2015年12月10日木曜日

超星神シリーズへの想いと諸々の感想

「超星神グランセイザー」 2003年10月~2004年9月  
「幻星神ジャスティライザー」 2004年10月~2005年9月
「超星艦隊セイザーX] 2005年10月~2006年6月


この更新は雑文を集めて纏めたものであるため、つながりを気にせず読んだほうがいいと思われますが・・・。
表題どおり、この更新でシリーズそのものの個人的な諸々を述べてみる。


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自分がこのblogを、googleが提供しているbloggerのサービスを利用して立ち上げたのが2013年。
その年は丁度グランセイザー放送開始10周年、めでたい年だった。
そうして、ようやくセイザーX放送終了の年から10周年を迎える直前に全てのレビューを終了することが出来た。

グランセイザーのレビュー当初はまるっきり暗中模索、感想文以前の問題であるお粗末な内容だったが
途中でスタイルを変更してからはそれなりに本編の内容を汲んだ感想を述べられるようになっていた    はず。
もっともその代償として、本編紹介文が異様に長くなってしまい
レビューと「特撮の見どころ」がワリを食うという本末転倒な代物になったのだが・・・。

とはいえそのままジャスティライザー、セイザーXとレビューを完遂できたことで
個人的にも本当の意味で「超星神シリーズ」及び「特撮ヒーロー物」に対して区切りが付けられた。

ヒーロー物という特殊なジャンルを考える一つの切欠ともなったのが超星神シリーズでもあった。
良くも悪くも文学青年的テイストの漂う部分のある東映作品や円谷作品と異なり
一言で言えば「雑と迷走の産物」と形容出来てしまうのが超星神シリーズ。
それは演出においても同様の表現が出来てしまうものだった。


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本シリーズのレビューを続けるうち、
テレビドラマがある意味文学的というか、文芸で押していかなくてはいけない理由も素人なりに透けて見えた。
よく考えれば判るがテレビドラマにしろ週刊・月刊誌連載の創作物にしろ
決まったスパンで提供される創作物である。
一話完結の作品もあるのだが、どんな内容であれ世界設定を固め、キャラクターを初期の段階で作り上げ、キャラクター間のドラマによってストーリーを動かし
そして最終回へ雪崩れ込み、 また新しい作品が始まり、終わり・・・。


例えば一年放送されるドラマだとすれば一年の間いかに視聴者をつなぎとめるべきか。
この命題は重い。
今でもそうだがスタッフが放送中または放送開始前、放送終了後に様々談話を述べ
それがメディアに掲載・公開されることで視聴者の興味を引くことが活発に行われている。
様々な創作物がある現在、ドラマやアニメ、漫画、ゲーム、小説などの製作者はいかに
浮動票たる受け手たちの中から「ファン」を作り、繋ぎ止めなくてはならないのか苦心しているのが今にしてよくわかった。

特にテレビドラマは、テレビさえあれば基本は無料で見られるものである。
スポンサーが売っている商品を買うことで間接的に金を払ってはいるが・・・。
しかし普通視聴者はそんなことを意識せずに見ている人のほうが多い。
オタクは話のネタレベルとはいえ少しは意識しているようだが、 両者に共通して言えるのは
「面白くないと思ったら見なくなる」という、非常にシビアな部分だ。


もちろん映像や絵で押す創作物などもあろう。
ただそういうものはどうしてもマイナー化しやすい傾向がある。たまたま大ヒット作品になる可能性も無いことは無いのだが・・・。


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超星神シリーズは文芸で注目を集めようという、従来の作り方からは微妙に外れたシリーズではあった。
それは生前、川北紘一が自著で「特撮映像を作りこめば、充分東映作品と渡り合える可能性がある」としていたことからも伺える。
この発言はそのまま捉えてもいいし、少々ひねくれた見方をしてもいい。


何せ東宝はテレビヒーロードラマを散発的にしか作れていない。
東映や円谷と違って強力なテレビでのキャラクターシリーズを持っていない。
そして上記2社と決定的に違うのは、文芸にしろ演出にしろ不慣れな面子しか揃えられなかった。
さすがにレインボーマンやダイヤモンド・アイの頃はまだマトモな面々だったものの。

なにより東宝自体にさしたる「映像作品における主義のようなもの」が見えないのも大きなハンデだった。
度々このblogで挙げていた、東映の「主役至上主義」を軸としたバラエティ溢れる作品群を考えると
東宝の主義のなさは特にテレビドラマにおいては不利であった。
#製作を統括する立場であるプロデューサーそのものの層の問題も大きいのだが。


