ものばかりであった。 つまり飛び道具ばかりだ。
カプセルで技の特性が変わるはずのセイザーXですらいまいち特性の差を感じないというか
後から説明されて「あ、そうなんだ・・・」程度の納得しか出来ない点は辛い。

後述するが、特にヒーロー側の勝利が印象に残らない一端を担っていると言える部分だ。


本シリーズは、ほぼ1クールでひとつの小シリーズを区切る構成だが
その小シリーズラストは毎回巨大戦で〆るという特色がある。
これも、毎回巨大戦を挿入していないからこそ可能な「大ネタの見せ方」であり、もっと評価されるべきじゃないかと考えている。
もっとも、本編側でその大ネタに向けて盛り上げられるようになったのがセイザーXになってからというのはいかんともしがたいのだが・・・。


【合成面の進歩】

特撮面、とりわけVFXやCG合成に関してはグランセイザーから通してみると地道ながら進歩の跡も窺える。
もっとも合成面に関しては、グランセイザーの頃は監督やスタッフが合成に万能性を感じすぎていたのか
無茶な合成が目立っていた。

第八話で未加が棒を軸に回転キックを使う合成や、第十四話の海のカットに合成した灯台など。
これらについては東宝作品、ことに本シリーズでよく見かける
「全体を見渡そうとする遠景の多用」
「長い1カットの多用」
「それに伴い、状況をモロにそのまま見せようとする演出」
というのが悪い方向に出ている例だ。
これが東映作品なら細切れのカットや構図で誤魔化すところなのだが。

しかしジャスティライザーはそうした手抜きの合成も減っている。
演出側も合成に携わったスタッフも、前作の反省をしているようでもある・・・のだが、
セイザーXでまた復活している点はどうも・・・
第一部は特に、元々塔のないロケーションにCGの塔を合成してみたり
レミーと拓人が海に遊びにいった時のシーンなどがそれに当たるが流石に第二部からは無くなっている。

ジャスティライザーといえば、ザコールが大量に居ることを表すために大量に素材を切り貼りした合成もあるが
まばらに配置したせいでスカスカ感が出てしまうなど、こちらもこちらでまだ試行錯誤が窺える。


合成については素材と実景の違和感を可能な限り無くす努力も見受けられる。
光源を出来る限り合わせてみたり、遠くにある船や岩などに合成でキャラを立たせたときに影を落とさせたり。
グランセイザーでは鉄橋の骨組みから覗くガルーダとドルクルスの戦闘シーンの合成、
ジャスティライザーでも終盤の金網から覗くメガリオンの合成など、中々きれいな合成も多い。

もっとも地面を割るときのヒビが手抜きだったりと、ちょっとしたもので低クオリティなものもあるが、このへんのクオリティの上下動はいかんともしがたい点であり
これは三作全てに共通した課題でもあった。


必殺技エフェクトなどはかなり綺麗な部類であり、グランセイザーやセイザーXは今見ても悪くない。
巨大戦の光線の撃ち合いなどでもそれは判っていただけるかと思うが
一方でメカの移動時合成でちょっと微妙かなと言えるものもある。
ガンシーサーやランガ、各戦艦などは特にこれを感じることが多い。
前二者はコマ撮りで脚を動かしているせいか若干ぎこちないし
後者は攻撃回避などがやけにスピーディーなので、重量感がなくなっている。


【爽快感のないヒーローの勝利】

三作共通して言えるウィークポイントとしてはこれが大きい。
特に「ヒーローもの」というジャンルで考えたら致命的ともいえる。
必殺技バンクなどをいくら挟んでみてもこれだけは解消されなかった。
今改めて見返してみると一番強く感じたのがこれだ。

ウルトラやライダー、戦隊と比べても全く印象に残らない戦闘が多く
殺陣のほうでも試行錯誤している痕跡はわかるのだが、それでも解消しきれていない。
それはヒーロー戦、巨大戦共通したものでもある。

グランセイザーの頃はゴチャゴチャして見づらい多数戦、 少数の戦いにおいてもテンポが何処となくぎこちない点が目立った。
また、ワイヤーアクションの多用によりさらにテンポがおかしなことになってもいた。

ジャスティライザーでは若干是正され、逆にザコールによる昔の戦隊みたいなフォーメーションなど
基本的にジャスティライザーが少なくなるシチュエーションにあわせたのか、工夫する余地が生まれている。
ただ、銃口主観視点の映像など戦闘の演出としてはいまいちテンポの悪い演出も増えた。

