2015年12月27日日曜日

レビューのスタンス

ようやく念願の全作レビューを終えて、久々に本シリーズ以外の作品を見返すにつけ
こいつらもレビューしてみたいなぁ、と思う欲も出てきた今日この頃。

サイバーコップとガイファード、レインボーマン、そして来年廉価版が発売されるダイヤモンド・アイ。
この四本はレビューとして見返したい気になった。
特にレインボーマンとサイバーコップは今見返すと物語上の注目点が見出せるようになっており
機会と時間、余裕さえあれば拙blogで別ラベルを設定してやってみようかと思った。
多分タイトルも「今更、超星神シリーズと東宝ヒーローを見返すblog」になりそうだ。


さて、拙blogを全記事見たなんていう方はいらっしゃらない現状を提示した上で
今回の更新はここでのレビュー方針を改めてまとめておこうと思う。
何せこのblog、記事がやたらと長い。
長い理由の大半が、本編紹介に行を割いているからだが、このせいでしっかり全部見ようって言う人が居ないという気もする。



本シリーズをはじめとした東宝ヒーロー作品というのはあまり積極的に見返す人が居ない傾向がある。
良くも悪くも、その時・・・リアルタイム、またはソフトを一度だけ見た際の印象だけで語られやすい。
実際このblogを立ち上げるまでは自分もそんな人間の一人だ。

ったのだが。
ソフトを再度買いなおした上で見返してみると、そのときの印象からは外れる部分も目立ったし
良い部分と悪い部分を可能な限り冷静に見れたんじゃないだろうかと思う。
野暮は承知の上で、自分の視点という形で本編紹介を長く入れているのは、自分が何処を注目しているのか確認していただくというのが一つと
(特に)当時見てそれっきり、またはソフトや有料動画サイトなどで一度だけ見たという人のためにおさらい感覚で見てもらおうという意図があった。

そんな前置きを終え、どういうスタンスでレビューをしてきたのかと言えば。


①当時の実況や、ネット上でネタにされていた部分やそこから生まれた感想を全排除
②直接的に競合している東映作品との相違点を見出す
③ ①を前提に、裏に隠れてしまっているストーリー面・ドラマ面の再確認
④レビューの基本は、本編そのものを絶対視。 当時の雑誌やサントラライナー、ネットでの情報は必要でない限り引用しない


特に①は、当時の視聴者がノリと勢いだけで見て弄っている部分でもあるため、
(そしてそれをベースに未だに言及される)
これをまず排除した上でレビューしないことには始まらなかった。
「本当に、ネタ分しか語る所がないのか?」という疑問もあったからだ。


②はほぼ間違い探しレベル・・・ にならなかったのが幸いである。
何故ならレビューでも度々言及しているが「雑さ」のおかげで、良くも悪くも東映作品とは結果的に差別化できている部分が多かったから。
主役至上主義をベースに作られる東映作品と違い、キャラクタードラマの注目点は薄味になりやすかったのが本シリーズであり
その意味ではむしろ違いが鮮明だったといっていい。

特にグランセイザーでは、12人居るということと第一部の印象で未だに「龍騎のパクリ」と言う人間が多い。
多いが今にして思えばそれは誤解で、第一部についてはどちらかと言えばウルトラマンガイアにおけるガイアとアグルの初期の関係に近い。
ただ、炎と大地のトライブは初期の段階では地球を守るという使命感に乏しかったくらいで。

ジャスティライザーはモロに東映を意識しすぎているせいで、これはこれで逆に文芸側演出側の不慣れさと(特に演出側の)「違うことをやらないと!」という意識が前に出すぎていて
かえって注目点に乏しいという皮肉な結果になっていた。
ただし、ジャスティライザーのおかげで「注目点のないものから注目点を見出す」観点を得られたのは大きい。
アラ捜しやネタっぽい部分を弄るというレベルではなく。

セイザーXになると、競合する東映の過去作品や他の創作物で散見された要素を躊躇無く取り入れつつ
可能な限り違いを出そうという、紙一重の差くらいの差別化を行っていたと今は思う。


③は言わずもがな。
これに徹したおかげでグランセイザーとセイザーXはストーリーそのものに拘ってみた部分があったという感想をもてたのは決して無駄じゃなかった。
ジャスティライザーこそ論外だったが。

ただレビューでは辛口になりすぎた感のあるジャスティライザーでも、セイザーXと同様の要素・・・
ヒーローを後ろで支える家族という要素に注目できるようになったおかげで
実は東宝作品はこの「家族」の要素が多いなぁという所に気づいたのも事実。

