2015年12月18日金曜日

「差別化」という苦労

創作物に限らず、世の中にある商品、あらゆる職種・業種の企業
極端に言えば個人レベルですら悩むもの。

それが「個性を出す」という「差別化」である。


拙blogでは散々「ヒーローものとして、東映作品などとの差別化をいかに本シリーズが図っているのか」
という部分をそれなりに拾っていた。
勿論ほかに色々拾うべき箇所はあったが、まずはそこを優先した。

何故ならそれまでヒーローものをほとんど手掛けていない会社が作った作品である以上、
メインストリームである東映作品・円谷作品とは違う部分を出さない限りは
「似たようなものなら別に東映or円谷でいいじゃん」
と、すぐさまソッポを向かれるものであるし、いかに東宝とコナミがそれを意識して行っていたのかを見直すことは決して考察?という意味において無駄でもないだろう。



最初に述べた「個性を出すという差別化」というものは、特に企業においては命題と言って良い。
競合するジャンルで製品・作品を出す以上はまず
「先行して既に名前が売れている企業・個人の製品・作品とは異なる部分」をなんとしても生み出し
アピールしなくてはならない。
そういう意味では製作者・企業と言うものは常に「同業他社・他者」と「受け手であり購入者である消費者」
の両者との戦いを常日頃から行っているものだ。



と、自分が説明するまでもなく社会人であれば誰でも判っている前提を述べた上で・・・。
本シリーズではヒーローものとしてどのあたりで先行している東映・円谷と差別化を図ろうとしたのかという事を箇条書き、雑感を述べてみることにする。


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まず散々述べた「特撮を主にアピールしよう」とした部分。
確かにミニチュア特撮・巨大戦においては戦隊シリーズ、
CGやVFXといった合成面においても(そのクオリティと扱い方は上下動したが)平成ライダーと比べても充分渡り合えるものを提示していたのだが
これについては川北紘一をメインスタッフに据えたことが功を奏したといって良い。
その川北からの伝で合成面では手馴れていた会社・スタッフを引き込めたことは大きい。


ただ、円谷と比較すると少し甘いというか、特にウルトラマンネクサスが始まって以降は
競合相手が2つに増えた分その巨大戦の比較対象として強大なライバルが出てきたためか
その当時の作品・・・ ジャスティライザーは埋もれてしまった感も出てきていた。
セイザーXになるとシチュエーションを増やすなどスタッフ側も工夫を凝らすようになっていたのだが。
CG・VFXにおいて平成ライダーと競合していた松竹のリュウケンドーが始まった時期でもあり
本シリーズは最後まで特撮という最大のアピールポイントで苦戦を強いられてきたと言える。
何せ1年経つごとに競合相手が徐々に増えていったのだから。

自分も本放送当時、ジャスティライザー終盤からセイザーX中盤までかかって放送されていたウルトラマンマックスに目移りしていた記憶があるし
ほかの視聴者の関心も、ネクサス終盤~マックス全編へと移っていた時期でもあったため
ジャスティライザーという作品の注目度自体が特に中盤から落ちていたのがよく判った。


とは言え、本シリーズの巨大戦を最後まで期待して見続けていた自分が居たのも事実。
やはり最初に自分の期待以上のものを持ち出されれば気にもなろうというものである。



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本シリーズの名称パターンを見ればお分かりいただけると思うが
(巨大ロボの名称)(ヒーローの名称)
という構成になっているため、 東宝やコナミ的には「どっちも力入れてますよ!」というアピールを言外に示している。
真っ向競合している戦隊の場合は「●●戦隊●●ジャー」というフォーマットが既にヒーローそのものの名称であり
ロボットの名称が入り込むことはない。


セイザーXのみ「流星神」がタイトルに来ず、「超星艦隊」が来ているがあれはあれで
戦艦モードの流星神の艦隊、という意味では間違っていない。
最後までメカをアピールしていたことが窺える。

セイザーXといえば、後半から戦隊よろしく「セイザーX!」という名乗りが行われるようになった。
(実質4回程度)
この名乗りもよく見ると「超星艦隊! セイザーX!」とは言っていない。
東宝側の意地というか、「ロボもヒーローも同一に力を入れている」という意思すら見える。