セイザーXではさらにシンプルな演出になったものの、三作共通した「いつの間にか勝ってた」感溢れる戦闘シーンは最後まで残る。
テンポを削ぐ要因の一つともなっていたワイヤーアクションは、セイザーXではほぼ消滅したなど
テレビのヒーローものとしてありうべき形にアジャストできてはいるのだが・・・。


ここまで殺陣を中心にヒーローの活躍について述べてみたが、大体悪い点ばかりになっている。
ただし。
本シリーズはグランセイザーやセイザーXに顕著だが、ストーリーに拘る部分が強く
敵の登場は基本作戦遂行のために存在している程度でもある。
#グランセイザーの第三部とジャスティライザーにはこの要素がない。

ストーリー、もうちょっと正確に言えば敵の作戦遂行だが
ヒーローがこれを阻止するために戦う流れは、他のヒーローものでも見受けられる。
しかし、敵怪人にあまりドラマやキャラクターを持たせない作りである本シリーズは、
「怪人がストーリーの従属物」になりがちであり、 どうしても戦闘の注目度が減る傾向もあった。
ジャスティライザーこそドラマ性やキャラクター性を持たせようとしていたが、成功したとは言いがたい。

グランセイザーとセイザーXは、敵幹部が自ら戦う流れも多く怪人はオマケになりやすかったが
このあたりを考えると、本シリーズはまず敵そのものにインパクトやキャラクター性が薄いがために
戦いそのものの印象が薄いと言える。
グランセイザーでは第一部は風のトライブVS炎・大地のトライブの戦い
第二部はインパクター三人によるガントラス強奪からの地球滅亡作戦、第四部はベルゼウス一味による策動と
各章ごとのストーリーが明確な上に、それをじっくり進めようとしているためか戦闘が薄味になりやすかった。

セイザーXはコスモカプセル争奪戦を軸とした第一部・第二部と
ダークアルマーによる闇の発生が軸になった第三部。 これまたストーリーラインが明確であり
やはり怪人との戦いはあっさり気味になりやすい。


似た構成は東映作品でも何回か取り入れられている。
本シリーズ展開前・展開中の作品で例えれば「星獣戦隊ギンガマン」や「魔法戦隊マジレンジャー」がすぐに出てくる例だが
これらは長らく培った戦隊のフォーマット・・・  ヒーローの戦いと巨大戦と、ゲスト怪人の多様性というものを守った上でのものであり
ヒーローものに求められている「ヒーローの戦い」を見せるという点については本シリーズよりは守られていた。


そう比較してみると東宝側の経験値不足と言えそうだがそうは思わない。
むしろ、東映作品をある程度分析した上で、あえて怪人の戦いを犠牲にしてでもストーリー性に重きを置いた結果ではないかと評価している。
そしてその原型は・・・。


【複数の部構成と、そのルーツ】

超星神シリーズで目を引くのは、大きなストーリー展開のほかにほぼ1クールごとに区切られる小さいストーリー展開という構成。
ジャスティライザーだけは一年3部構成だったが。

グランセイザーでは章が変わるごとに大きなストーリーの起点、超古代戦争の真相が明かされるという展開と
その大元たるボスキートが終盤のストーリーに関わっていくこととなった。

ジャスティライザーはハデスの復活までを描いた第一部、復活から撃破までを描いた第二部、ダルガ登場の第三部。

セイザーXもグランセイザー同様、章が変わるごとに大きなストーリーの起点・・・ コスモカプセルをセイザーXがどう扱うのかという真の目的と、第二部終盤で従来の歴史がさえぎられた為に
第三部ではなりふり構わず地球を闇に包もうとするネオデスカルの策動が描かれていく。


こうした作りは、実は東宝作品でちょくちょく試みられていたものである。
超星神シリーズの構成手法及びストーリー展開の祖は東宝ヒーローものの第一作「レインボーマン」に求められる。
日本そのものにターゲットを絞り、一クールごとにあらゆる作戦をもって日本を壊滅に導こうとする死ね死ね団が大きなストーリーラインとして機能しており
麻薬、偽金、自然災害を人為的に引き起こす、サイボーグによるレインボーマン抹殺作戦など
これらの小さなストーリーラインが、一クールでジックリ丁寧に描かれていた。
死ね死ね団のそれら作戦を瀬戸際で食い止めるというのがレインボーマンの戦いとなる。

