2015年4月15日水曜日

「残酷なまでに省みられない」超星神シリーズ

このblogも二年目を過ぎ、そろそろ三年目に突入する。
ようやくジャスティライザーのレビューも佳境に入ろうというところ。DVDの枚数で言えばセイザーXを含めると残り13枚というところまで来た。

今回、「考察?」ラベルを貼っているこの記事だが、前々から感じていたことをそのままタイトルにさせていただいた。


この超星神シリーズ、どれだけの人間が全作のソフトを購入するほどにファンであるのか
正直自分には読めない。
放送当時、ネットで実況しながら追いかけていた年長の視聴者が超星神シリーズをおぼえている人間の大半だろうことは想像に難くない。
そういう状況の中、本シリーズはその物語自体の考察なり解釈なりが行われるほどに
ファンが活発であるかといえば、残念ながら放置されたままと言える。
※当時10代前半以下の年齢層はあえて除外しました。ご了承ください。

例えば匿名掲示板などでスレが立ったり、他のblog、そしてSNSなどで話題が出たとしても
大体話としては当時実況したときに抱いたイメージと、ネタの部分だけで話題が占められている。
または役者の情報やスタッフの情報などで埋まるくらいである。

有名シリーズや、70年代のヒーローものなどではまだ考察なり感想なりが割と見受けられるのを考えると
本シリーズほど「放置されたまま」な作品群も珍しい。
それは、放送終了してから10年経っても他作品の記事のついでで語られることが目立つことからもうかがい知れる。
ここで言う記事はメディアのみならず、ネット上も含む。


よく本シリーズは「実況向け」という評価を下されることも目立つが
このあたりに本シリーズの対外的評価の一端が見える気もする。
しかし別の見方をすると、これはこれで受け手側が「実況至上主義」であったり
それゆえ作品を深く見ようとしない態度も透けて見える。
もっとも、それはその個人の視聴者としてのスタンスなので否定はしない。

それにここだけの話、自分も実は放送当時は「実況もたまに使って見ていた人間」だったため
そういうスタイルに対して強く否定できない部分もある。
では何故、ソフトを再度購入してまで見返す行為に及んだのかといえば
「放送が終わっても尚、長年このシリーズが好きな自分」
に対しての、素朴な疑問と探究心があったから。


既にヒーローものへの興味が失せ、特撮そのものに感じていたファンタジー的要素への憧憬も消えていた自分。
だが、ウルトラマンにしろ仮面ライダーにしろ戦隊にしろ、そんな自分を引き止める力が無かったのに
何故このシリーズに関してだけはいまだに思いを強く持ち続けていたのか。
本当にただの追憶による記憶の美化でしかないのか。


このblogを立ち上げるまでの、本シリーズへの印象は他の年長の視聴者と同じで
「特撮は凄い」「なんかよくわからないけど面白かった」程度のものしかなかったが
グランセイザーのレビューを終えた時点で、思いのほか面白い部分とやっぱりダメだなぁ、と感じた部分
そして特撮自体もクオリティが著しく上下に揺れ動いていた事実も見えるようになってからは
自分自身、本シリーズへの印象がすっかり変わってしまった。

少なくとも特撮が凄い、とはもろ手を挙げて言えない。案外手を抜いてる以前の問題であるものもいくつか散見される。
一方で他社作品と違いさりげない部分で高クオリティな合成が見受けられるものの、これも
演出的な意味で「さりげなさすぎる」ため、特に当時の視聴者たちにはインパクトとして残りにくかったのも事実。
もっとも、低いクオリティと判断した時はだいたい、他社ですらやらないような安直な合成を行っている回に関してのみではある。
それ以外はまあ、そこそこオススメできる気もする。

面白かった、という点も、たんなるネタ的要素などを差し引いて見られるようになった結果
ストーリー的、ドラマ的な面でよい部分と悪い部分も見出せるようになっていった。
個人的には、イメージだけで捉えられやすい超星神シリーズというものを再整理・再発見できたし
その意味では決してこのblogは無駄にならなかったと思う。


だから、というわけではないが
当時年長… 具体的には10代後半以上だった視聴者各位の間でも、見返して再評価される機運が高まってくれれば嬉しいと思う。
少なくとも、グランセイザーは龍騎のパクリなどというレベルで語られる作品ではないし
それまでの他社作品以上に地球VS宇宙からの悪意ある敵という一大攻防物語の趣が強い。
ヒーローだけでなく、国防省という存在が最後まで作用していたが故のストーリーの奥行きはもっと評価されていい。
#というか、是非はともかく12人きっちりテレビシリーズで出してる時点でまるで違う気がするのだが。
#また設定も違うので、まるっきりパクリと断ずるのは違うとしか言えない。 いくら龍騎が多数の視聴者から高評価を得ているとはいえ。

ジャスティライザーも王道すぎるだの「昭和過ぎる」というイメージだけで語られるような作品でもないことだけは間違いなく言える。
翔太たち主要メンバーだけを見ていても、それほど古臭い印象は見受けられないし
#真也と澪に関してはちょっと昭和チックな香りもあるにしろ。
むしろ今の時代のヒーローを、東宝なりに構築しようとしているフシもある。
家族との関わりにしろ、ヒーローである自分とその周辺の描写にしろ。

願わくば、当時視聴しつつ実況で言い合っていたときのイメージなどを取り払って見ていただければ幸いだ。

#本記事、なんだか超星神シリーズの考察というか、そのシリーズが好きな自分の考察のようになってしまったが・・・。