見えるのだが、やはりヒーロー自身の戦いが最後まで薄味だったことも事実だった。
悪く言えば両方へのアピールそのものが中途半端に終わったとも言えるだろう。


普段、超星神シリーズという名称を気軽に使っている人は多いが
タイトルの部分からして既に差別化を図っていたことに気づいた人は少ない。
実は自分も、レビューを始めてしばらくしてからようやく気づいた部分でもあったのだから、
当時見ていた年長の視聴者の大半がそういう部分に気づいていないのも仕方ないのかもしれない。

これは今見ると非常にもったいないが、これはこれでコナミ・東宝側のアピール不足と言えそうだ。

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グランセイザーこそ「TVシリーズで12星座の戦士を全部出す」という、一見すると東映作品の仮面ライダー龍騎っぽく見えるものの
モチーフから考えてみれば聖闘士星矢の黄金聖闘士の特撮ヒーロー版をやろうとしている。
もっとも、星座モチーフ自体は東宝に限っていってもバンキッド以来のネタではあるが。
しかしそうしたアピールも「龍騎のパクリ」という印象論で留まった人間が当初は多かったのは不幸だった。
#今見返すと第一部なんかは龍騎というよりウルトラマンガイア的である。  いかに当時も今も龍騎のインパクトが残っている年長の視聴者が多かったかが窺える。
#そして第二部以降はそのどちらとも似てない。


ジャスティライザーでは、前作の12人は多すぎるという当然の意見を反映して3人+αに減らしたものの
今度は「古臭い(昭和80年代特撮という皮肉の要約)」「マジメすぎる」という意見にさらされてしまい
記者会見で石井監督が述べていた「誰も見たことのないものを見せる」
というリップサービスのような意気込みも、今となっては空しいものとして記憶される。
同時に東宝側プロデューサーも「これでやっと東映さんと張り合えます」などと言っており
特に後者の発言は最近までジャスティライザーの記者会見を検索エンジンで検索すれば出てきたものであるため
少なくともヒーローオタク側からはよく知られている発言のはずである。


そしてセイザーXでは意識しまくっていた東映作品っぽい演出やヒーローモチーフへシフト。
さらにセイザーXの時にコナミが打ち出した「ムギュッ!と愛情」という商品展開時のテーマに沿ったのか
戦隊と比べてもかなり幼児向けっぽい空気を打ち出した第一部のせいか
第二部以降のストーリー・ドラマ両面の盛り上がりに反して放送当時は今一歩注目度の及ばない作品となっていた。

そのうえヒーロー物初参入である松竹の魔弾戦記リュウケンドー、アニバーサリー作品という色を打ち出した東映の轟轟戦隊ボウケンジャーや仮面ライダーカブト、円谷のウルトラマンメビウスと
話題を振りまいていた作品群に埋もれてしまい、文字通り「マニアックな人気作」という評価におちついてしまっていた。
セイザーXの時は劇場版が上映されるなど、それなりに話題は振りまいていたのだが・・・。
#当初はジャスティライザーの劇場版が制作されるはずだったのだが・・・。放送当時に告知もあったことをどれだけの人が覚えているだろうか。


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三作ともにヒーローそのものの戦闘自体が印象に残らないのが致命的であると、シリーズ総評でも述べた。
香港映画界で鍛えたアクションコーディネーターの起用による、その香港色の強いアクションは
東映作品の、時代劇から鳴らしてきたヒーローアクションに慣れたファンからは拒絶反応もあった。
未だに「ワイヤーアクションや殺陣が香港映画臭い」と評する人間が個人レベルで居ることからそれは窺える。
もっともその批判の要因は、セイザーXで相当薄まっているのだが・・・。
#だからこそ東映ヒーローに慣れたヒーローオタク側からのウケはセイザーXのみ良い。

殺陣と言えば、本シリーズはスタッフが意図的に入れたのか判らないが
「七星闘神ガイファード」を彷彿とさせる要素がところどころ入ることが多い。
妙にリアリティある打撃シーンをタイマンで見せることがあり、これはこれで東宝ヒーローの系譜をアピールしているという意味では良い。


