2015年12月9日水曜日

セイザーX中間総評:ネオデスカル最終決戦

ここでは、「超星艦隊セイザーX」第二十八話~第三十八話までをおさらいしつつ
中間総評を行う。


【未来からの来訪者・その真意】

セイザーX側がコスモカプセルに拘った理由、それは
「コスモカプセルを消滅させて、戦いの連鎖を止める」というもの。
これはこれでグランセイザーでも見られた、戦いを止めるという結論への回帰とも言えるが
セイザーXという作品だけで考えると・・・


シャークはネオデスカルのもとで長らくコスモカプセル及びワームホールの研究をおこなっていたのだが
その中で得た知識・情報をもとに導かれた彼の推察はなるほど納得の行くものばかりだった。
「コスモカプセルで創られた歴史は、コスモカプセルで変える以外に無い」
「コスモカプセルがある限り、戦いの連鎖はいつまでも続く」

だから、コスモカプセル消滅を真の目的として2005年の現代に派遣されたセイザーX。
これが、拓人の人間的成長にあわせてようやく提示されることとなった。
ストーリーの転回というか真相の暴露は、グランセイザーでもおこなわれていたが
本作ではキャラクタードラマへの紐付けが功を奏している。

真の目的が知れるまでの拓人はとにかくカプセルを先に集めるか、三将軍をさっさと宇宙へ帰せばいい程度に考えていたものだが
これもサンダーラとの出会い以降疑問を持ち始め、その結果無闇さが後退し慎重さが出るようになった。
結局終盤ではもとのガムシャラな性格が戻ってきたのだが。


そしてネオデスカル側も、ダークアルマーを用いて現代の地球と宇宙を闇に包んでしまえば
未来が闇に包まれるという結論に変わりは無いと表明。
そして闇に包まれてしまえばコスモカプセルの効力も失われることが明かされる。
このあたりの説明が、終盤のせわしなさにサラっと流されたのはマイナス点と言える。

ネオデスカルの目論見に話を戻すと、自分たちが現代でダークアルマーを用いて
地球と宇宙を闇に飲み込んでしまうということは、 自分たちが存在している時代・・・
つまり、コスモカプセルで創られた未来とは違う未来になってしまうわけであり
当然自分たちネオデスカルの宇宙海賊の血を引いた軍勢も消滅するだろうとアッサリ答える。

一見違和感のある話である。
しかし、シャークが「自分の存在にかえてでも未来を変える」と決意をしたのと同じように
ネオデスカルも自分の存在と引き換えに、闇に支配された時代を守ろうとしていると考えれば
実のところ、セイザーX側もネオデスカル側も必死で「自分たちの時代の未来」をどうにかしようと足掻いていることがよく判る。

特にネオデスカル側からすればXデイによって作られた、自分たち本来の歴史を変えられてしまっており
もはやコスモカプセルに拘るまでもなく、あらゆる手段で「現代を闇に包む」ことを優先せざるを得なかったのだ。
そう考えれば中々納得の行く最終シリーズといえる。

のだが、なんとなく勢いで展開してしまっているような印象も覚える。
もしもう1クールあれば、さらに別の軍勢を率いつつもコスモカプセルに再度拘り
最終シリーズでダークアルマーを使う手段を打つ布石を敷くなどの丁寧な展開もあったんだろうか。
そう感じずには居られないほどにせわしないのがこの最終シリーズであった。


【コスモカプセルの意思】

本作を改めて見返すとコスモカプセルが突如意思を持ち出すかのような働きをしだした最終シリーズには
やや違和感を覚えるところがある。
ガレイド編までは「コスモカプセルで創られた未来と、それを変えるために戦うセイザーX」がストーリーの縦軸であったためか
コスモカプセルの自己主張は見受けられない。