しかし面白いことに、東映の主義は映画においては逆風になっている部分もある。
自社で製作しているテレビドラマやテレビアニメの劇場版が多いせいというのもあるが、
一本で見せきらないといけない映画においては逆に「一見さんお断り」の世界を醸し過ぎているのは紛れもない事実。

一方、東宝系で上映されたテレビドラマ劇場版も多いのだが、これらは東宝製作のテレビドラマではない。
「踊る大捜査線」の映画を見てもわかるように、その時々で人気のあるドラマの劇場版の上映・制作に携わることが多い。
「トリック」のようにテレビドラマの時点で東宝が関わっているケースももちろんあるが。
#このあたりは「東映まんがまつり」と「東宝チャンピオンまつり」の興行内容としての相違点に近い。

この「主義は無いが東宝の企業カラーから逸脱しない限りなんでも受け入れる」姿勢は映画興行においてはプラスに働くものだった。
結果、良くも悪くも拘りがないが故に現代の日本における映画興行ではずっとトップを走っているのだろう。



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以前セイザーX本編レビューで「東映が吉本新喜劇なら東宝は松竹新喜劇を目指せ」と書いたのだが
ようは
「ヒーローものとしてのケレン味や、必要な部分を犠牲にしてでもストーリー面で見せる作品を作れ」
ということが言いたかった。
・・・犠牲にするといっても程度問題は勿論あるのだが。

事実、ストーリーに凝る傾向の強い松竹新喜劇も一応笑いをとる作劇を持っている。
ただしそれは、あくまでストーリー展開の流れの中で自然に挟まれる笑いであり、決して物語を食うようなことはない。  いまや古臭いといわれる「喜劇」の脈絡でもある。
吉本新喜劇はストーリーが薄い代わりにキャラクターとギャグに重きを置いている・・・つまり爆笑の連続を狙っているのだが、その好対照になる松竹新喜劇と同じものを
東宝も志向するべきなんじゃないか、とは今にして思った。


どのみちキャラドラマ重視・ケレン味あふれるヒーロー物というのは東映や円谷がそれぞれの作品で散々やりきっているし、
同じ路線・同じ目線での作劇を東宝もやる必要はない。
むしろその二社三作品(戦隊・ライダー・ウルトラ)で様々な都合上やりきれていない
ストーリーの追求を東宝は目指したほうが良いし
それが最初はヒーロー物オタクや本来のターゲットである子供の視聴者からは違和感となるだろうにせよ
ヒーロー物でももっと多様性はあってしかるべきだろうと思うし、やり続けるうちに
これはこれとして良い、と言ってもらえる土壌も生まれるものである。

その意味で自分は、グランセイザー総評で「東宝ならではのヒーロー物の素質は充分ある」と評したのである。
とはいえストーリーが陳腐になったジャスティライザーが挟まったせいで、シリーズとしては「迷走」感が否めないのもまた事実なのだが・・・。


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自分が超星神シリーズをリアルタイムで三作追いかけ、10年後見返した上での個人的意見で総括するのならば
「迷走」
が相応しい言葉だろうか。

この迷走の理由はいくらも思いつくところはあるが、三作全てを俯瞰してみた場合
作風も、そのクオリティも著しく上下動している。
先述のように東宝側に、ドラマ作りにおける主義がなさ過ぎることがマイナスに働いているからだろうが
それでもセイザーXのような奇蹟の産物も出てくるため、決して悪いことではないのかもしれないのだが・・・。


本シリーズを当時見ていて、そのまま何度も見返さずに今まで来た当時年長の視聴者は多いことだろう。
そして、セイザーXを軸にシリーズを評価している人間がことのほかネットでは見受けられる。
自分ももちろん、そういう側に立っていた人間でもあった。
しかし一方であまりにセイザーX主体で語られすぎることに違和感もあった。
なにより、10年以上も経っているのにまだこのシリーズに想いをはせている自分が居り
これはどういうことなのだろう、という疑問から超星神シリーズ全作を見返してレビューしようという行為に至ったのだ。

ラベル「追憶」の更新をいくつか見ていただければ、そして本編レビューなどを見ていただければ判るが
自分自身ももとは東映のヒーロー作品を見て育ったという自覚がある。
そして東映のヒーロー作品で出戻って以来、ヒーロー物を見漁った時期もあり
超星神シリーズは丁度、ヒーロー物に醒めて来た頃合に突如現れたものであった。


東宝ヒーローというのは一言で言えば「雑」である。
東映作品と違ってケレン味もカタルシスも、なによりヒーロー自身の魅力で推す作風を終始取っていない。
特撮映像だけを頼りにやっていたものの、それだって10作品作られた中で見ればピンキリである。
超星神シリーズだけが唯一、特撮映像という意味ではかなりのものをやっていたのは間違いないが・・・。