良いのだが多対多の殺陣では途端にダメになっていたのも本シリーズである。
何せ戦隊のようなシチュエーションの戦闘自体、10作作られた東宝ヒーローの中では稀少なものだから仕方ない。
特にグランセイザーでは顕著で、ギグファイターが出だした第二部以降は
フレームというかカメラが妙に寄り気味の構図で多対多の戦闘シーンを見せることが多かった。
非常に狭っ苦しく、爽快感以前に迫力すらない戦闘であった。

さらに、敵1対ヒーロー多 という構図でも殺陣が組体操的というか、人間格闘パズルとしか言いようの無い
よく言えば複雑、悪く言うとゴチャゴチャしてて判りにくい上にヒーローが弱く見える演出も目だった。
これはロギア戦やボスキート戦を見れば判る。


ジャスティライザーとセイザーXではそうした要素は減ったが、かえって本シリーズ特有の
アッサリ気味な戦闘シーンをあらわにしてしまっており、いかんともしがたい。


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さてここまで述べたアピールポイントとその実態だが、
特に直接競合していた戦隊シリーズおよび映画会社として長きに渡るライバルである東映への
意識の強さと、その意識がいまいち実際の作品のクオリティに繋がっていないかが見通せるかと思う。


そして実は物語面のほうがもっとも差別化できていた部分だった。
これまたシリーズ総評などで述べた「ドラマ性やキャラクタードラマを犠牲にしてでも作られたストーリー」がこれだ。
ただ、これが一番のネックでもあったことはグランセイザーを見て判った。
ジャスティライザーはドラマ性のほうを強化したはずが、実際は地味かつ迷走極まりない作劇に終わったし
セイザーXでストーリーで見せる作劇への回帰を果たしている。

ストーリーで見せる、という部分は
「ヒーローへの感情移入がし辛い」「いまいちヒーローがかっこよく感じられない(活躍・内面両方)」
として、ヒーローものとしては致命的な欠点を露にしてしまったりもしたが
個人的にはこれで良かったとも思うし、今後もしまたヒーローものをやるのであれば
東宝はストーリーに拘る方面で差別化を図るべきではないかとも思った。


何故ならば、結局東映側(=キャラクタードラマで話を動かす作劇)に寄ってしまえばそれは最初に述べた
「似たようなものなら別に東映作品でいいじゃん」
という非常にドライな、しかしある意味当然の意見に帰結することが多いからだ。
そして、創作物における差別化というのは実際難しいものがある。


食品や自動車、アパレル等生活必需品と違って「この会社のものだからいい」と言えるかと言うとそうでもなく、
だからといって同一ジャンルで同じようなものをやっても先行している作品と比較されてしまうものである。
そして、どれだけ多くの会社で作られようとも似たようなものという印象を常に持たれ易い創作・娯楽ジャンルの一つがヒーローものでもある。

それはたとえ昭和・平成を問わずウルトラシリーズや仮面ライダーシリーズ、
今でも連綿と続いている戦隊シリーズですらファン以外の大多数からそういわれるほうが多いのだから。
#そして上記シリーズ全てをひっくるめて「似たようなもん」といわれることすらある。
良くも悪くも味付けの濃い、判り易いものであるヒーロー物の持つ難点ではある。


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ここでの記述は、東宝作品内での差別化という部分にのみ触れる。

本シリーズはよく、80年代の「電脳警察サイバーコップ」、90年代の「七星闘神ガイファード」
と並び称される上にそれらの作品の系譜として扱われることが多い。
今でもネット上で見かける「サイバーコップ(またはガイファード)は超星神シリーズのプロトタイプor0作目」
というものがこれである。

まあ上記二作と本シリーズの、共通点を拾えばそういいたくなるヒーローオタクが居てもしょうがないかもしれない。
何せスーツデザインのフォーマットはサイバーコップの系譜が、
殺陣にはガイファードの流れがそれぞれ組み込まれている部分があるから。