最終シリーズでは、ダークアルマーを用いて人為的に闇に包もうとするネオデスカルへの反発なのか
アドやケインたちを幾度となく助ける描写が見られるようになる。
闇に包まれてしまえば自分たちの力が喪われてしまうための自衛として、セイザーXに与するようになっていったコスモカプセル。
これは最終回で、コスモカプセル消滅を願ったにも関わらず結局消えず
それどころか12人の手元に分かれ、それぞれの人間がそれぞれの世界で守り続けることで
戦いの連鎖を断つことを、コスモカプセル自らが選んだようにも見られる。


ただ、急にこうした要素が盛り込まれるためか超星神シリーズで特に顕著な
「終盤に急に要素が集中する」という難点をそのまま継承してしまった感もある。
そしてそれ以上に、最終シリーズになってからはセイザーX側に有利な存在になってしまった点については
(元からそういう部分はあったとはいえ)本作特有の欠点とも言えなくも無い。

そうした難点もあるが、それでもコスモカプセルがらみのキャラクタードラマのおかげで
ただ見る分にはさほど悪いものでもない。
最終シリーズではレミーとシャークの関係と、コスモカプセルによって未来を変えた場合
シャークが消滅することについてのレミーの葛藤があったため
先述のような違和感も和らいでいるように思える。


【ちょっと違って、ちょっとも変わってない、でもちょっと進歩した人々】

キャラクター面では、特に拓人を中心としたメインキャラクターたちの変化が大きく目を引く。
サンダーラ登場以降、慎重さが出すぎたところをブレアードに突っ込まれ、自らも気に病んでいた拓人だが
宗二郎やレミーたちの支えもあり少しずつ元の無鉄砲さが戻る。
だが、アドたちとの衝突と邂逅の繰り返しが拓人の変化に大きく関与しているのも事実。
アド自身も拓人や現代の地球人とのふれあいの中で変化した人物でもあったが
その感慨を最終回に語っていたのは興味深い。

また、三将軍のうちブレアードも粗雑さが消え、気のいい拓人の相談相手みたいなポジションに落ち着いていたのも特徴的だ。
アドとブレアードという、身近でかつ気兼ねなくぶつかれる存在が居たことが拓人の成長に関わっていると言っていい。
三将軍といえば、アクアルもセイザーXへ合流するまでに個人的なこだわり・・・
「自分の居場所が欲しい」という願望に拘泥しすぎて混乱していったのだが
このシリーズでブレアードや拓人とぶつかりあううちに彼女自身が抱える寂しさを素直に表明するようになっていたことも注目に値する。
三人で宇宙に居ることがあたしの居場所なの。
そうサイクリードたちに話したアクアルの素直さと、哀愁が印象的だ。

このシリーズで一番キャラクタードラマ的に揺らぎが生じたのがレミー。
当初はシャークを父と見做していたのだが、シャーク自身が宇宙海賊の血を引いていることが判明し
さらに別の回ではレミーと血のつながりは無いことが判明する。
1960年の不時着で知り合った少女が、レミーの正体であり要するに現代の地球人ということである。
これがコスモカプセルがらみのストーリーと絡み合って、レミーにとって大きな葛藤となったことが終盤描写されている。


最終回、父との約束どおり渡英する拓人と現代・安藤家に住み込んで生きていくレミーの関係も爽やかなものである。
それはシャークが消滅前に全員に遺した「素敵な未来を創ってくれ」という言葉を象徴しているし
レミーも「精神的な父」たるシャークの言いつけ通りに生きていく道を選んだ点は
悲壮感から一転、生命力に満ちた若者の未来を感じさせる。


もっともシャークはともかく、最初から居るケインはキャラクター上の変化に乏しいが
彼は彼で完成されきっていると思えばまあ仕方ないところか・・・。


【矢継ぎ早の展開と、描写のせわしなさ】

最終シリーズの本編レビューでよく触れていたが、演出陣の問題なのか文芸側の問題かわからない部分として
いつも以上に「しっかり見直さないと判らない話の展開」が増えているように感じた。