「裏テーマ」という考察?ラベルの更新でも述べた「戦いを止める」という、全く目立たなかったテーマと
それを実際に物語で描いた結果はどうなのか? という視点も生まれた。

シリーズ通してみると、キャラドラマという部分はセイザーXである程度克服はしたものの、
薄味気味だったという事にも気づいたが。


④は一番悩んだ部分だった。
本当を言えばグランセイザーのムックや各作品のサントラライナーノーツ、当時の雑誌(宇宙船、フィギュア王、ハイパーホビー)に載っていたインタビューなどを
逐一拾った上でレビューをしたほうがいいのか?というのはセイザーX最終シリーズまで残っていた。

のだが、よくよく考えるとそれらをしっかり覚えている人間がどれだけいるのか疑問だったし、
このblog自体、閲覧者の検索ワードなどを見てみるとそこまで積極的にシリーズを見返そうという感じの人が居なかったようである。
そもそも、スタッフがいくらあれこれ裏設定や当初予定していた制作の方向性などを語ったところで
「出来上がったものが全て」
という、受け手側の非常にシビアな見方にさらされてしまえば、はっきり言えば灰燼に等しいものになる。


今でも掲示板などで、当時のプロデューサーがグランセイザーやジャスティライザー以降は
天然さがどうの、コミカルさがどうのと言う発言を(どこからの発信か判らないのに)引用する人間が居るのだが
そこからしっかり話が広がることは皆無。 精々「へー」くらいのリアクションしか帰ってこないし
また話を振った当人も話を広げていないのだから、スタッフの話を拾ってもしょうがないと認識している。

まあそうはいっても、自分も個人的に肩入れしていた河田秀二の、当時のファンサイトに自ら寄稿した日記の内容を
記憶がしっかりしているものに限って引用するなど、④についてはちょっと例外を設けた感もあるが。
※その日記自体は現在削除。 ファンサイト自体は今もある。

後はグランセイザーやジャスティライザーのソフト特典である、スタッフインタビューくらいしか引用はしていない。


マイナー作品の悲しさなのか、本シリーズほど滅茶苦茶な印象論や出所のわからない噂が目立つものもない。
自分が知ってるレベルでも
「コナミの税金対策」「ゼネラル・エンタテイメント社がサジを投げた」「グランセイザーの時は大川俊道が途中で逃げた」
「バンダイへの嫌がらせ」というものはすぐに出てくる。
また、なんだかよく判らない感情論レベルの罵倒も未だに見受けられることが多い。
曰く「ヒーローものをバカにしすぎ」「所詮東宝だし」というものだ。
#平成ライダー以降増えたヒーローオタク側から特によく聞かされて食傷した言葉達でもある。


まあこれは引用したり、広めている人間がそういうゴシップ的というか、そういう噂を信じたい・信じて面白がりたい、罵倒して面白がりたい人間でしかないので
スルーできるものではあるし、自分自身がそれに乗る必要も無い。
本シリーズに向き合うスタンスが根本的に違うのだから仕方ない。



さて、こうして自分の本シリーズレビューのスタンスを箇条書き、解説させていただいた。
マジメすぎるというか硬いところは自覚している。

とはいえそもそもこういう方針を抱かせたキッカケが
「自分以外の受け手側からネタ作品として見られ続けることへの疑問」
「10年過ぎて、ヒーローものへの興味がなくなったのにまだ本シリーズが好きな自分への疑問」とがあったからで、
決して本シリーズをあげつらうというようなことはない。
確かにジャスティライザーはキツい意見の多いレビューになったのは事実だが・・・。

特に前者は、本当にそれだけの作品達なのか?という疑問が強かった。
それだけならば自分だって即忘れていたし関心も持ち続けられるわけがない。
精々が掲示板やコミュニティサイトで「昔こういう作品あって、こういうヘンなもんだったね」と
当時見ただけの、イジられてた印象のみの話を思い出語りレベルでする程度で終わるものだったろう。
あるいは、マイナー趣味の人間に面白がられてイジられる程度だ。
#そしてそういう人たちのほうが本シリーズに関しては多い。  これはもう諦めているが・・・。


ただ、そんなでも言及されるだけマシなのか? という疑問も今はある。
それに対する答えとしては、自分としては「思い出話と印象論だけで終わるのもね・・・」 でしかない。今のところは。
つまり、もうちょっと掘り下げてみたいという心情だった。
掘り下げて見て見たいという点は、このblogである程度はやりきったので、今は特に不特定多数の人間と普通に語ろうと思うことも無くなったが・・・。
#同じやりとりしかしないなら、話さないほうがマシというのもある。