なのだが、どうも本シリーズの印象がそれら二作に引っ張られ気味な人も散見される。
明らかにその二作と比べたら映像面では徐々に進歩し、変化もしているのだが
「東宝ヒーローはマイナーヒーロー」という印象論が固まり過ぎて、違いを見出せなくなっているのだろう。

しかし少なくともサイバーコップのように何でもかんでも合成に頼るという要素は激減しているし
ガイファードに比べたらまだ辛うじてケレン味を出そうと努力している痕跡はある。
もっとも、グランセイザーの頃は共通したスタッフがまだ幾人か居たので
そうした印象論が出やすいのも致し方ないが・・・。


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本シリーズを冷静に見れば「2000年代前半のヒーロー物ブーム(実際は東映作品によるイケメンヒーローブーム)」
に乗りかかった作品と言われても仕方ない。
タイミングは実際そういうタイミングだったし、だからこそ尚更その当時のムーブメントを読んだ上での差別化を図る必要もあったのだが・・・。
#グランセイザーでは、村石監督がオーディションに立ち会って「美形どころを集めた」と、DVD特典のインタビューで述べていた。


東映という会社は、作品においては妙に時代劇というか歌舞伎的な価値観を強く持った会社であり
このあたりはヒーロー物、刑事物、ヤクザ物、時代劇といった特定ジャンルにおいて
必ずその時代ごとにウケのいい美形どころを主役に起用して、受け手への訴求を行っていることからも窺える。


映画やドラマにおいては普通のことでは?と思えるし今更挙げることでもあるまい。

しかし、東宝という会社はこうした歌舞伎~時代劇のラインからはまるで外れた会社であった。
それゆえ恐らく体感的に「どういう俳優が、世間ではウケるのか?」という勘所が無い会社なんじゃないだろうか。
会社としては「その時々でウケているものを扱う」という色合いが強いのが東宝だが・・・。
一応東宝自身も芸能事務所を持って役者を所属させているため、決してそうした勘が無いわけじゃないだろうが
東映のように時代劇から長々鳴らしてきた、美形による訴求という部分では一歩、二歩は及んでいない部分は否めない。

それは本シリーズ三作目であるセイザーXでやっと、東映作品でも通用しそうな美形を起用するようになったことでもそれとなく判る。
#実際ケイン役の三浦涼介とアド役の進藤学は後に東映作品にてレギュラー出演しているようだ。


主にネット上で当時見られた、視聴者側の評価として自分がよく覚えているのは
グランセイザー・・・ 地味なのが多い
ジャスティライザー・・・ アクが強過ぎる
セイザーX・・・ 拓人やゴルド以外はいい
というもので、いかに東宝に当初、イケメンヒーローブームの流れを読みきれて居なかったのかが今更わかる気もしなくもない。

とは言えグランセイザーの天馬役・瀬川亮を思うと決して上述の村石監督がイケメンヒーローの流れをハズしていたわけでもないが・・・ 同作では他の演者でワリを食った部分も否めない。
ジャスティライザーの翔太役・伊阪達也は当初から実況でよくイジられてたくらいにアクが強かったし
セイザーXの拓人役・高橋良輔に至ってはアド、ケインに埋もれてしまい微妙な評価を下されていたのもよく覚えている。


グランセイザーでも仁役の松沢蓮、誠役の岡田秀樹、ロギア役の阿部進之介に
ジャスティライザーは神野役の浪岡一喜あたりは今でも全然通用すると思うんだけどね・・・。
#特に浪岡氏は見た目だけじゃなく役者としてその後の活躍が著しいことは自分が言うまでもない。
そしてこの四人、演技力という面では当初から平均点以上のものは持っていた。
ある程度は役者としてのキャリアがある人間がヒーロー・敵役を演じたほうが良いという好例かもしれない。
そもそもヒーローもの自体が非常に特殊なジャンルである以上は演技力が他より問われるものだろうし。


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ここまで述べた事柄を全部読んだ方からは、実はこのシリーズ嫌いなの?と思われそうだがそうじゃない。
ただ、冷静に作品そのものを俯瞰した時に感じたことをそのまま述べただけのことである。
そして、差別化という命題がいかに難しいものであるかを今更、他人事とは思えないレベルで思い知らされたものである。