・ネオデスカルがカプセルに拘らない理由(=ダークアルマーで闇に包めばよいという目的)
・コスモカプセルで願いをかなえれば、シャークが消えてしまうというくだり

この二つが、終盤の慌しい展開の中で小刻みにセイザーX側が認識していく描写を挟んでいるのだが
三十四話で前者についてネオデスカルがライオに語っていたのに、三十六話でアドが再度、自分の推察として語るあたりが妙に引っかかった部分であった。
(特に三十六話は、三十四話の時点で拓人もネオデスカルがカプセルに拘ってないっぽいことは気づいていたはずなのだが・・・)

好意的に見れば、視聴者に再度説明すると同時に
セイザーXの全員が改めて認識するという描写ともいえるし、無駄がないとは言えるが・・・。
ストーリー上の重要な要素の真相や謎解きを小刻みに提示する、というのは
連続ドラマや連載小説・漫画ではよくあるやり方ではあるとはいえ、本作の場合やや見せ方の点で引っかかりを感じることが多かった。

もっとも、最終シリーズということであらゆる要素の真相や謎解きがなされているせいでもあり
必ずしも悪いと言い切れないところもあるといえばあるが。


シャークが消えるという部分も、最終的にセイザーX側全てが認識するに至ったのも相当遅いが
視聴者側はネオデスカルの独白という形で既に気づいた部分である。
ここはまあこういうものとしてアリかな、とは思う。 思うがやっぱりくどいかな?とも思った。


【特撮ラストスパート】

月面戦や異次元に飲み込まれるアドルイーグルなど
巨大戦自体はやや減少したものの印象に残るシチュエーションを提示しているのは相変わらず。
合成面も特に問題視するようなものはないし、安心して観ていられる最終シリーズである。

三作揃って赤い鳥型メカorロボが特攻するという展開が行われるとは思わなかったが、
これはこれでサービス・・・なのか?
#くどいようだがガルーダはややシチュエーションが違う。
ただ、コスモカプセルの加護で守られていたとするなど前二作とは違い理屈に合った救われ方をしているのが特徴的か。


サービスと言えば二度も再登場したジャスティライザーのメカ巨獣メガリオンに
本作序盤で倒された恐獣のかけらを合成して作られたレイミラードなど、
巨大戦の相手もサービス精神を発揮している。

ダークゲランは、デザインコンセプトとしては若干デストロイアを彷彿とさせところがあるが
これも川北的お遊びなのだろう。


【最終戦シチュエーション】

グランセイザーやジャスティライザーの場合、ピーカンの外での最終決戦となっており
いまいち雰囲気が弱いという難点があった最終決戦。
本作では、ダークアルマーが発生させた闇によって暗くなった地球というシチュエーションであり
形は違えど「最終決戦は暗い場所」というのは、他社作品でも多く用いられるものである。
ようやく本作でもそれを導入することと相成ったわけだ。

他社でも散々用いられたシチュエーションなだけあって確かに安直感もあるし、本作に限って言えば
最終決戦は山脈地帯ということもあり今一歩微妙ではある。
他の作品であれば暗い場所とは言いながらも、可能な限りロケーションで変化をつける工夫をしているので余計にそう感じるものだった。


とは言うものの三作目にしてようやく最終決戦の雰囲気作りを意識して行ったことは
トピックとしてあげてもいいかな?と思った次第である。
今グランセイザーやジャスティライザーの最終回見返して御覧なさいよ、びっくりするくらい印象弱いから。


【中間総評として】

ドラマ・ストーリー両面の盛り上がりとしては文句は無い。
正直三作中一番しっかり出来ていると言って良い。
当時の視聴率でも、本作は後半から徐々に伸びていたということだが
前二作が後半は徐々に下がったことを思えば、特に年長の視聴者が注目していたのだろうという事は想像に難くない。

やはりストーリーやキャラクタードラマを丁寧にやっていれば、あるいは見せ場も多く用意していれば
まず年長者は食いつくということがよく判るし、そうした面の強化が著しいことが証明できていると言えよう。