そしてレインボーマンもやはりヒーローの戦いが薄味になっていた。
確かに7つの化身に変化できる特性は目を引いたのだが、実際の戦闘はといえば
死ね死ね団の戦闘員の追撃から逃れるために変化の力で退避したり
変身のリスク・ヨガの眠りを必要とするために水中などに隠れるなどの展開をしっかり描くせいで
東映のヒーローものと比較してもよく言えばリアリティがあり、悪く言うとまるで爽快感のない展開が多い。
#化身の力で戦うシーンも確かにあるのだが、大体ダッシュ7、5、6に偏っていた。
#ダッシュ3は水中へ逃げ込んだり、消火活動を行うなど独特な活躍もあったが。


個人的に好きな第二部「M作戦」編では、ニセ札工場の爆破はレインボーマンではなくニセ札の版を作った職人の手によって成されたもので、
餓えにあえぐ国民を救うため首相へ直談判するレインボーマンと並び本作の白眉と言える展開なのだが、特に東映作品に慣れた人から見るとどうもウケが悪い。
自分自身はその東映作品で育った人間なのだが、これら展開には衝撃を受けたものであるし、東宝作品へ目が行くきっかけにもなった。
そしてレインボーマンのおかげでヒーローものそのものを考えるキッカケにもなった。
#まあヒーローものは、ヒーロー自体が事件を解決すべきという考えを見る側も持ちやすいものなのだが・・・。


ヒーローの活躍が地味目に映るという難点に関しては同じ構成を持つ東映作品「仮面の忍者 赤影」、宣弘社作品「アイアンキング」と比較したら実にわかりやすいと思う。
ただしレインボーマンも、第三部で津波をおしもどす展開など
本作なりに見どころは作る努力をしていることを明記しておく必要がある。

ただし赤影もアイアンキングも全編通して現れる敵組織が存在していないことを特に留意されたい。
以上二作に関してはレインボーマンと同じ原作者・川内康範が関わった宣弘社「月光仮面」と同じようなものである。
そこを考えれば、東宝のレインボーマンは月光仮面の進化型と言えるのではなかろうか。


また「七星闘神ガイファード」もやはり三部構成で展開していた。
もっともこちらはその構成がうまく作用していたとは言いがたい。
紫苑の復活にデスファードなどの、ドラマ的ストーリー的な起伏はあるはずなのだが
いずれもやや地味な展開に終始していたためか、印象に残らない。
殺陣のリアリティなどは今でも言及されるものであるし、自分もそこは関心するところではあるが・・・。


ただ、「特撮一点豪華主義」の項でも述べているが、巨大戦で小シリーズを〆る構成は本シリーズの特徴でもある。
スタッフ側もこれを大ネタとして前面に押し出したいという意図が見受けられるが
本編が今一歩及んでいなかったというのが正直な感想だ。


【キャラクタードラマ・ヒロイズムを犠牲とする物語作り】

東映への対抗心があからさまに出ていたジャスティライザーもそうだったが
グランセイザーもセイザーXも、どうもヒーローへの感情移入というか、カッコイイと思える部分は薄かった。

前述のように戦闘が薄味だからというのも影響はしているが、そもそもヒロイズムで推す方向で作劇をしていないように見える。
演出の方針の違いと言うのももちろんある。
東映作品なら敵に痛めつけられたり、敵との言い合いの中で感情を昂ぶらせて変身・逆転させる演出が割と多いものだが
本シリーズはほとんどそういう、ケレン味というか浪花節的な「タメ」やカタルシスを意図的に排除しているように思える。

雑に言うなら「とりあえず敵がケンカ売ってきたからこっちもケンカ買う準備します」的な、
なんだか理にはかなってるけどアッサリしてるというか、ドラマ性が薄い戦闘描写が多い。
これも先述したような、ストーリー展開を重視しすぎたがために戦闘への流れが適当になっているからだろう。

特にグランセイザーでのタリアスVSロギアやジャスティライザーのグレンVSデモンナイト。
いつの間にかライバル関係になっていた彼らだが、それを強調させるべきドラマ展開は描かれていない。
セイザーXのシャークVSジャッカルや序盤のライオVSブレアードはまだそれに至る流れがちゃんと描けていたが。
ヒーローものでは定番化しているライバルの戦いという描写が、積み重ねの希薄さで弱くなっているのもネックではある。


キャラクタードラマの面では、大幅に改善されたセイザーXはまだしも
グランセイザーはその人数の多さによりドラマ面が脆弱だったし、どうしても実況などでイジられてた印象そのものでキャラクターが語られる傾向が今でもある。
これは、人数を減らしてドラマ面を強化するはずだったジャスティライザーも同様である。
特にジャスティライザーは致命的だったと言っていい。


