2015年12月12日土曜日

裏テーマ

超星神シリーズ三作を全部見たことのある方ならご存知のとおり、
本シリーズは作風がバラバラである。
それゆえ一作ごとに傾向が異なっているのだが、実は本シリーズをシリーズたらしめるテーマが三作の中にあることにお気づきだろうか。

それは、あるときには中盤で少し出てくるのみだったり
あるいは終盤の結末に多大なる影響を及ぼしたり
そして登場人物たちを悩ませ、成長を促す要素にもなりえていたものだった。


それは「戦いを止める」ということ。 
「不戦」と言ってもいいがこれはちょっと意味が伝わりにくい。
よって「戦いを止める」とした。


このテーマ、グランセイザーではインパクター編で天馬が少しそれを匂わせる発言をしていたが
# 「殴られたら殴り返す。でも殴ってこなかったら戦いはそれで終わりだ!」というもの
本格的に模索されだすのは終盤になってから。
ジャスティライザーでは、ハデス復活~シロガネ登場あたりまでの短期間。
そしてセイザーXでは、デスカル最終決戦でのアドの台詞
(コスモカプセルをあいつらより先に12個集めればいいんだ、というくだり)以降。
特にサンダーラ登場以降は拓人が悩んでいくこととなるテーマでもあった。



そして、三作ともに敵側が「一度はじめた戦いはどちらかが滅ぶまで終わらない」という意味合いのセリフを残していることも特徴的。
そのものズバリを言っているのはジャスティライザーのゼネラルバッカスだが、
グランセイザーではロギアが終盤で、 セイザーXではジャッカルが
それぞれにおかれた立場で上記のような、戦いの本質について発言をしているのが面白い。


しかしそんな言葉にへこたれず、戦いを止める道を模索したヒーローたちであった。


グランセイザーにおいては宇宙最高会議ウォフ・マナフという組織が
ボスキートの復活を受けて地球文明へ再度再起不能のダメージを与えることになっていく流れが終盤現れていたのだが、
実のところ宇宙を掌握したがっていたウォフ・マナフ幹部ベルゼウスの策謀にウォフ・マナフ自体が利用されていたわけである。
それは部下を用いてボスキートの封印を解き、グランセイザーの一同をボスキートの子孫かと誤認させるような流れを作ろうとしたところにも現れている。

グランセイザーを邪魔者扱いするようになったのが、第三部の刺客を次々送り込んだあたりでも窺えるわけだが
戦いが続く状況を厭うグランセイザーの面々と、 天馬を中心に「戦いを止めたい」という意思を直接ウォフ・マナフへ伝える方法に悩みつつも一つにまとまっていく展開は
今見返しても中々良い物である。
戦う意思を捨てるという方法としての、装着能力喪失というのはいいギミックだ。
意地の悪い見方をすれば、ウォフ・マナフにいいように扱われている感じも否めないが・・・。
#当初は地球攻撃軍だったのに、最後の最後で戦いの調停者的な立場に変換されたのは面白い。


ジャスティライザーは当初、ハデス復活後に澪自身が戦いの激化に悩み、ハデスの再封印を考えるようになったり
一方でシロガネを「力に頼らない新しい正義の誕生」と突如言い出すなど、彼女自身がその場その場で考えがコロコロ変わっていたのがマイナスではあった。
#ゾラ編終盤で、ハデスに対して「あなたに地球を滅ぼさせない!」的なタンカを切ったのは澪自身。

そしてそんな澪に振り回される形で戦いを終えることについて思い悩んだのがジャスティライザーの三人。
特にシロガネ自体が、澪の体力も使うせいで何度も使えない力(であるはず)だったため
いかに早く戦いを終えるべきか?という命題が一瞬生まれたのだが
結局「シロガネの力を使ってでも速やかにハデスを倒す」方向になし崩し的にシフト。
澪の中途半端に意思のある発言に最後まで翻弄されたのがジャスティライザーだった。


セイザーXになると、当時はとにかく三将軍より先にカプセルを集めてしまえばいいと
拓人が考えていたのだが、ストーリー進行とドラマ展開に従って拓人自身も考え方が変容。
戦わずにすむなら三将軍に宇宙に出てってもらおうと考えていたのは初期からだが
コスモカプセル自体が戦いの起点となっていることに、サンダーラとの出会いで気づかされてからは
次第に「カプセルを消滅させよう」と願うように。

しかしそれこそがセイザーX本来の使命であった。
戦いの連鎖を止めるには、その大元であるコスモカプセルを消滅させる他無いとシャークが述べていたが
最終回ではカプセルは消滅しない上に、それぞれの人間の手元に渡り、それぞれの時代と星で
別れ別れになって持ち続けることで、強引ではあるものの「戦いの連鎖」を断ち切って見せた。
#最終回、シャークが消滅しないカプセルについて「古代からの争いの中で、消滅を願ったものもいたはずだ」と推察を述べたのがアクセントとなっている。

グランセイザーでも扱われていた「戦う力の喪失」は、シャークの消滅とともに流星神やスーツが消えたことで充分説明出来ており
理屈の上でも納得できる描写で纏められた。



さてこうして並べると「でも結局最後は戦いで締めたじゃん」とつっこまれそうだがそれは早計だ。
特にグランセイザーを見れば判るが、ウォフ・マナフは最初ベルゼウスの策略により
「復活したボスキートと、その子孫であるグランセイザーを撃破するため」に地球攻撃軍を差し向けていたわけで
視聴者も当時はウォフ・マナフ&ベルゼウスVS地球 という構図で見ていたものであるが
終盤でその誤解・・・ ボスキートの子孫でもないし、地球人は宇宙の他の人々と争う意思は無い
だからウォフ・マナフには攻撃はしないでほしいというのが、グランセイザー全員の最終意思。

しかし地球制圧から宇宙支配に野望を燃やしていたベルゼウスだけが終始戦いに拘っており
グランセイザーの訴えを聞き入れたウォフ・マナフ自らによるベルゼウスとその戦力の処分が一度検討されていた。
結局は「地球で起こったことは地球人の手でケリをつけないとダメだ」という天馬の意思が尊重され
キャブレオンとベルゼウス艦の撃破のみ担当、ここで戦闘能力の行使を止めている。
ベルゼウス自身はロギアが連行、ウォフ・マナフ内の裁判にかけることで決着をつけさせるなど
改めてみるとヒーローものとしては中々独特なリアリティを以って終えている。
#普通ならベルゼウスもグランセイザーが倒して締めるところである。

グランセイザーについては、「ウォフ・マナフやボスキートを利用してまで地球を制圧しようとしたベルゼウス」との決着を付けることで
当初あった「ウォフ・マナフVS地球」という構図から転換していることがわかる。
つまりグランセイザーひいては地球人の意思として、全宇宙的組織であるウォフ・マナフとは戦わないということである。


ジャスティライザーだけは早くに戦いを止めるという方向を放棄している・・・
というより、今にして思うと「早く戦いを終えれば良い」という実にシンプルな考えに落ち着いてしまったものの

セイザーXでは「これ以上戦いの連鎖をつづけたくないから、コスモカプセルが揃う状況を無くす」
ということで、戦いが未来に繋がる可能性を止めてみせたのだ。


このように、戦いが続く可能性を自ら断つことになったのが、グランセイザーとセイザーXでは描写されており
ジャスティライザーだけそういうストーリー展開を採らなかったのは残念ではある。
やろうと思えばハデスの再封印くらいは描けたはずなのだが・・・。
封印ネタ自体は東映作品の「ジュウレンジャー」「カクレンジャー」があるとはいえ、それらとは違う形のストーリーになっていたはずである。