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よくヒーロー物オタク界隈では東宝作品は「便乗」「二番煎じ」「東映の二軍」などと揶揄されることが多い。
これはこれで東映作品ファン寄りの意見であるし、実際に自分もこれら意見を直に聞かされたものである。
それだけ東映=ヒーロー物 というイメージが強固だということだが。

そういった話を聞くにつけ、かつて先述のように東映作品で育ちながらも結局東映作品のみならず
ヒーロー物自体に熱を感じずに離れた自分としてはどうも嫌な気持ちにもさせられていた。
上記のような先入観だけで結局見ずに断罪されているのは忍び難い。
そうした反発心もまた、拙blogを続ける原動力にもなった。


確かに二番煎じとか便乗という意見は判らんでもない。
割とヒーロー物が盛り上がってる時期にふいにヒーロー物に参入しているのが東宝なのだから。
レインボーマンの頃からそれは変わっていない。
#面白いもので、東映にヒーローものを作らせるきっかけとなったヒーロー物原作者の元祖・川内康範氏が東宝のヒーロー物の礎ともなっている。

とはいえ、偶然超星神シリーズを好きになった自分としてはそうした外の意見に構わず
改めて今の自分の感性で見直して、まとめておきたかった。
「文章が長すぎる!」
「個人的意見が多すぎる!」
と憤りを感じられる方もいらっしゃることだろうが、既にヒーロー物への興味が失せた
かつての「ヒーロー物オタク」の意見として読み捨てていただければ宜しい。

世の中に何時までも残るものは無い、ということを去年の今頃思い知らされた自分としては
このblogもまた、googleがサービス提供を廃止するまでの命。
それまでの間にどれだけの方がこのblogを閲覧するのかは判らないが・・・

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文芸面においても演出面においても不慣れさを隠し切れなかったグランセイザー。
東映作品を過剰に意識しすぎた結果、チグハグでツギハギだらけなジャスティライザー。
前二作を踏まえて格段に進歩したけれど、やっぱり前二作と同じような違和感も最後まで残ったセイザーX。


そんな三作に共通していえることは、ストーリー面に拘ろうとした点だろう。
だからこそ「松竹新喜劇」という例えも生まれた。
その結果、東映作品と違ってヒーローと怪人の戦闘がイマイチ雑だったり薄いものになってしまったり
キャラクタードラマが犠牲になり薄味になったりするなどの欠点もあった。
後者こそセイザーXで克服したが、前者は最後までそのまま残された。
でも、それでいいと思う。 
ヒーローの戦闘が犠牲になってでもストーリー面とドラマ面で差別化し、楽しませてくれさえすれば良いのだから。


しかしそれら欠点をフォローするかのように、川北紘一という特技監督のこだわりによってさらに一本骨が通った。
特撮映像で魅せれば充分東映作品と渡り合える余地はある。
そう、生前考えていた通りに三作品全てに共通して言われている評価として
「超星神シリーズは特撮はいい」
というものが最後まで残ったことは、川北にとってもやりきった感慨もあっただろう。

少なくとも川北を初めとした特技スタッフ一同は、最後まで可能な限りいいものを作ろうと努力していたのは間違いない。
グランセイザーの時には酷い合成も多かったし、セイザーXまでよく見たら残ってしまった雑なものもあった。
とはいえ、試行錯誤しながらもやり切った三作にはどれも印象に残る巨大戦があるのも事実だ。

グランセイザーの第一部、特に第八話は一生忘れないかもしれない。
あの、戦隊ともウルトラとも違うド迫力の戦闘を。
小粒なものが多いジャスティライザーでもレオガイアス戦やブルガリオ戦は良いものだったし
セイザーXは戦艦での戦いや月面など、シチュエーションの多彩さが目を引いた。

改めて当時のスタッフに、楽しませてくれてありがとうございましたと言いたい。


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昔、超星神シリーズというヒーロー物シリーズがあったっけなぁ。
あのシリーズって結局どんなモノだったんだろう。
特撮は印象に残ってるけど、いい所と悪いところってあるよね。
ヒーロー物って結局、何なんだろうね?

そんなふうに話題が広がる一助になっていれば幸いではあるが
自分の文章力と感性では全くそれに至っていないことをお詫びしつつ、
それでも超星神シリーズについて語られる機会が少しでも増えればと願い、この更新を終えたい。


ありがとう超星神シリーズ。
あのときあれだけ夢中にさせてくれて。