冷静に見返すと翔太とユカ、真也の関係性を薄くじっくり書こうとしていたのがハデス編までは窺えるし
特に真也は似た境遇の澪と、気のいい翔太の父親・源太郎との関わりの中で人物像に変化が生じるなど
ドラマ面では一番大きく動きのあった人物にも関わらず、これまた注目されずに埋もれてしまう。
本作で一番ヒロイズムがあるはずの神野ことデモンナイトですらこうだったのだから、
どうも他社作品と違って目を引くようなインパクトあるドラマ展開や、引っ掻き回すキャラクターに頼らないことが裏目に出ていたようである。

セイザーXでは拓人やアド、ブレアードの人間性の変化や
レミーの出自の真実、そしてシャークの運命などがストーリー面と明確に結びついて相乗効果をももたらしていた。
とはいえセイザーXもキャラ主導の物語というよりはやはりストーリーでじっくり見せる傾向があり、
その意味ではシリーズの集大成と言えなくも無い。

本シリーズは「キャラクターやドラマ性を犠牲にしてでもストーリーで見せる」作劇を志していたと見てもいいだろう。
#ジャスティライザーでしくじっているが・・・。


【色々言いましたが】

別の更新では「迷走」として本シリーズを評した。
それはこの更新でも変わるところはないのだがその理由も何処と無く判ってきた。

やはり他社作品との差別化という部分と、それがうまく行かなかったことにより
作品ごとに方針を変えすぎたことが最後まで響いている。
唯一巨大戦だけは差別化という意味でもしっかり機能していたが、それは競合作品である
戦隊シリーズが比較対象として存在している前提のものでしかない。


ウルトラシリーズでも、ライダーシリーズでも戦隊シリーズ、メタルヒーローシリーズでもそうなのだが
前作でウケた要素を次作で継承しつつ、違う要素を取り入れて差別化を図るということはずっと
行われていた。
場合によっては全く変わった作品もあるが、それでもヒーローものとして何がウケているのかという
勘所だけは押さえ続けていたし
それはドラマ面、ストーリー面においても同様である。
不思議コメディシリーズでもこれは変わっていないため、長らくテレビドラマを作り続けた東映のノウハウの充実ぶりが窺える箇所でもあるし
断続的とはいえ円谷もある程度ノウハウの継承・保守がなされているようである。


ひるがえって本シリーズはどうか。
グランセイザーでは登場人物の多さによりドラマが薄くなってしまった反省から
ジャスティライザーでは人物を減らした代わりにストーリーが薄味に。さらに古臭いまでにマジメすぎるという意見も出る。
セイザーXではマジメさへの反動からコミカルへ振りつつ、ドラマ・ストーリー面を強化することになったが
序盤のコミカルさと全体的により幼児向けにシフトしたことが足を引っ張り、前半と後半で視聴者の注目度に落差が生じている。


「巨大特撮で見せる」以外の、ヒーローものとしての注目度という点では最後まで迷走著しかったと言い切ってもいい。
グランセイザーからジャスティライザーへの変化で特に引っかかったのは、
ストーリー性をオミットしてでもドラマ面を強化してしまおうとした点である。
グランセイザーは構成上雑さはあったが、ストーリー面については文句が無かったのに・・・。
構成の部分を反省しつつ、ストーリーの部分もしっかり拘って欲しかったと今にして思う。
もっとも、グランセイザー自体がそこまでウケてなかったからこそ大胆に大きく変えたんだろうか?とも思わなくもないが・・・。


「時代の徒花」と言いきってしまうのはあまりに切ないところもある。
何せ今も好きなシリーズであるから。
自分自身、タラレバを数多く述べていたのも内心無念さを本シリーズに抱いていたし
もう一つの潮流としての超星神シリーズ、というか東宝ヒーロー作品というものが確立することに淡い期待とその未練を持っていた。

結局は東映ヒーロー作品の亜流、というだけの評価が一般的ではある本シリーズ。
こうしてシリーズ全体を俯瞰してもまあその評価は間違ってないかな・・・とは思うが
それでも東映作品とは違うものを、スタッフレベルで可能な限り模索しており、目立たないものの実際に試みられていた事実は間違いない。
それはこのblogのタイトルどおり「今更」三作品見返した自分が実感したところだ。

願わくば他の方による、再度シリーズを見返しての感想を自分も見たい。
自分はファン視点でもあるからやや身びいきしているところもあるので、冷静さに欠ける自覚はある。
出来れば解説本というかファンブックが出てきて、それで総評が書かれるならありがたいものだが・・・。